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2014年9月29日月曜日

初秋の故郷① ~彼岸花とワイナリー~



・・・・・ 山門脇には彼岸花が咲いていた。 ・・・・・

群馬県館林に両親の墓があり、1年に1回墓参りに訪れる。
以前は1年に3~4回はお参りしていた。
歳を取るとともに回数が減ってきている。
今年は下の息子に車の運転を頼んで出かけた。

朝8時頃、東京・世田谷を出発した。
高速道路は思ったより混雑していなかった。
東北自動車道の館林インターに近い羽生サービスエリアで朝食を食べた。
サービスエリアを出て利根川に架かる橋を渡ると2~3分で館林インター。
田舎の道を10分ほど走るとお寺に着く。
家を出てから1時間半ほどかかった。

お寺では墓石の掃除などをし、お線香を供えてお参りした。
お参りを終えて庫裏に挨拶に伺った。
住職は出かけて留守だった。

留守を守るのは住職の母親、奥様と呼んでいる。
歳を伺うと今年95歳になるという。
矍鑠(かくしゃく)としていて、秋のお塔婆料などの領収証の名前などもしっかりと書く。
何よりも記憶がはっきりしてる。
羨ましいかぎりだった。
お寺の本堂にあった塔婆を頂いて、お墓に供えてお寺を後にした。


墓石の掃除

境内にザクロが一つ

館林は、夏になると「日本一暑い町」として幾度となくテレビニュースに登場する。
館林の話題となると、必ずこの「日本一暑い」ことを聞かれる。
その度に、「子供頃はこんなに暑くはなかった」と返事をしている。
95歳の奥様は、「50年前はせいぜい30度ぐらいだったね」と話していた。

そんな館林に、最近、「写真でみる館林」という本が出た、と高校の同級生からメールが届いた。
帰りに本屋に寄ったら店のシャッターが降りていた。
開いていない。
駅前の観光案内所で訪ねると、どこかに電話し問い合わせてくれた。
市の文化会館に置いてあり、いつもの土曜日は休館だが今日は係員が出ているという。
文化会館に向かい、本を手に入れた。


写真で見る館林

明治の頃の館林駅構内

駅舎

館林に行く際には訪れたいと思っていた場所があった。
北隣りの栃木県足利市にある「こころみ学園」のワイナリーだ。
ココ・ファーム・ワイナリーという。
足利まで足を延ばしてみることにした。
館林から約1時間かかった。

ココ・ファーム・ワイナリーは、小高い丘陵の急斜面に広がる葡萄畑に隣接していた。
1950年代に、特殊学級の担任教師と生徒たちが葡萄畑を開墾することから始まったそうだ。
テレビの番組で知った。
学校を出た知的障害者が生活していけるように「働く場」として造ったという。

そして、興味を持ったのは、
「善意だけでは長続きはしない。商品としても売れるものを作らないといけない」と、
アメリカ・カリフォルニアからワイン作りの指導者を招いて築いてきたことだ。
「善意だけでは長続きしない。」、、、含蓄がある。

