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2014年1月14日火曜日

シンガポールへ再び⑧ ~「プラナカン」~


4日目】20131220

=ルーツ「プラナカン」=

午前中は、プラナカン博物館の見学をした。
シンガポールに来る前は、ミュージアムの見学というので美術館に行くのかなと思っていた。

朝の食事は、前夜マレーシアからの帰りにショッピングモールのコンビニに立ち寄って、

手巻き寿司の弁当やパンを買っておいた。
午前10時ママが迎えに来る前に部屋で済ませておいた。


長男孫と上孫娘を部屋に残して、ママと末孫娘の4人でバスでミュージアムに出かけた。
このミュージアムはママのおすすめである。


ベイサンズシアターから133系統のバスで3つ目
そこから歩いて4~5分程度

プラナカン博物館

プラナカン博物館はこじんまりとした愛らしい建物だった。
ミュージアムに入場すると、1階の広いエントランスで日本語ガイドが説明を始めた。
我々の他に4人の見学者が一緒だった。
日本語ガイドは日本人のボランティアで、決まった時間に来場者がいれば案内しているという。
案内は無料で日本語のガイドは火曜日と金曜日に行われるそうだ


ママの友人が最近このガイドのボランティアを始めたらしい。

練習のためにママが俄か入場者になったことがあ、この博物館を知ったという訳だった。
友人との関係もあって我々を案内したかったと推察した。

ガイドの説明は、「シンガポール人(?)のルーツ」から始まった。
シンガポール人の顔写真が壁一面にデスプレーされた部屋で説明を受けた。
顔写真は、この博物館の名前にもなっている「プラナカン Peranakan」と呼ばれる人たちだ。


壁一面にプラナカンの顔、顔、顔、、

ガイドさんの説明に後付の知識を加えてみると、
プラナカンとはマレー語で「地元生まれの子」、「子孫、末裔」を意味する。
季節風が交差するこの地では交易が盛んで、
中国やインドから貿易商などがビジネスをしにやってきた。
その人たちの中で、この地に残り現地の女性と結婚して根付いていった人たちを祖先に持つ。

15世紀頃のことで、日本でいうと室町から戦国時代へという時代。
プラナカンの祖先は海を渡って商売をする15世紀の逞しいビジネスマン。
きっと熱意と能力のある人たちだったのだろう。
貿易で財をなし、華やかなプラナカン文化を築いていった。
当時のセレブリティたちが祖先とあって、シンガポールでは今もエリート層を形成しているようだ。
ちなみに、男は「ババ」、女は「ニョニャ」といい、「ババ・ニョニャ」の別名もあるそうだ。

マレーシアのマラッカでもプラナカンが築いた街だと聞いたばかりだった。
ポルトガルやオランダの占領下で逞しくビジネスをつくりあげた豪商たちがマレー半島一体で活躍していたのだろう。

プラナカンにとって重要なことは儀式であって、特に結婚式を重視するらしい
面白いと思ったのは
日本でいう結納で貰ったものの内、豚足などの食べ物は頂いた残りを返していたということだ。
後で調べてみると、返すことは花婿を家族の長と認めたことを意味するようだった。
結婚式は楽団が演奏する中12日間に亘って様々な儀式が行われる、とあった。

花婿は1618歳、花嫁は1416歳が適齢。
その歳までに、
男の子は立派な社会人となるための英才教育(中国の古典や外国語等)を、
女の子はまさに外出禁止の「箱入り娘」として花嫁修業(礼儀作法、裁縫、ビーズ刺繍、料理等)に勤しんだそうだ。
しっかり教育された初々しい男女が立派に所帯を持つ、とは何やら新鮮味を感じる。

博物館に話を戻そう。
ビーズ刺繍や衣装、家具などを展示し、当時の生活様式文化先祖崇拝などの宗教そして食文化を紹介しいた。
目を見張るような精密で華麗なビーズ刺繍、最近は材料が手に入らず「衰退」しているという。
食事などに使う食器などは中国の景徳鎮に注文して作っていたという。


