2011年4月7日木曜日

春の深大寺


このところの寒かった気温が緩んで、急に桜のつぼみが大きくなった。

4月5日、女房と深大寺に桜を見にいってきた。

いつもは自宅から1時間30分ほどかけて歩いて行く。

この日は途中の調布のラーメン屋に寄って、早めの腹ごしらえをした。
この調布のラーメン屋がどこのラーメンよりも旨いと思っている。
薦めた人の評価も同じである。
お昼前なのに店が混んできたので、食べ終わる早々席を立った。


閑話休題、
調布からさらに歩く。

深大寺周辺は、区画整理が終わって、歩道の幅も広くなり、
景色をみながら気持ちよく安心して歩けるようになった。

深大寺の近くを流れる川、野川の堤防の桜は五分以上は咲いていた。

深大寺は、東日本大震災のためか人影はまばらだった。
水木しげるのゲゲゲの妖怪像もさびしげに見えた。




前に来た時は、台湾や中国からの観光客が大勢きていた。
門前に軒を連ねる土産屋でそば饅頭を買って、ベンチに座って女房と食べた。
あと2~3日で桜は満開になるだろう。

2011年4月5日火曜日

今回も期日前投票


東日本大震災のためだろうか、、、
地方選挙には関心が少ないようで、影が薄くなった感じである。

そんな中、4月4日(月)に期日前投票を済ませた。
このところ、期日前投票の手続きが簡素化されたこともあって、いつも選挙は期日前投票で済ませている。

4日は気温が低かったが快晴で、自宅から投票所のある区役所まで歩いた。

時間は40分ぐらいで、歩数は6500歩ほどだ。

期日前投票は、受付でカードに氏名と住所を記入すると、端末機にカードを差し込むだけで投票用紙が出てくる。

あとは受け取って投票するだけである。

知事選挙と県議会選挙、それに市会議員選挙の3つを投票してきた。
こんなに議員がいるのだろうか、というのが投票後の感想である。

帰りは歩く気力がなくバスに乗った。

2011年3月31日木曜日

東日本大震災の時②


女房を迎えに、車で成城学園駅に向かった。

午後6時、小田急の成城学園駅には通勤通学の人たちで溢れかえっていた。
バス停には、いつ来るかも分からないバスを待って長い列ができていた。
駅改札には、駅員に状況を聞くでもなく、あきらめ顔の人たちがうろうろしていた
通路には、疲れ果てて座り込んだ人たちが大勢いた。

女房がどこにいるかわからず、しばらく探した。
携帯電話をかけたが、なかなか繋がらない。
15分ほど探すと、改札口のあたりで出会うことができた。
フラダンス仲間と一緒だった。
駐車場に戻って駅を離れた。

いつもなら5分で出られる世田谷通りに出るのに、1時間かかった。
世田谷通りでも車が前に進まない。
歩道には、都心からであろう家路を急ぐ人たちが黙々と歩いていた。
渋滞して車が動かない道路には、自転車が車の間を縫うように追い越していった。

多摩川にかかる大橋を渡るのにどれだけ時間がかかったのか覚えていない。
少しは渋滞が和らぐことに望みをつないでいたが無駄だった。

多摩川警察署を過ぎたところで、コンビニに寄ってトイレを借りた。
夜の11時は過ぎていたように思う。
コンビニの食料品の棚は空だった。
店の前には、疲れ果てた様子の若者が座り込んでインスタントラーメンをすすっていた。

しばらく走ると、道路が小田急線の線路と平行するようになった。
よく見ると電車が走っていた。

女房の友達の1人を町田まで送ることになっていたが、途中の鶴川という駅で降ろした。
日付が変わって、午前1時を過ぎていた。
道路は相変わらず渋滞していた。

もう1人の友達を高幡不動まで送ることになっていたが、車は進まない。
小田急線が運行を再開したのだから、京王線も・・・と期待がもてる。
京王線調布駅に向かった。


<完>



2011年3月30日水曜日

東日本大震災の時①


3月11日(金)午後3時35分頃、大震災の発生時には、京王線の電車に乗っていた。
東京・調布駅から2つ目の駅までの予定だった。

電車が京王多摩川駅のホームに入ろうとしていた時であった。
電車が34回前のめりになって、急ブレーキがかかって停車した。
止まってすぐ、電車が大きく横揺れして、脱線するかと思われるほどだった。

車内アナンスがあって、「地震で止まった。安全点検が済むまで動かない」という内容だった。

10分ほどすると、
「安全点検にかかる時間はわからない。先頭車両のドアを開けるので、電車から降りていい。」
という車掌からの知らせがあった。

いつ動くかわからない電車に乗っていても仕方がないので、電車から降りて改札をでた。

いつもの散歩コースでもあるので、自宅まで約1時間歩いて帰ることにした。
多摩川沿いのマンションの前には、住民が外に出て不安そうに佇んでいた。
鶴川街道の多摩川大橋を渡って家に急いだ。

自宅近くに来ると、マンションの管理人さんが自転車で自宅へと急いでいる
ところに出くわした。
老齢の母親が一人でいるので、心配で早めに仕事を切り上げてきた、と言っていた
マンションには被害はない、と言い添えていた。

10分程で自宅のあるマンションに着いた。
たまたま自宅にいた管理組合役員が、見回りをして異常がないことを確認していた。

この時点ではじめて巨大地震が起こったのだと知った。

東北地方の太平洋沖で巨大な地震が発生して、激しい津波が襲ったのだった。
関東地方の茨城や千葉でも被害が出ているというテレビニュースがながれていた。

午後5時、管理人が帰った。

東京・下北沢にフラダンスのレッスンに行っていた女房に電話で連絡した。
携帯電話は繋がったが、その後は繋がらなくなった。


女房は小田急線沿いに徒歩で南下して、成城学園駅まで来ることにした。
成城学園まで車で迎えにいった。

<続く>