2012年1月29日日曜日

オランダ・ベルギーとモンサンミッシェル⑥ ~波乱の・・~


【6日目】 2011年11月8日 =モンサンミッシェル Mont Saint-Michel=



ホテルの朝食

今日は、今回の旅行の最終日程である「モンサンミッシェル」観光である。
渋滞を避けて早めにホテルを出発した。
朝8時に出発し、午後1時半に到着の予定であった。

それでも5時間半もかかる遠路だ。


モンサンミッシェルへのバス
これまでのオランダ→ベルギー→パリのバスから交代

パリ郊外の朝のラッシュ

パリ郊外へ1時間半程走って、やっと渋滞が終わったかと思ったら、、、
今度は高速道路で事故が発生しバスが動かなくなった。

最初のうちはまだ気楽さがあった。
「今開通しないと、モンサンミッシェル名物の卵焼きが食べられないよ」という位。

1時間を過ぎると、マイカーなど乗用車はユータンをして走り去っていった。
迂回路を探すのだろう、と言っていた。
この辺り(ノルマンディー地方)は一面の畑や牧草地が広がっている。
モンサンミッシェルへの“有効な”迂回路はないということだった。

通行止めは続いている。
高速道路には大型バスやトラックが残っていた。
業務の運転手は道路事情をよく知っているのだろう。
時計を見るのもやめた頃、3時間はたったろうか、やっと片側車線が通れるようになった。


高速道路での事故に遭遇
大渋滞、、モンサンミッシェルは、、

最初のサービスエリアで、トイレ休憩を10分とった。
「これが命とりにななければいいが・・・」と嫌な予感がした。
添乗員が大量のサンドイッチやパンを買ってきた。
空腹は凌げた。

しかし、最大の心配事「モンサンミッシェルの入場時間に間に合うか、、」は募る一方だった。
午後5時で入場は打ち切られる。

これまでのヨーロッパ旅行で数々のバス旅行をしてきた。
どこでも運転手さんはサービスがよく、観光客の我儘もよくきいてくれた。
しかし、今回のフランスの運転手は様子が違うようだった。

長距離ということで運転は2人が交代でやっていた。
バス会社の交通情報が無線で聞こえて来る。
運転手も携帯電話で情報を集めていた。
にもかかわらず、2人とも全く何の説明をすることもなく愛想もない。

無表情で冷たい印象だった。
「こんな時イタリアやスペインの運転手ならば、、、」と懐かしく思った。

見渡す限りの牧草地にも
イライラと心配はぬぐえない

高速道路を降りて、モンサンミッシェルの島影がみえた。
思わず歓声があがった。


モンサンミッシェルの姿が見えた!

バスの前にキャンピングカーゆっくり走っている。
皆がイライラしながら、「早く走ってくれ!」と悲鳴に近い声あげたが聞こえるはずもない。

島の駐車場に到着して添乗員が門に駆け出した。
午後5時5分だった。
「規則に厳しいフランスではジャスト5時まででないと入場できない」と説明を受けていた。
サービスエリアで10分の休憩をとった時に感じた「嫌な予感」が的中してしまった。

入口では現地ガイドが我々の到着を一日中待っていた。
そのガイドが修道院の係員に掛け合ったが、やっぱり入場することはできなかった。
あたりは暗くなってきた。
どんよりと悲しい色に思えた。
ガイドは修道院の外側の階段を登りながら周囲の案内を始めた。


入口は無情にも錠がおろされていた

モンサンミッシェル修道院を仰ぎ見る

海の方を眺めてみるが気持ちは晴れない

入場できないことがあまりにもショックで、説明も耳に入らなかった。
一回りして博物館のショップなどで土産を買ったりしていた。
そこへ修道院の女性係員が最後の見回りに入ってきた。
日本からやってきた観光客の事情をわかってくれた女性係員が責任者を説得してくれた。

入場門の鍵が開けられた。
急に元気を取り戻して、暗くなった修道院の階段を上って、まず屋上に出た。
夕闇がせまって、黒ずんだ青色に包まれた修道院を背景に記念写真を撮った。
パリから10時間をかけて、やっと辿り着いた。


修道院の門が開けられることに!

修道院内
夕暮れの修道院は静謐そのもの

美しい回廊のある中庭

屋上から眺める



見学を終わって参道の土産物店で、皆が名物の「クッキー」を大量に買っていた。


繁華な通り

お店もお洒落

モンサンミッシェル観光は女房がぜひ行ってみたいと前々から言っていた。
修道院に入れなかったらと思うと、暖かな配慮には「ありがとう」の一言だ。
規則に厳格なフランスで迷いながらも許可してくれたことに感謝の念は堪えない。

現地ガイドさんも奮闘してくれた。
チップをあげたいと思って探したが、姿が見えなかった。
旅行中、女房と意見が対立するのは、チップをどうするかである。
今回は珍しく意見が一致したが、ガイドさんは帰った後だった。

初冬の北海に浮かぶ修道院がライトアップされていた。




せめてモンサンミッシェル名物のオムレツを夕食に、とツアー会社も都合しようとしたようだ。
しかし、パリに予約してあるレストランのキャンセルができなかった。
夜の高速道路を走り続けた。
夜11時半にパリ郊外のレストランに着いた。