ガイドさんがiPadを使って説明

プラナカン 資産家一家

極小のビーズで刺繍した履物

鮮やかな織りの絨毯

結婚の際の結納の食品 豚足など

半分ほどは返した
家長として認める儀式

中国の景徳鎮に注文した食器類

生活用品も手がこんでいる

新婚さんのベット

豪華な仏壇

当時の台所

iPadを使いながらのガイドさんの案内は45分程で終わった。

博物館の入口横にあるショップに寄った。
品数は少なかったが、華やかな雑貨などがあり、女性向きかなと思った。
残念ながら自分に合う物は見つからなかった。
ママが国立博物館のショップに行けば何か見つかるかもしれないという。
すぐ近くらしい。
向かうことにした。
プラナカン博物館から歩いてほどなく立派な博物館が現れた。




正面脇にある通用門から入ると、レストランやカフェそれにミュージアムショップがあった。
店内を一回りして、ガラスでできたコースターを買うことにした。
2個をレジに持っていくと、レジ係が売り場に戻ってさらに2個持ってきた。
4個1組だったのだ。
帰国してからよく見てみると、コースターではなく写真飾りだった。


国立博物館

昼食の場所へバスで行く。
国立博物館の道路を挟んで反対側にバス停があった。
行き先のバスがなかなか来なかった。
ママと女房はベンチに座って世間話をしているのか。
バスを待つまわりの風景をカメラに収めた。


全身広告のラッピングバス

こちらは2階建てバス

バス停付近

Singapore Management University
ビジネス大学

やって来るバスはどれも車体にカラフルな広告が書かれている。
2階建てバスが走っている。
トナカイの角を付けたマイカーが走ってくる。
カメラを向けると手を振っていた。
フロントには「赤い鼻」がつけてあった。
車の向う法科大学の表示板が見える。
バス停の後ろがビジネス大学
この辺りは文教地区になっているようだ
人通りが少ない。

しばらくしてバスが来た。
話に夢中になっている2人に声をかけて飛び乗った。
どこに行くのか、、例によってわかっていない。
ママの案内だ。
バスを降りる頃、雨が降り始めた。
川が流れていて風情ある風景だ。
急いで橋を渡って向こう岸に行き、建物の中を通りながら目的の店に着いた。


国立博物館前から4つ目の停留所で下車
川向こうのお店に急いだ

川に面したレストランへ

なかなか風情のある景観だった

お店の名は「エピキュリアス(epicurious)」。
シンガポール川に面して洒落た店が立ち並ぶ「ロバートソン・キー」というエリアにあった。
レストランというか、ヨーロッパ式のデリカ&カフェという小さなお店だった。
雰囲気は英国風だろうか。
長男孫が時折友達と来る店だという。
現地のたちがゆっくりランチをしていた。

ホテルから来ることになっている孫2人を待った。
地下鉄で来たというが、駅から時間がかかったらしい。


孫が来た経路
ベイフロント駅でダウンタウン線に乗り、
3つ目のチャイナタウン駅から歩いてきたようだ

揃ったところで注文した。
私はサラダとオムレツ、それにカプチーノを頼んだ。
どれも美味しかった
店をには雨は小降りになっていた。


カプチーノ

オムレツ 美味しかった

ところで孫たちは今回方々に出歩くので折り畳みの傘を買ったという。
私が、“シンガポールは雨季だしな”と来る前に日本で買った傘は500円だった。
孫たち傘とたまたまメーカーが同じったこともあって値段を聞いたら4000円だった。
帰るに置き土産としてきた


左の青:日本で500円
右のピンク:シンガポールで4000円
<続く>


2014年1月12日日曜日

シンガポールへ再び⑦ ~世界遺産マラッカ~


3日目】20131219

=マラッカ料理=

午後1時前、ようやくマラッカに到着した。
バスは高速道路から降りて市街地を走り、レストランに急いだ。


高速道路から降りて、、

レストランへと急ぐ

通りのマンゴーの木に実がなっていた

マラッカ 昼食のレストラン

約束の時間に遅れていた。
席に着くと間もなく料理が次々に運ばれてきた。
どれもマレーア料理だそうだ。
説明を聞いたが、名前は忘れてまった。
飲み物はココヤシのジュースを頼んだ。
取りたてて美味しいと印象に残る料理はなかった
中華料理味付けを濃くしたような感じだった。
1時間で食事は終わった。