現在150人が働いているという。
ショップやレストランもある。
もちろん、知的障害者たちは麓のアパートで自立して生活をしている。


38度の斜面にブドウ畑が広がる
写真左手がブドウ畑

麓にはワイナリー

ショップ&レストランのデッキ
奥がレストラン
右手がショップ

ここで造ったワインや
カリフォルニアワインを売っている

ココファームで造っているワイン
お土産に白ワインを
運転役の息子に赤ワインを買った

<続く>

2014年1月6日月曜日

シンガポールへ再び② ~成田からチャンギ空港~


【1日目】2013年12月17日

=成田空港へ高速バスで=

出発の日は寒い朝だった。
早朝、自宅にタクシーを呼んだ。
京王線調布駅までタクシーで行き、そこから成田空港行きの高速バスに乗る。

以前はJR新宿駅から成田エクスプレスで空港へ行くことが多かった。
列車だと車内でコーヒーが飲めたり、新聞や本が読めて落ち着くことができる。

しかし、成田空港への到着がバスより遅い時間になるので、このところ高速バスの利用が増えた。

今回もちょっと早めに行って、ある“気がかり”を解決したいと思っていた。
飛行機の座席についてだった。

航空券もネットで予約していた。
ネット予約は初めてだ。
何事も経験という気持ちでやってみたのだった。

3か月程も前の予約なのに、目当ての便はすでに満席だった。
羽田発で午前中にシンガポールに到着する便だ。
驚くと同時に、何だか不可思議なことだと思った。

成田発10:45で夕方到着便を予約した。
こちらはまだほとんど埋まっていない。
席は“よりどりみどり”という感じで、最前列の2シートに決めた。

その後、「座席を確認してください」とのメールがきた。
サイトにアクセスして確認すると、何だか様子がおかしい。
“よりどりみどり”で指定したはずの座席が埋まっている。
残っているのは、中央4列の真ん中か2人別々の座席だけだった。
そういえば、「座席は変更されることもある」と書いてあった気がする。
それにしても、、、。
予約は単なる「穴埋め」にすぎないのかと思った。

後になって「予約できていない」といわれると大変だ。

とにかく空いている席を再度指定し直した。
出発当日に航空会社のカウンターで席の変更を申し出ようと考えていた。
それもあって高速バスで少し早目に出発した。
ツアーなら余計な心配をしないで済むのに、と少し気が重かった。


成田発NH111便

出発ロビーではミニコンサートが。
持参のおにぎりを食べながら聞いた。

=いよいよ搭乗=
eチケットを手にいざ、、。
  
航空会社のカウンターへ行くと、席番は最初の予約通りに最前列の席になっていた。

ほっとした。
どういうことだったのだろう、、、結果オーライということで追求はしなかった。

  (後日談)
    サイトで確認した時に指定した座席が埋まっていたのは、
     “私が予約していたから”だった。(ちゃんと予約されていたということ)
    わかれば何でもないことであるが、初心者には非常にわかりにくいと感じた。

さて、安堵していると、
カウンターのスタッフが、「非常脱出する際はご協力ください」という。
搭乗してみると今度はキャビンアテンダントにも同じ事を念押しされた。
そういう席だった。

最前列は前の席がなく少し空間が広い。
背の高い人には足が伸ばせて都合がいいだろう。
最近は、小さな子供連れの利用者も多く、最前列はそうした人たちの「指定席」の感がある。

誰でも広い方がいいのだが。
むずかる子供に閉口することが度々あるが、航空会社の配慮なのかもしれない。

気がかりが難なく片付き、飛行機も順調に離陸した。

飛行機に乗る時には、時間をつぶすのに本を読むことにしている。

これまで読みそびれた本や訪れる先に関連する本を持って乗る。
今回は読みそびれていた2冊。
「夫婦で行くイタリア歴史の街々」と、予備に「夫婦で行くバルカンの国々」に決めた。








去年ギリシャへ旅行した時のこと。
機内で隣り合わせたビジネスマンがiPadminiで映画を見ていた。
画になっていた。
自分もしてみたいと思っていた。

今回の旅行では、初めてiPhoneを持っていく。

ドコモに聞いてもよく理解できなかったので、息子にいろいろと教えてもらった。
そして念のためにと翻訳アプリも入れてもらった。




その際、iPadminiに映画「ローマの休日」と電子書籍「大地の子」をダウンロードしてもらった。




結局は旅行中に見たり読んだりする機会はなかったが。
こんな準備にも心は躍るものだった。


成田空港を発ってフィリピン・マニラ上空までは意外に早いなと思った。

その後のシンガポールまでが意外に長く、まだまだあるなという感じだ。
東京から7時間30分、ようやくシンガポール上空に来た。
海岸に沖待ちしている貨物船が眼下に見える。
着陸寸前になると、見覚えがあるゴルフコースが現れた。


