2012年4月24日火曜日

眼科医と花水木


桜のシーズンが北に進んで、
わが町の街路樹には「花水木」が咲き揃っている。

今日は朝から初夏の陽気になり、散歩日和であった。
午前中に相棒と外出した。

傍目には、陽気に誘われて買い物か食事にでも行く姿に映るかも知れないな、などと思った。


街路の花水木



行き先は、2人とも病院であった。
相棒は眼科医、frogmanは整形外科である。

相棒が、このところ視力が落ちてTVがよく見えない、と気にかけていた。
昨日になって急に、
「友達に薦められていたから眼科にいく」、と言い出した。

frogmanもちょうど腰痛のシップ薬が切れていたので、
一緒に出かけて整形外科に行くことにした。

シップ薬をもらうだけなのですぐ終わって、駅前のコーヒー店に入って相棒を待った。
1時間したら携帯に電話があった。

相棒は、やはり白内障で手術が必要との診断だった。
総合病院への紹介状をもらった。

毎年健康診断を受けている大学付属病院への紹介状がもらえずに、私立病院ということだった。

そんなことで白内障を話題にしてみると、周りには手術をした人が意外と多いことが分かった。
大きな病院では半年も待たされるという。

コーヒー屋に相棒があらわれたので、京王線で2駅乗ってラーメンを食べに出かけた。

ここにも花水木



帰りはここで別れて、frogmanはひとりで1時間ほど歩いて帰ってきた。
1万2000歩。

下着が汗びっしょりになった。
街路には花水木が、
道端や生垣に目をやると、いろんな花が咲いていた。








2012年4月14日土曜日

富山から・・パリから・・


大学時代の友人が昨年、旭日中綬章を受けた。

仲間で叙勲の祝賀会をしようとなったが、
いろいろ忙しいというので、のびのびになっていた。

412日、やっと食事会を設けることができ、富山から上京してくれた。
東京駅に近い丸の内のレストランで開いた。

集まったのは、大学時代のサークルの仲間たち10人である。
多士済済の集まりだった。








叙勲の友人は、ゆくゆくは親の面倒をみることになるからと言って、
地元の富山に職を求めた。
定年後も、地元の市教育委員長やユネスコ関係の仕事をしながら、
Jリーグのサッカーチームの立ち上げにも奔走していた。



「お祝いに」と
シェフが即興で作ったデザート

久しぶりの顔もあり、席に花を添えてくれることになった。
このところ体調を崩して集まりにもなかなか参加できなかった友人が顔を見せた。
彼は大手企業のアメリカ工場の責任者を8年に亘り勤め上げていた。
この日、たまたまパリから日本に戻っていた仲間の夏目典子女史も出席した。
パリのマンションが大規模改装中なのだと言っていた。

会食の前に、
「私が書いた本を持って行って、皆さんに買ってもらっていいかしら」と尋ねてきていた。
今本屋に出ている「猫をさがしてーパリ20区芸術散歩」を持ってきた。



レストランのウエイターもサインしてもらっていた。

サイン中の夏目女史



2012年4月12日木曜日

「ジャクソン・ポロック展」と桜


自宅近くにある遊園地の桜をロープウエイで見たのが素晴らしかったので、
相棒が友達を呼んで見せたという。

友達が自宅に寄るというので、「では、」と出かけることにした。
このところ気になっていた
「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」を見ることにした。
東京国立近代美術館で開催している。

新聞の紹介記事によると、
日本ではあまり知られていない上、ほとんどの作品が一堂に集められたとあった。
ポロックは1912年生まれの20世紀のアメリカの画家。
「アクション・ペインティング」で一躍時の人となったようだ。

アートを変えた男、ジャクソン・ポロック

センセーショナルな雰囲気の広告

京王線新宿で降りて昼食を取った。
再び京王新線に乗って九段下で乗換え、地下鉄の東京メトロ東西線の竹橋駅で降りた。

東京国立近代美術館
ここにも桜 花盛り

「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」

美術館の前庭

展示は時代ごとに4つの章仕立てになっていた。
第1章 1930-1941年 初期 ―自己を探し求めて―
第2章 1942-1946年 形成期 ―モダンアートへの参入―
第3章 1947-1950年 成熟期 ―革新の時―
第4章 1951-1956年 後期・晩期 ―苦悩の中で―