ココナッツ

デザートの氷菓子

狭いマイクロバスでは乗り合わせてもお互いに背中を見ているばかりで話もしていない。
テーブルについてやっと顔を見せて座った
料理を食べながら簡単な自己紹介をした。
一緒の中年の女性は、ご主人海外駐在が長く、シンガポールには2度目の駐在だそう
18年前にご主人と車で来たことのあるマラッカにもう一度来てみた、と話していた
もう1人の若い女性は親しい友人を訪ねてシンガポールに来ており、昼間は友人が仕事なので自分は遠出してマラッカに来た、ということだった

レストランから外に出ると、真夏ような太陽が照りつけて暑かった
ガイドは33度と言う。
ガイドの話が続く。
この地域では、北東の風が吹くと暑さは和らぐ。
昔は、マラッカ海峡を通る船は北東の風を待って出航して行ったといっていた。


私は海外旅行をするに事前に現地情報を準備はしない。
今回もマラッカといえば、海峡があるだけかと思っていた。
ガイドにマラッカ海峡を見に行くのですか、と質問した。
「教会のある高台に行けば見えますよ」、と素っ気無い返事が返ってきた

見学していくうちにマラッカには古い歴史があることが段々と分かるのだが、

この段階ではまだ海峡がある街という程度にしか思っていなかった。
前回にも書いたが、そもそも孫たちの「ちょっとマレーシアにランチ」という気軽さがマレーシア行きの発端だ。
何となく「しっかりと観光」というよりも「ふらりと街歩き」的に気軽に構えすぎていた。


=世界遺産の観光=


レストランの前での記念撮影が終わって観光がはじまった。
来た道を戻っているようだった。
レストランは新市街地にあって旧市街地歴史地区に行くのかなと漠然と想像していた

この辺から記憶が曖昧になる。
見学した順序の記憶が漠然としている。
カメラで撮った写真の順番を頼りに書き進めていくことにする。
(気軽に構えすぎてブログを書くのにも一苦労だ、、、。)


とりあえず、マラッカ海峡

<マレーシア最古の中国仏教寺院>

最初は「中国の寺」を見学した。
マレーシア最古の中国仏教寺院「チェン・フーン・テン 青雲亭」だ。
やはり、内陸からではなく海から伝来者はやってくるのだな、と感じた。

中国式のお参りは、横浜の中華街で友人に教えて貰ったことがある。
基本は同じだった。
「青雲亭」では、お線香はお参りする人たちがまとめて買い求めて置いておくらしい。
知らずに線香に火を付けてお参りしようとして窘められた


チャイナタウンへ

中国寺院「青雲亭」

線香などを売っている

祭壇

<インド人イスラム教のモスク>


次にインド人のイスラム教徒が建てた寺院「カンポン・クリン・モスク」を見学した。
中に入ることはせずに外観を見ただけだった。
ちょっと中を見たかった。


後ろにミナレットが見えた



<マレーシア最古のヒンドゥー寺院>


次にマレーシア最古のヒンドゥー教寺院を見た。
「スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ」寺院。
見たという言葉通りに道路から建物正面を見ながら前を通っただけだった。
神聖な場所ゆえ、中への立ち入りは禁止のようだ。




中国仏教寺院、イスラム教のモスク、ヒンドゥー教寺院、、と1つの通りに並んでいる。
ガイドさんは何も触れなかったが、後から調べてみると、
この通りを地元では「ハーモニーストリート」と呼んでいるそうだ。
異なる宗教の寺院が仲良く並存しているところからの呼称らしい。


<古いショップハウス:商店街散策>


昔のショップハウスを見て歩く。
ショップハウスは、通常1階が商店、2階が住居という古くからの商店街だ。
古い町屋風の建物が軒を並べている。

途中で花で飾り付けられたシクロ(東南アジアではよく見かける人力車)を修理していた。
マレーシアでは人力車を「トライショー」という。
マラッカのものが最も華やかなのだとか。

近隣を漫ろ歩きしながらお土産や正月飾りを見たりした。
狭い通りを時々車がスピードを落とさずに走り去る。
ガイドの目配りは大変そうだ。


ショップハウス

古い街並み

飾り付けられた「トライショー」、修理中

寺院への花などを売っている

ドリアンも

前方はチャイナタウン

<オランダ広場>


マラッカ川を渡るとオランダ広場に出た。
濃い目のピンク色が目に飛び込んでくる。


マラッカ川

オランダ広場

まずは中心の「スタダイス(オランダ語で議事堂・市役所の意)」。
1650年頃に建てられたオランダ様式の旧総督府。
オランダ統治時代の総督住居して建てられた。
マラッカの街のシンボルだそうだ。
現在はマラッカ王国時代からの歴史博物館となって公開されているらしい。
訪れた時は修復中で覆かかっていた。