=シンガポールに到着=

チャンギ空港は、荷物受取場所がガラス1枚で外から見えるようになっている。
税関も自己申告で入国は簡単である。
ガラス越しに末っ子の孫娘を見つけた。
女房は走り寄ってガラスをたたきながら再会を喜びあっていた。

タクシーでホテルに向かった。

ママ、長男孫と長女孫はホテルに先回り。
ホテルのチェックインには息子に立ち会うよう予め頼んでおいた。


息子はインドネシアから戻ったばかりだという。

チェックインでは、保証のために予め「クレジットカード」を登録させられた。

カード式のルームキーは4枚あった。
部屋は12歳以下の子供は2人まで無料で一緒に宿泊できることになっている。
ホテルのスタッフはいちいち年を確認するわけではなかった。
末孫娘は通訳として一緒に泊ることになっていた。

<続く>



2013年12月31日火曜日

新宿散歩 ~カレンダーと最中~


昨日は、新宿の書店に来年のカレンダーを買いに出かけた。
どこかに出かける時は、散歩を兼ねているので「意味もなく」歩きまわることも多い。

昨日の新宿でもそうだった。
(ぶらぶらと立ち寄った場所は赤字+下線にしてみる。)


2013年も暮れの新宿

まずは、京王線新宿駅の南口側に出て、代々木駅寄りの紀伊国屋書店まで歩いた。
例年だと、2階の隅に臨時のカレンダー売り場が設けられる。
いつの間にかこのスペースにコーヒーショップができている。
6階のカレンダー売り場に行った。
品数が少なくて、買おう思っていたカレンダーはなかった。

紀伊国屋6階から回廊でつながっている東急ハンズにいく。
ここのカレンダー売り場にも事務用カレンダーと女性向けの物が多いようだった。
一通り見て外に出た。

JR新宿駅を左手に見て、伊勢丹デパートまで歩いた。
出かける前から、伊勢丹デパート地下の和菓子店「仙太郎」で最中を買うつもりだった。
途中、天ぷら屋の前に長い行列ができていた。
中国人観光客のようだった。

伊勢丹の地下に下りると、買い物客で混雑していた。
仙太郎の前にも長い行列ができていた。
一瞬買わずに帰ろうと思ったが、気を取り直して並んだ。
20分程で買うことができた。
3個の最中をショルダーバックに入れた。

エスカレーターに乗って陶器売り場を探した。
来年の干支「午(馬)」を探すためだ。
長男が午年なので、12年に一度だからと思ってJRAの馬の像を買ってあった。
先頃シンガポールに行った際に息子に話してみたが、あまり欲しそうでもなかった。
それでは、とデパートで探してみた。
陶器売り場は伊勢丹本館5階だった。

ガラス製の馬の置物があった。
値段は手頃だったが、気に入るか分からないので買うのをやめた。
反対側の店をみると、マイセンの焼き物の馬があった。
値段は6万円ほどだった。
見るだけにして、紀伊国屋本店に向かった。

4階に臨時のカレンダー売り場
ができていた。
安川電気の安川カレンダー「西海道棟方版画」とレオナード・ウィーバーのカレンダーを買った。





西口の電気量販店を覗いた。
カメラ売り場では、外国人が連れの女性の通訳でミラーレスカメラの説明を受けていた。
2階部分から外に出た。




向かい側の京王デパートの催事場で開かれている「古本市」に寄った。


古本市

一回りして、江戸川乱歩「乱歩随想」、角田房子「甘粕大尉」、渋沢龍雄「サド侯爵の生涯」、
村川堅太郎「地中海からの手紙」を買った。
最近は人物評伝の本を買っている。