長い1日であった。

深夜のレストラン



【7日目】 2011年11月9日 =パリから帰国=

朝5時30分、ホテルを出発して空港に向かった。
パリからフランクフルト経由で成田に到着した。


ルフトハンザ航空のエアバス機

ドイツ・ルフトハンザ航空は、往復ともエアバス機だった。
離着陸のときは衝撃はなく快適なフライトだった。

日本に帰ったその日は、昼はラーメン、夜は寿司にすることにしている。
今回も同じだった。

<完>


オランダ・ベルギーとモンサンミッシェル⑤ ~パリへ~


【5日目】 2011年11月7日 =2度目のパリを一巡り=

今日はパリへ移動する。
ブリュッセルからパリまでは310キロの旅だ。
私にとっては、東京と仙台間の感覚である。
4時間以上かかった。
やっとモンマルトルに着いてレストランで昼食を取った。


モンマルトルのレストラン

食事が済むと、パリのメインストリートをバスで一巡りした。
コンコルド広場から凱旋門をまわってトロカデロ広場に立ち寄った。
この広場は高台になっていて、エッフェル塔を真正面に眺めることができる人気スポット。


コンコルド広場

エッフェル塔を真正面
トロカデロ広場にて

次はチェイルリー公園に立ち寄り、「ルーブル美術館」に向かう。
地下街に入るとルーブル美術館入場口に出た。


ルーブル美術館入口

海外旅行をするようになった最初の頃、パリを訪れたことがある。
ツアー旅行といっても、今のように「パック」になっておらず個人旅行のようなものだった。
今思うと冷や汗ものの経験がたくさんある。

その時は短冊にフランス語の旅行用語をメモして持ち歩いた。
タクシー運転手には「エッフェル塔が分からないフリ」をされて遠回りされた。
オルセー美術館からの帰りには、別のホテルに連れていかれた。
地下鉄利用時は、路線図の色と車両の先頭の行き先を見て、駅の数で乗り降りした。
・・・・・etc
しかし、楽しい思い出も多い。
そんなことを思い出す。

今回は、ルーブル美術館で「モナリザ」を観ても感動しなかった。
フェルメールの作品を観ようとしたが、現地ガイドが「他の美術館に貸出中だ」と言っていた。


モナリザの前 黒山の人だかり
相変わらずの人気である

ルーブル美術館の向かいに免税店

ルーブル美術館を出て横断歩道を渡ると免税店である。
女房がバッグを買った。
カードを使おうとしたが、ナンバーが違うのか認証できない。
記憶違いで使えないことがないようにと出発前に認証ナンバーを更新してきたばかりなのに、、。
まだ更新ができていないのか?
現金で支払った。

帰りに下の階を通ったら、時計売り場には中国観光客が大挙して押しかけていた。
すでに買い物が終わったのか、売り場の床には空の段ボール箱が散らかっていた。
凄まじい購買パワーの跡だった。

夕食もモンマルトルのレストランだった。
食事も終わり、店の主人が飲み物の代金を回収しはじめた。
するとそこに大勢の客が入ってきた。
予約のない団体客のようで、主人は客の対応に追われて集金どころではなくなった。
他の店員にいっても「わからない」と言うばかりで、時間ばかりが過ぎる。
仕方なくそのまま店を出てきた。

初冬のパリの夜は真っ暗でムーランジュールのネオンが目についた。


モンマルトルのレストラン

夕食のエスガルゴ

ムーラン・ルージュ

パリのホテル

<続く>


オランダ・ベルギーとモンサンミッシェル④ ~中世の2都市~


【4日目】 2011年11月6日 =ブルージュ ゲント=


今日は、運河と織物の古都、ブルージュとゲント。
現地名では、ブルージュは「ブルッヘ」、ゲントは「ヘント」である。

まずブルージュ観光のため、ホテルを朝8時30分にバスで出発した。


ベルギーのホテル
ブリュッセルから95キロ。
バスは1時間半で到着した。
街外れの公園でバスを降りた。
公園は一面の落ち葉で黄色く染まっていた。

ブルージュは「北のベネチア」ともいわれ、運河で栄えた織物の街だった。
時間とともに干拓が進み、海岸から離れてしまって、港の機能が失われて衰退した。
運河は今も昔のまま残り、運河沿いには昔の建物が残っている。
街の中心にあるマルクト広場まで運河沿いを歩いた。

初冬の公園

修道院

画になる

運河クルーズ

瓢箪から駒 街角でポスト発見

運河沿いからマルクト広場へ行く途中で、添乗員が道を間違えた。
道端にポストがあった。
持ち歩いていた日本への絵手紙20通を投函した。
届くのかと不安が過ったので、“おまじない”にシャッターを押した。


