【4日目】2013年12月20日
=ルーツ「プラナカン」=
午前中は、「プラナカン博物館」の見学をした。
シンガポールに来る前は、ミュージアムの見学というので美術館に行くのかなと思っていた。
午前中は、「プラナカン博物館」の見学をした。
シンガポールに来る前は、ミュージアムの見学というので美術館に行くのかなと思っていた。
朝の食事は、前夜マレーシアからの帰りにショッピングモールのコンビニに立ち寄って、
手巻き寿司の弁当やパンを買っておいた。
午前10時頃ママが迎えに来る前に部屋で済ませておいた。
長男孫と上孫娘を部屋に残して、ママと末孫娘の4人でバスでミュージアムに出かけた。
プラナカン博物館はこじんまりとした愛らしい建物だった。
ミュージアムに入場すると、1階の広いエントランスで日本語ガイドが説明を始めた。
ミュージアムに入場すると、1階の広いエントランスで日本語ガイドが説明を始めた。
我々の他に4人の見学者が一緒だった。
日本語ガイドは日本人のボランティアで、決まった時間に来場者がいれば案内しているという。
案内は無料で、日本語のガイドは火曜日と金曜日に行われるそうだ。
ママの友人が最近このガイドのボランティアを始めたらしい。
練習のためにママが俄か入場者になったことがあり、この博物館を知ったという訳だった。
友人との関係もあって我々を案内したかったと推察した。
案内は無料で、日本語のガイドは火曜日と金曜日に行われるそうだ。
ママの友人が最近このガイドのボランティアを始めたらしい。
練習のためにママが俄か入場者になったことがあり、この博物館を知ったという訳だった。
友人との関係もあって我々を案内したかったと推察した。
ガイドの説明は、「シンガポール人(?)のルーツ」から始まった。
シンガポール人の顔写真が壁一面にディスプレーされた部屋で説明を受けた。
ガイドさんの説明に後付の知識を加えてみると、
プラナカンとはマレー語で「地元生まれの子」、「子孫、末裔」を意味する。
季節風が交差するこの地では交易が盛んで、
中国やインドから貿易商などがビジネスをしにやってきた。
その人たちの中で、この地に残り現地の女性と結婚して根付いていった人たちを祖先に持つ。
15世紀頃のことで、日本でいうと室町から戦国時代へという時代。
プラナカンの祖先は海を渡って商売をする15世紀の逞しいビジネスマン。
きっと熱意と能力のある人たちだったのだろう。
貿易で財をなし、華やかなプラナカン文化を築いていった。
当時のセレブリティたちが祖先とあって、シンガポールでは今もエリート層を形成しているようだ。
ちなみに、男は「ババ」、女は「ニョニャ」といい、「ババ・ニョニャ」の別名もあるそうだ。
マレーシアのマラッカでもプラナカンが築いた街だと聞いたばかりだった。
ポルトガルやオランダの占領下で逞しくビジネスをつくりあげた豪商たちがマレー半島一体で活躍していたのだろう。
ポルトガルやオランダの占領下で逞しくビジネスをつくりあげた豪商たちがマレー半島一体で活躍していたのだろう。
プラナカンにとって重要なことは儀式であって、特に結婚式を重視するらしい。
面白いと思ったのは、
日本でいう結納で貰ったものの内、豚足などの食べ物は頂いた残りを返していたということだ。
日本でいう結納で貰ったものの内、豚足などの食べ物は頂いた残りを返していたということだ。
後で調べてみると、返すことは花婿を家族の長と認めたことを意味するようだった。
結婚式は楽団が演奏する中12日間に亘って様々な儀式が行われる、とあった。
花婿は16~18歳、花嫁は14~16歳が適齢。
その歳までに、
男の子は立派な社会人となるための英才教育(中国の古典や外国語等)を、
女の子はまさに外出禁止の「箱入り娘」として花嫁修業(礼儀作法、裁縫、ビーズ刺繍、料理等)に勤しんだそうだ。
しっかり教育された初々しい男女が立派に所帯を持つ、とは何やら新鮮味を感じる。
博物館に話を戻そう。
ビーズ刺繍や衣装、家具などを展示し、当時の生活様式や文化、先祖崇拝などの宗教、そして食文化を紹介していた。
目を見張るような精密で華麗なビーズ刺繍、最近は材料が手に入らず「衰退」しているという。
目を見張るような精密で華麗なビーズ刺繍、最近は材料が手に入らず「衰退」しているという。
食事などに使う食器などは中国の景徳鎮に注文して作っていたという。
ガイドさんがiPadを使って説明 |
プラナカン 資産家一家 |
極小のビーズで刺繍した履物 |
鮮やかな織りの絨毯 |
結婚の際の結納の食品 豚足など |
半分ほどは返した 家長として認める儀式 |
中国の景徳鎮に注文した食器類 |
生活用品も手がこんでいる |
新婚さんのベット |
豪華な仏壇 |
当時の台所 |
iPadを使いながらのガイドさんの案内は45分程で終わった。
博物館の入口横にあるショップに寄った。
品数は少なかったが、華やかな雑貨などがあり、女性向きかなと思った。
残念ながら自分に合う物は見つからなかった。
残念ながら自分に合う物は見つからなかった。
正面脇にある通用門から入ると、レストランやカフェそれにミュージアムショップがあった。
店内を一回りして、ガラスでできたコースターを買うことにした。
2個をレジに持っていくと、レジ係が売り場に戻ってさらに2個持ってきた。
4個1組だったのだ。
昼食の場所へはバスで行く。
国立博物館の道路を挟んで反対側にバス停があった。
行き先のバスがなかなか来なかった。
ママと女房はベンチに座って世間話をしているのか。
やって来るバスはどれも車体にカラフルな広告が書かれている。
2階建てバスが走っている。
トナカイの角を付けたマイカーが走ってくる。
カメラを向けると手を振っていた。
フロントには「赤い鼻」がつけてあった。
車の向うに法科大学の表示板が見える。
車の向うに法科大学の表示板が見える。
バス停の後ろがビジネス大学。
この辺りは文教地区になっているようだ。
人通りが少ない。
しばらくしてバスが来た。
話に夢中になっている2人に声をかけて飛び乗った。
どこに行くのか、、例によってわかっていない。
どこに行くのか、、例によってわかっていない。
ママの案内だ。
バスを降りる頃、雨が降り始めた。
川が流れていて風情ある風景だ。
お店の名は「エピキュリアス(epicurious)」。
シンガポール川に面して洒落た店が立ち並ぶ「ロバートソン・キー」というエリアにあった。
レストランというか、ヨーロッパ式のデリカ&カフェという小さなお店だった。
シンガポール川に面して洒落た店が立ち並ぶ「ロバートソン・キー」というエリアにあった。
レストランというか、ヨーロッパ式のデリカ&カフェという小さなお店だった。
雰囲気は英国風だろうか。
長男孫が時折友達と来る店だという。
現地の人たちがゆっくりランチをしていた。
ホテルから来ることになっている孫2人を待った。
揃ったところで注文した。
私はサラダとオムレツ、それにカプチーノを頼んだ。
私はサラダとオムレツ、それにカプチーノを頼んだ。
どれも美味しかった。
ところで、孫たちは今回方々に出歩くので折り畳みの傘を買ったという。
私が、“シンガポールは雨季だしな”と来る前に日本で買った傘は500円だった。
孫たちの傘とたまたまメーカーが同じだったこともあって、値段を聞いたら4000円だった。
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