喫茶店でコーヒーを飲みたがったが、ゆっくりしている時間もない。
新宿駅西口周辺には好みの喫茶店を知らなかった。
そのまま京王電車に乗った。

紅白歌合戦を見ながらこれを書いている。
2013年の最後のブログだ。

来年もよろしく。




2013年12月16日月曜日

シンガポールへ再び ~明日から~


明日からシンガポールへ旅行する。
飛行機泊を入れて5泊6日である。
今回は、ホテルの宿泊やフライトの手続きまで自分で済ませた。
個人旅行である。


シンガポール共和国は
マレー半島の先っぽあたり

国土は東京23区とほぼ同じ広さ
シンガポール島と周辺の島々の63島からなる

シンガポールには、息子が赴任している。
嫁や孫3人も一緒だ。
孫たちは、現地のインターナショナルスクールに通っている。

前回シンガポールを訪れたのは2012年1月。
   (その時のブログは「私たちのシンガポール①」~「〃⑥」に)
女房が「孫たちの生活を見たい」というので出かけた。
丁度中国の旧正月の時期に当たり、中国人世界の旧正月の過ごし方を垣間見ることができた。

今回2回目のシンガポール行きは、女房が孫に会いたいし成長を見たいというし、

孫たちとの約束もあった。
息子は来年には転勤で日本へ戻りそうだ。



今回のシンガポールは、まずホテルの指定が大前提だ。
マリーナベイ・サンズ・ホテルである。
前回、皆で天空のプールを見るために54階まで上がったが、プールを見ることができなかった。
見えないように囲われていた。
宿泊客しか入れない。
入らないと見えないようになっていた。
孫たちに、「次に来る時はホテルに泊まって、プールに入ろうね」という約束をした。


約束を決行しようと旅行会社のツアーを調べると、精々「2泊」、しかも1泊は到着日である。
これではゆっくりできない。
旅行のサイトを見ていたら、偶然マリーナベイ・サンズ・ホテルの宿泊予約を見つけた。
すかさず予約した。


ホテルの予約確認
何でもネットだ

ホテルの宿泊料(税・サービス料別)
平日 359 S$/泊 週末479 S$/泊

ホテルは、12歳以下の子供は2人まで無料になっている。
チェック・アウトはテレビ画面でできるようになっているらしい。

航空券もインターネットでかなり早くに予約した。
最終的に受け取った「チェックインしてください」のメールでは、予約した座席が変わっていた。
明日、空港カウンターで変更を頼んでみよう。


シンガポール観光は前回行った時に“ある程度”はしている。
今度は、隣のマレーシアに「昼食でも食べに行こうか」と連絡したら、
「マレーシアへの日帰りバスツアー」があるというので、ママ(嫁)が予約してくれた。

孫は上から、長男の高校2年生、長女は高校1年生、次女は小学5年生。
皆逞しくなっているらしい。
はやく会いたいものだ。

飛行機の中で退屈しないように、iPadminiに映画「ローマの休日」をダウ
ンロードした。
電子書籍も一冊ダウンロードした。




それと、いざという時のために翻訳アプリもインストールした。




ちょっといつもとは違う旅になりそうだ。



2013年8月1日木曜日

アンコール遺跡⑦ ~アンコール・ワット~


長い間アンコール・ワットに行きたいと思い続けてきた訳ではない。

6月のある日、インターネットで偶然格安のツアーを見つけた。
アンコール遺跡周辺だけのツアー内容が気に入ったので行くことに決めた。

決めてから、アンコール遺跡についてのガイドブックや本を読み始めた。
読み進んでいく内にアンコール遺跡群へのイメージが大きく膨らんでいった。
宗教とエロス、、、子供たちや友人らに話すことが何となく憚れた。


・・・そういえば、とまた回想。
   1月に行った南イタリアのポンペイ遺跡(79年の噴火で時が止まった街)でも春画の壁画や
   売春宿の表示が街のいたるところにあるのだが、何となくカラリと陽気さがあった。
   春画は家の悪魔除けだったそうで、宗教的な粘質性を感じないからだろうか、、、。
   (ポンペイ遺跡の様子は「神々の国ギリシャ そしてイタリア再び⑧~ポンペイ~」)

