【3日目】2013年12月19日
=マラッカ料理=
午後1時前、ようやくマラッカに到着した。
約束の時間に遅れていた。
席に着くと間もなく料理が次々に運ばれてきた。
席に着くと間もなく料理が次々に運ばれてきた。
どれもマレーシア料理だそうだ。
説明を聞いたが、名前は忘れてしまった。
飲み物はココヤシのジュースを頼んだ。
説明を聞いたが、名前は忘れてしまった。
飲み物はココヤシのジュースを頼んだ。
取りたてて美味しいと印象に残る料理はなかった。
中華料理の味付けを濃くしたような感じだった。
狭いマイクロバスでは乗り合わせてもお互いに背中を見ているばかりで話もしていない。
テーブルについてやっと顔を見せて座った。
料理を食べながら簡単な自己紹介をした。
一緒の中年の女性は、ご主人の海外駐在が長く、シンガポールには2度目の駐在だそう。
18年前にご主人と車で来たことのあるマラッカにもう一度来てみた、と話していた。
もう1人の若い女性は、親しい友人を訪ねてシンガポールに来ており、昼間は友人が仕事なので自分は遠出してマラッカに来た、ということだった。
レストランから外に出ると、真夏のような太陽が照りつけて暑かった。
ガイドは33度だと言う。
ガイドの話が続く。
この地域では、北東の風が吹くと暑さは和らぐ。
昔は、マラッカ海峡を通る船は北東の風を待って出航して行ったといっていた。
私は海外旅行をする時に事前に現地情報を準備はしない。
昔は、マラッカ海峡を通る船は北東の風を待って出航して行ったといっていた。
私は海外旅行をする時に事前に現地情報を準備はしない。
今回もマラッカといえば、海峡があるだけかと思っていた。
ガイドにマラッカ海峡を見に行くのですか、と質問した。
「教会のある高台に行けば見えますよ」、と素っ気無い返事が返ってきた。
見学していくうちにマラッカには古い歴史があることが段々と分かるのだが、
この段階ではまだ海峡がある街という程度にしか思っていなかった。
見学していくうちにマラッカには古い歴史があることが段々と分かるのだが、
この段階ではまだ海峡がある街という程度にしか思っていなかった。
前回にも書いたが、そもそも孫たちの「ちょっとマレーシアにランチ」という気軽さがマレーシア行きの発端だ。
何となく「しっかりと観光」というよりも「ふらりと街歩き」的に気軽に構えすぎていた。
=世界遺産の観光=
レストランの前での記念撮影が終わって観光がはじまった。
何となく「しっかりと観光」というよりも「ふらりと街歩き」的に気軽に構えすぎていた。
=世界遺産の観光=
レストランの前での記念撮影が終わって観光がはじまった。
来た道を戻っているようだった。
レストランは新市街地にあって旧市街地の歴史地区に行くのかなと漠然と想像していた。
レストランは新市街地にあって旧市街地の歴史地区に行くのかなと漠然と想像していた。
この辺から記憶が曖昧になる。
見学した順序の記憶が漠然としている。
見学した順序の記憶が漠然としている。
最初は「中国の寺」を見学した。
マレーシア最古の中国仏教寺院「チェン・フーン・テン 青雲亭」だ。
やはり、内陸からではなく海から伝来者はやってくるのだな、と感じた。
やはり、内陸からではなく海から伝来者はやってくるのだな、と感じた。
中国式のお参りは、横浜の中華街で友人に教えて貰ったことがある。
基本は同じだった。
基本は同じだった。
「青雲亭」では、お線香はお参りする人たちがまとめて買い求めて置いておくらしい。
知らずに線香に火を付けてお参りしようとして窘められた。
<インド人イスラム教のモスク>
次にインド人のイスラム教徒が建てた寺院「カンポン・クリン・モスク」を見学した。
中に入ることはせずに外観を見ただけだった。
ちょっと中を見たかった。
チャイナタウンへ |
中国寺院「青雲亭」 |
線香などを売っている |
祭壇 |
<インド人イスラム教のモスク>
次にインド人のイスラム教徒が建てた寺院「カンポン・クリン・モスク」を見学した。
中に入ることはせずに外観を見ただけだった。
ちょっと中を見たかった。
「スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ」寺院。
見たという言葉通りに道路から建物正面を見ながら前を通っただけだった。
神聖な場所ゆえ、中への立ち入りは禁止のようだ。
見たという言葉通りに道路から建物正面を見ながら前を通っただけだった。
神聖な場所ゆえ、中への立ち入りは禁止のようだ。
中国仏教寺院、イスラム教のモスク、ヒンドゥー教寺院、、と1つの通りに並んでいる。
ガイドさんは何も触れなかったが、後から調べてみると、
この通りを地元では「ハーモニーストリート」と呼んでいるそうだ。
異なる宗教の寺院が仲良く並存しているところからの呼称らしい。
<古いショップハウス:商店街散策>
昔のショップハウスを見て歩く。
ショップハウスは、通常1階が商店、2階が住居という古くからの商店街だ。
古い町屋風の建物が軒を並べている。
途中で花で飾り付けられたシクロ(東南アジアではよく見かける人力車)を修理していた。
マレーシアでは人力車を「トライショー」という。
マラッカのものが最も華やかなのだとか。
近隣を漫ろ歩きしながらお土産や正月飾りを見たりした。
狭い通りを時々車がスピードを落とさずに走り去る。
ガイドの目配りは大変そうだ。
ショップハウス |
古い街並み |
飾り付けられた「トライショー」、修理中 |
寺院への花などを売っている |
ドリアンも |