第1章 1930-1941年 初期 ―自己を探し求めて―

「無題 自画像」 1930-33年

「女」 1930-33年

「西へ」 1934-35年

「無題 蛇の仮面のある構成」 1938-41年

「コンポジション」 1938-41年

「無題 多角形のある頭部」 1938-41年

「誕生」 1941年

「無題」 1938-41年

第2章 1942-1946年 形成期 ―モダンアートへの参入―

「ポーリングのある構成Ⅱ」 1943年

「ブルー 白鯨」 1943年

「無題」 1946年

「トーテム・レッスン」 1945年

「月の器」 1945年

第3章 1947-1950年 成熟期 ―革新の時―

「無題」 1946年

「ナンバー17、1950 花火」 1950年

「インディアンレッドの地の壁画」 1950年
看板の話題作

「インディアンレッドの地の壁画」について参照

「カット・アウト」 1948-58年

第4章 1951-1956年 後期・晩期 ―苦悩の中で―

「緑、黒、黄褐色のコンポジション」 1951年

「ナンバー7、1952」 1952年

「ナンバー8、1951/黒の流れ」 1951年

具象から抽象の作品が60点程だった。
作品はあまり多くなくて、ゆっくり鑑賞することができた。
とはいえ、強烈な印象のものばかりである。
美術館を後にした。

外に出ると、少し風があるものの散歩には絶好な陽気だった。
竹橋駅とは逆の方向に人の流れに乗って歩いていると、北の丸公園の標識がたっていた。
ここまで来たのなら、千鳥が淵に寄って行こうと北の丸公園の中を歩いた。

乾門のあたり
枝垂桜が美しい

桜が盛りと見える

千鳥が淵



人の流れと逆方向だったので、
あまり逆らうことがないようにと注意しつつ写真を撮りながら、靖国神社まできた。


靖国神社

去年は、東日本大震災で花見の宴会もなかった。
今年は、参道の両側に露天の店が軒を並べて賑わいを見せていた。


靖国神社の参道に露店の賑わい



地下鉄に乗って三越前で降りた。
地上に出て、日本橋に出る。
遊覧船の呼び込みをやっていた。
東京駅まで歩き、ブックセンター隣の福島県のアンテナショップに寄った。


たくさんの人が春を楽しんでいる

日本橋



大学時代の友達が旭日中綬章を受けた。
記念にと、「会津本郷焼」のコーヒーカップを探したが、いいのが見つからず買うのをやめた。
家に帰ると、万歩計は1万7000歩をカウントしていた。


2012年4月9日月曜日

歯医者と黄色い電車



世田谷線 黄色い車両

「今年は歯痛でお花見ができないかな」と思っていたが、
おかげさまで昨日も今日も歯痛に悩まされずにお花見ができた。

きっとあの黄色い電車に乗れたからかもしれない。

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この1年ほど歯医者にはいかなかった。
比較的安定していた。

先週、歯ぐきが痛くなったので歯医者に行った。
歯しゅうポケットができていたということで綺麗にしてもらった。


ところが3日後に別の歯が痛くなった。

休診日の木曜日だったので、我慢せざるをえなかった。
そして先週の金曜日に診察してもらった。

今度は神経が腐りかけているということで抜いてしまった。

それが幸いした。

歯医者に行くには、自宅から1時間20分程かかる。

歯医者は以前会社勤めをしていた時に、社宅の近くにあった。
親子二代にわたって見てもらっている。
通うのに、京王線の下高井戸で東急世田谷線に乗り換えている。


先週の金曜日の通院時に、たまたま乗ったのが黄色い電車だった。
少し前、テレビ番組で、
世田谷線には、さまざまな色の電車が走っている。黄色い電車に乗ると幸せになれる」
と話していた。
帰りに電車から降りたら、黄色い車体をしていたので写真に撮っておいた。

「幸せの黄色い電車」