アンコール・ワットに戻る。
イメージの膨らみと同時に遺跡の紀行文や学術書も数多く出版されていることが分かった。
自分なりの「アンコール・ワット」を綴ることにする。


【3日目】 2013年7月22日午後 =いざ、魅惑のアンコール・ワットへ=

ベン・メリアから戻るバスでは眠ってしまった。
目を覚ましたら、バスは昼食をとるシェムリアップのレストランに到着していた。

滞在しているホテルの隣のレストランだった。
ツアーの工程表には「フレンチ」と書いてあった。
そういえば、カンボジアはフランス領だった歴史がある。
少々楽しみだ。

フランスパン、美味しい。
フランス保護下の歴史の力か。
スープ
前菜
メインはビーフ
ソースには醤油も
レストランから中庭をみる

食事が終わり、ホテルに帰って一休みした。

さて、いよいよアンコール・ワットだ。


今旅で訪れる遺跡は、順に
(1)ロレイ (2)プリア・コー (3)バコン (4)プラサット・クラバン (5)バンテアイ・スレイ 
(6)東メボン (7)プレ・ループ (8)ベン・メリア (9)アンコール・ワット (10)アンコール・トム
(11)バンテアイ・クデイ (12)タ・プローム  *下線は地図の枠外

アンコール・ワットの概略図
環濠を含んだ大きさは、東西1500m×南北1300m、環濠の幅は190m

= (9)アンコール・ワット =

旅も3日目の午後だ。
雨季だというのにスコールにあっていない。
入道雲の間から熱帯の夏の陽射しが照りつけた。


正門を抜けると濠の対岸にアンコール遺跡が視線に入ってきた。
余剰を考える間もなく、目の前に色彩のない黒い建物が現れた。

「アンコール・ワット」だ。
ガイドブックの写真そのままであった。


参道近くまでバスが入り、ツアー客を降ろすとバスは駐車場に走り去った。
ここで旅の記念写真を取った。



環濠の対岸に見えるアンコールワット
よく見る写真そのままだ。


アンコールワットには西塔門側から入場する。

190メートルの環濠を渡す参道陸橋を渡り終わると、3つの塔門と回廊を持つ周壁だ。
中央の一番大きな塔門が「王の門」西塔門である。
左右の門は兵士の門、左右の端の方には象の門もある。
この周壁は回廊式になっている。

参道は地盤沈下していて、半分はまだ修服されていなかった。

参道の半分は日本の上智大学の協力で修復済み。

西塔門に近づくとワットは姿を消す。

西塔門の前庭
塔の両脇はナーガが護っている。

西塔門から振り返ると大勢の観光客

西塔門から左手に回廊を行った所から。
環濠と先ほど渡ってきた参道が見えている。

西塔門のレリーフの説明があったが、ここでは理解できなかった。
西塔門を脇の出入り口から外に出てみた。
アンコールワットの中央祠堂が斜め右側に見えた。
かつては池だった所に下りて中央祠堂を“つまむ”記念写真を撮る。
観光地ではよくある“おなじみの構図”だ。
(ピサの斜塔を支えるように撮影する、など)
ガイドの知恵の見せどころだが、お遊びといったところだ。


王の塔門から左手の回廊を見る。
回廊に西日が差している。

門(と周壁)にも回廊がある。

塔門のレリーフ
デヴァターが客を出迎えているようだ。
この西塔門付近のどこかに、
「歯を見せてわらうデヴァター」がいるはずだ。

デヴァター、天女の浮き彫り

塔門の回廊から中央祠堂が見える。

アンコールワットでのおなじみのポーズらしい。
中央祠堂の尖塔をつまんでいるよう。

西塔門から中央祠堂が正面に見える。
参道の欄干はナーガ。
ここは前庭にあたり、参道の左右には経蔵と聖池がある。

参道を祠堂へ向かって進むと、
第一回廊に突き当たる。
参道の左右にある経蔵の一つ。
ベンメリアにもあった。

第一回廊には、正面からでなく回り込んで右側(南側)の回廊から入った。
近くに寺院があるのか、僧侶の読経が聞こえてくる。
よく聞くと拡声器から流れてくる。
機械からの音が蒸し暑さを誘うようだった。