前方はチャイナタウン |
<オランダ広場>
マラッカ川を渡るとオランダ広場に出た。
濃い目のピンク色が目に飛び込んでくる。
マラッカ川 |
オランダ広場 |
まずは中心の「スタダイス(オランダ語で議事堂・市役所の意)」。
1650年頃に建てられたオランダ様式の旧総督府。
オランダ統治時代の総督住居として建てられた。
マラッカの街のシンボルだそうだ。
現在はマラッカ王国時代からの歴史博物館となって公開されているらしい。
正面に向かって左には教会がある。
結婚式も行われるという。
丁度ロータリーで花嫁花婿姿の写真を撮っていた。
丁度ロータリーで花嫁花婿姿の写真を撮っていた。
下はジーパンだった。
右脇の通りに沿って人力車がいっぱい止まって客待ちをしていた。
のんびりしていた。
右脇の通りに沿って人力車がいっぱい止まって客待ちをしていた。
のんびりしていた。
<セント・ポール教会>
人力車の前を回り込むように進む。
廃墟のような階段があり、登っていくと教会だった。
セント・ポール教会。
ポルトガル支配の頃、マラッカはヨーロッパの宣教師たちの活動拠点だった。
セント・ポール教会は1521年にポルトガル軍によって建てられた。
日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエルが1545年~1552年に度々ここを訪れたそうだ。
ザビエルの遺骨が9か月間ここに安置された後、インドのゴアに移された。
坂を登りきると、ザビエルの像があった。
安置されていたお墓の跡は、上から金網で厳重に覆われていた。
ここは賽銭を入れてお祈りする人が多いようだ。
カメラの望遠で覗くとお金がいっぱいになっていた。
どうやって取るのか心配になった。
人力車の前を回り込むように進む。
廃墟のような階段があり、登っていくと教会だった。
セント・ポール教会。
ポルトガル支配の頃、マラッカはヨーロッパの宣教師たちの活動拠点だった。
セント・ポール教会は1521年にポルトガル軍によって建てられた。
日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエルが1545年~1552年に度々ここを訪れたそうだ。
ザビエルの遺骨が9か月間ここに安置された後、インドのゴアに移された。
坂を登りきると、ザビエルの像があった。
安置されていたお墓の跡は、上から金網で厳重に覆われていた。
ここは賽銭を入れてお祈りする人が多いようだ。
カメラの望遠で覗くとお金がいっぱいになっていた。
どうやって取るのか心配になった。
教会からマラッカの海が見えた。
夕日が美しいという。
ガイドさんが記念撮影をしてくれる。
ポイントにくると必ず全員の写真を撮ってくれる。
見ていると、その方が時間が節約できることがわかった。
帰りは裏側から緩い坂を下りた。
教会への登り途中にあった16世紀の石 |
崩壊寸前のような教会が、、 |
埋葬者の碑 |
ザビエルの聖骸が安置されていた地下室 |
賽銭を入れる口 |
カメラの望遠でのぞくと、、 |
教会から新市街地を眺める 眺望はよい |
<ファモサ サンチャゴ砦>
見学している時には何という場所かよくわからなかった。
今ブログを書きながらガイドブックを見ると、
大砲が展示してあったのでファモサと呼ばれる「サンチャゴ砦」だとわかった。
1511年、侵略したポルトガル軍が築いた要塞の跡ということだ。
古めかしい雰囲気はあった |
大砲が展示してあった |
<マラッカ王宮博物館>
王宮博物館に入場した。
現地でとれる立派な木材を使った大きな建物だ。
14世紀初頭のマラッカ王国宮殿のレプリカだそうだ。
観光客目当てに作ったのは明らかだった。
中には当時の王宮や庶民の生活を等身大の人形で再現した展示が多かった。
展示は立派な建物に負けているように感じた。
暑かった。
冷えた飲み物を売っていたおばさんから皆が水のボトルなどを買った。
<お土産センター>
観光はこれで終了のようだ。
後はお土産屋に案内するという。
大きな建物だった。
日持ちするクッキーやチョコレート、それに日用雑貨類ばかりだった。
記念のグッズが何かあるのでは、と期待していたが、何もなかった。
チャイナタウンかオランダ広場で何か買っておけばよかったと後悔した。
クッキーとチョレート味のお菓子を買った。
冷えた飲み物を売っていたおばさんから皆が水のボトルなどを買った。
<お土産センター>
観光はこれで終了のようだ。
後はお土産屋に案内するという。
大きな建物だった。
日持ちするクッキーやチョコレート、それに日用雑貨類ばかりだった。
記念のグッズが何かあるのでは、と期待していたが、何もなかった。
チャイナタウンかオランダ広場で何か買っておけばよかったと後悔した。
クッキーとチョレート味のお菓子を買った。
=シンガポールへもどる=
時間は3時半頃だったと思う。
これからシンガポールに向けてひた走ることになる。
観光のオフ・シーズンなんだろうか。
他の観光客の姿も目にしなかった。
繁栄を極めた往時の面影を探すには勉強不足を感じた。
時間は3時半頃だったと思う。
これからシンガポールに向けてひた走ることになる。
観光のオフ・シーズンなんだろうか。
他の観光客の姿も目にしなかった。
繁栄を極めた往時の面影を探すには勉強不足を感じた。
シンガポールに近づくまでほとんど寝ていた。
夕闇の鉄橋の脇を列車が走っていた。
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