スタダイスのお化粧直し

正面に向かって左には教会がある。
結婚式も行われるという。
丁度ロータリーで花嫁花婿姿の写真を撮っていた。
下はジーパンだった。

右脇の通りに沿って人力車がいっぱい止まって客待ちをしていた。

のんびりしていた。
こんな状態で生活できるのだろうかと考えてしまった。


プロテスタント教会「ムラカ・キリスト教会」

花婿花嫁さんの撮影

日陰ではトライショーが客待ち

<セント・ポール教会>

人力車の前を回り込むように進む。
廃墟のような階段があり、登っていくと教会だった。
セント・ポール教会。

ポルトガル支配の頃、マラッカはヨーロッパの宣教師たちの活動拠点だった。
セント・ポール教会は1521年にポルトガル軍によって建てられた。
日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエルが1545年~1552年に度々ここを訪れたそうだ。
ザビエルの遺骨が9か月間ここに安置された後、インドのゴアに移された。

坂を登りきると、ザビエルの像があった。
安置されていたお墓の跡は、上から金網で厳重に覆われていた。
ここは賽銭を入れてお祈りする人が多いようだ。
カメラの望遠で覗くとお金がいっぱいになっていた。
どうやって取るのか心配になった。

教会からマラッカの海が見えた。
夕日が美しいという。
ガイドさんが記念撮影をしてくれる。

ポイントにくると必ず全員の写真を撮ってくれる。
見ていると、その方が時間が節約できることがわかった。
帰りは裏側から緩い坂を下りた。


教会への登り途中にあった16世紀の石

崩壊寸前のような教会が、、

埋葬者の碑

ザビエルの聖骸が安置されていた地下室

賽銭を入れる口

カメラの望遠でのぞくと、、

教会から新市街地を眺める
眺望はよい

<ファモサ サンチャゴ砦>


見学している時には何という場所かよくわからなかった。
今ブログを書きながらガイドブックを見ると、
大砲が展示してあったのでファモサと呼ばれる「サンチャゴ砦」だとわかった。
1511年、侵略したポルトガル軍が築いた要塞の跡ということだ。


古めかしい雰囲気はあった

大砲が展示してあった

<マラッカ王宮博物館>


王宮博物館に入場した。
現地でとれる立派な木材を使った大きな建物だ。
14世紀初頭のマラッカ王国宮殿のレプリカだそうだ。
観光客目当てに作ったのは明らかだった。
中には当時の王宮や庶民の生活を等身大の人形で再現した展示が多かった。
展示は立派な建物に負けているように感じた。


14世紀の王宮を復元した博物館

当時の様子を人形で再現
これは王への謁見か



見学が終わって広場に出た
暑かった。
冷えた飲み物を売っていたおばさんから皆が水のボトルなどを買った

<お土産センター>  


観光はこれで終了のようだ。
後はお土産屋に案内するという。
大きな建物だった。

日持ちするクッキーやチョコレート、それに日用雑貨類ばかりだった。
記念のグッズが何かあるのでは、と期待していたが、何もなかった。
チャイナタウンかオランダ広場で何か買っておけばよかったと後悔した。
クッキーとチョレート味のお菓子を買った。


お土産センター カラフルだ

広い店内の様子
何となく異世界

=シンガポールへもどる=

時間は3時半頃だったと思う。
これからシンガポールに向けてひた走ることになる。

観光のオフ・シーズンなんだろうか。
他の観光客の姿も目にしなかった。
繁栄を極めた往時の面影を探すには勉強不足を感じた。

シンガポールに近づくまでほとんど寝ていた。
夕闇の鉄橋の脇を列車が走っていた。


列車を撮ろうとしたが、、
通過してしまった

夜のシンガポール きらびやか

夕食はショッピングモールのフードコートで

ショッピングモールの天上から水が噴出した
逆噴水

<続く>