アンコール・ワットは、ヒンドゥー教三最高神の中のヴィシュヌ神に捧げられた寺院で、

第18代王スールヤヴァルマン2世が1113年から30年余りの歳月をかけて建立した。
王自らの王廟でもあり、王を埋葬した墳墓であった。
王廟であるため西が正面なのである。
スールヤヴァルマン2世は、このためのモデルとして「ベン・メリア」をつくったともいわれる。

ここで、ヒンドゥー教の三最高神について再度。
   三神一体論にあり、
   最高神は、ブラフマー(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)である。
   どの神も4本の手を持ち、一見すると区別がつきにくいが、
   その持ち物や飾りに大きな違いがあり興味深い。
   ヴィシュヌ神は、「法螺貝」、「棍棒」、「円盤」、「蓮華」の4つの武器を持つ。
   維持を司る神の“武器”に“蓮華の花”とは意味深いものだ。

アンコール朝では、代々の王達は3つの信仰を推進してきた。
「山岳信仰」、「神王崇拝」、「ヒンドゥー教」、である。
そして、数多くの寺院を建造してきた。
寺院は、「須弥山(メルー山)」をイメージして造られた。
須弥山とは、教義の中での「世界の中心」である。
この寺院建設の集大成ともいわれたのが、アンコール・ワットである。
神王崇拝は数々の寺院でも見受けられた。
先王やその后は死後に神や女神となる。
先祖の菩提を弔う寺院は、そのまま神や女神を祀ったものとなるのだ。

さて、見学に戻ろう。

第一回廊の壁面には、神話の世界や王の物語が浮き彫りにされている。
神話、叙事詩、スールヤヴァルマン2世軍隊の行進などの物語のレリーフが
壁面いっぱいに刻まれている。
1階にあたる第一回廊は、神と死後に神となった王の壮大な物語であふれていた。

第一回廊の様子。
写真左手の壁(中央祠堂側)にレリーフ。
配置図を入れておこう。
西面 「ラーマーヤナ」 「マハーバーラタ」
南面 「偉大な王の歴史回廊」 「天国と地獄」
東面 「乳海攪拌」 「阿修羅に対するヴィシュヌ神の勝利」
北面 「バーナに対するクリシュナの勝利」 「神々の戦い」

レリーフはこんな感じだ。
スールヤヴァルマン2世の行軍
この部分の兵士はクメール人でなく先導する傭兵部隊のシャム兵士
脇見をしたり泣いていたりして行軍が乱れているのが面白い
一方クメール人の兵士はきりっと集中して描かれている

こちらは「天国と地獄」
3段になっていて、上段が天国、中段が現世、下段が地獄
下段の地獄では数珠繋ぎの罪人が逆さ吊りにされたり
様々な仕置きを受けている

踏み潰された罪人

数珠繋ぎの罪人が引っ張られ踏まれている
左の獄吏は大きな棍棒を振りかざしている

棍棒で打たれ、足にすがりつく罪人もいる

回廊に珍客が。
ここに住み着いている猿らしい。
アンコール・ワットは森の中にあるのだった。

アンコール・ワットに来るまでは、「乳海撹拌」がよくわからなかった。
レリーフを前に、ガイドの説明を聞きながら解説書を思い出していた。

ヒンドゥー教の天地創造の神話である。

  昔、活力を失った神々を甦らせるために、ヴィシュヌ神が知恵を授けて、
  神々と魔神・阿修羅が協力し「不老不死の霊薬(アムリタ)」を作ることになった。
  大海に薬草を入れて、撹拌棒として「マンダラ山」を用い、

  この山に竜王ヴァースキを巻きつけて曳き綱として神々と阿修羅で曳き合った。
  大海は攪拌され乳海となり、様々なものを生み出した。
  神酒、太陽、月、宝石、家畜、、、。
  ヴィシュヌ神の妃となったラクシュミーもここで生まれている。
  最後に、アムリタを入れた壺があらわれた。
  このアムリタを阿修羅が奪って逃げたが、ヴィシュヌ神が天女に変身して阿修羅をたぶらかし、
  アムリタを奪い返して神々に与えた、という神話である。

中央が軸のマンダラ山とヴィシュヌ神
マンダラ山を支えているのは大亀クールマ(ヴィシュヌの化身)
神々(右)と阿修羅(左)が左右に分かれて綱のヴァースキを曳く
上の方には大海から生まれたアプサラが

この神話のモチーフは様々な遺跡で多数みることができる。
アンコール・ワットの乳海攪拌のレリーフは50メートルに及ぶ大作だった。

第二回廊の方へ進むと、“日本人の落書き”の痕を見た。
この落書きは有名な話である。
落書きといっても、時は江戸時代のものだから相当古い。
その頃にはクメール王国は滅亡しており、アンコール・ワットは廃墟となっていた。
廃墟、過日の王都を日本人が訪れていたのだった。
今ではほとんど消されているが、第一回廊と第二回廊の間には12ヵ所あったという。
「森本」と読めないこともない。
森本右近太夫のことである。
寛永9年正月、西暦1632年のものだ。

森本右近太夫は、父の菩提を弔うため
祇園精舎を目指し、ここに辿り着いた。

「千里の海を越えてやってきた。」
「仏像を4体奉納した。」
などと書いてあった。

第二回廊は、デヴァター(女官、踊り子、天女)の像が多い。

一つとして同じ顔がなく、当時の宮廷の女官などがモデルになったと言われている。
建物の外壁にも浮き彫りがあった。


あらゆる所にデヴァターの像がある。
しかしそれは、全て中央祠堂もしくは参道に向けている。

様々な表情、ポーズのデヴァター。

第二回廊を出ると、第三回廊が目の前にそびえていた。
より天に近い造りになっていた。
第二回廊からは13メートル高い第三回廊へは約70度の急な階段があった。
(中央祠堂の全高さは約65メートル。)
今は修復中で登ることはできない。
ガイドの説明では、
昔は仏像が安置されていたが、今は何もなく吹き抜けになっている、とのことだった。


中央祠堂
第三回廊の基盤の上にそびえている。

祠堂の妻レリーフ
レリーフを取り巻いているのは大蛇ナーガだ

ピエール・ロティ著、「アンコール詣で」によると、
今から約100年前のアンコール・ワットは、天井に蝙蝠がビロードのようにぶら下がっていた。
床は蝙蝠の糞が堆積していて、つるつる滑ったとある。
近くに住む人たちが、祠堂内の仏様にお参りにきている、ともあった。


お布施をしてお参りした。



一回りして外に出たら雨が降りだした。

傘を出している間もなく、土砂降りになった。
バスに辿り着いた時は皆ずぶ濡れだった。

予定ではこの後に、「アプサラ」の舞踊を鑑賞しながらのディナーだった。
会場に行く前に一度ホテルに戻って着替えをすることになった。


午後730分からの開演だったが、会場に着いた時には既に始まっていた。
食事はバイキングだったが、ほとんど食べるものはなくなっていた。
ドリンクを注文したが届かなかった。
1時間の踊りが終わり、舞台に上がってアプサラの踊り子と記念写真を撮った。


  「アプサラ」について・・・
  アプサラは、9世紀頃に生まれたカンボジアの伝統的な宮廷舞踏である。
  「天女、天使」を意味し、アンコール遺跡のレリーフにもデヴァターとして数多く登場する。
  乳海攪拌で生まれたアプサラス(水の精)で、ラーマーヤナではアプサラーと呼ばれている。




アプサラの踊り子と。



<続く>