フリーマーケット

運河沿いにフリーマーケットが開かれていた。
アクセサリーを買う。

マルクト広場を見てから中華レストランで昼食をとった。
ちなみに、ブルージュの歴史地区は世界遺産である。
この街は、他にも2種の世界遺産登録がある。

マルクト広場

市庁舎

公文書館

聖血礼拝堂

バスへと戻る途中、ミケランジェロの彫刻「聖母子像」を拝観しようと聖マリア教会に行った。

イタリア(ヴァチカン含む)以外でミケランジェロの彫刻を所蔵するのは3箇所だけだ。
ルーブル、エルミタージュ、そして、ここブルージュの聖マリア教会だ。
是非見てみたい。

しかし、我々ツアーの一行は、有料だというので見ずに出てきてしまった。
せめて希望者だけでも見せてほしかった。
団体行動の悲しさである。


聖マリア教会
ミケランジェロの「聖母子像」のレプリカ
本物は教会の中にある。
午後はゲントへ移動した。
こちらに来て初めて知る名前だった。
ブルージュから55キロ。
移動時間は1時間だった。

運河と織物で栄えたベルギー第3の都市である。
ブルージュより活気が感じられた。

聖バーフ大聖堂でファン・エイクの「神秘の子羊」を見た。
別名を「ヘントの祭壇画」といい、大規模な多翼祭壇画だった。


開いた状態
日曜日と祝祭日には開く

閉じた状態
内装とは全く異なった静粛な画

後はフリータイムとなった。
広くもない旧市街を散策した。

市庁舎

教会の鐘楼

ミヒャエル橋

旧魚市場利用のレストラン

運河沿いのギルドハウス

<続く>


2012年1月28日土曜日

オランダ・ベルギーとモンサンミッシェル③ ~オランダからベルギーへ~


【3日目】 2011年11月5日 =キンデルダイク アントワープ ブリュッセル=


今日は、風車見学と「フランダースの犬」だ。

朝8時、2日間お世話になったホテルをバスで出発した。
アムステルダムからおよそ90キロ離れたキンデルダイクに向かう。
今もキンデルダイクに残る世界遺産の風車見物である。


ホテルの朝食

オランダ、ベルギーからパリへと
ツアー客を運んだバス
キンデルダイクには予定より少し早めに着いた。
風車観光は10月いっぱいで終わっていて、お土産店はすべてクローズしていた。
水路沿いの田舎道からの風景をカメラに収めながら散策した。


キンデルダイクの案内板

11月のキンデルダイクはオフシーズン

世界遺産の風車群
少々寂しげ

風車を取り囲む堀では、ゲイ風の若い2人連れが釣りをしていた。
何が釣れるのか聞いてみた。
魚籠をみせて、「まだ連れていない」と、ゼスチュアー混じりで応えた。

集合場所の駐車場に戻る途中で、中国の観光団とすれ違った。
先頭の一人が、「日本人か」と中国語で聞く。
無視していたら、日本語で聞き返してきた。
「私は日本人ですが、あなたは?」ラジオ講座で覚えたての中国語で聞き返した。

100キロ離れたアントワープへ向かう。
ここからはベルギーだ。

高速道路のサービスエリア

アントワープはベルギー第2の都市である。
日本では「フランダースの犬」で有名なようだ。
車中では添乗員さんがアントワープとフランダースの犬の説明をしていた。

私はというと、この説明を聞くまで実は物語の筋をよく知らなかった。
関心を持ったこともなかった。

私は、子供の頃をまったくの農村地帯の悪ガキとして育った。
絵本や童話とは縁遠い毎日を過ごしていたのだ。
だからか、私には「童話の世界」がぽつんと欠落しているところがある。
アントワープのノートルダム大聖堂が「フランダースの犬」の舞台だとは全く知らなかった。

ステーン城の向かいのレストランで昼食を取り、アントワープ見学がはじまった。

昔の城塞(ステーン城)・海洋博物館
道路を隔てた向かいのレストランで昼食をとった。

グローテマルクト広場
街の中心広場
市庁舎やギルドハウスが並ぶ


ブラボーの噴水とギルドハウス

ノートルダム大聖堂を見学する。
もちろん、皆の関心は「ルーベンスの祭壇画」に集まっていた。
入場者は説教部屋に掲げられた複製画を前に説明を受けた後、真作を見る手順になっていた。


ノートルダム大聖堂
ルーベンスの祭壇画

ノートルダム大聖堂前

祭壇画を見て一度広場に出たが、思いなおして聖堂内のショップに戻った。
物語の主人公をモチーフにした焼き物を買った。

バールに入ろうかと思ったが、あまり時間がないので止めた。
土産店をのぞいたら切手を置いているという。
20枚買った。

広場の外れに、日本と同じ赤色の四角いポスト風なボックスがあった。
汚れていて壊れかけていたので、持ち歩いていた絵手紙を投函するは止めておいた。

午後はブリュッセルに移動した。
王宮やEU本部をバスから見た後、バスを降りてグランプラスを散策した。

ベルギー王宮

グランプラス 大広場
「小便小僧」の像の前には大勢の観光客が押し寄せていた。
何故だかわからないが、小便小僧は大きな池の真ん中にあると勝手に想像していた。
見た瞬間には少々戸惑ったが、「ああ、こんなものか、、」という印象が残った。
写真に収めた。


世界一有名な小僧?

周辺にはワッフルとチョコレートの店が軒を連ねる。
ベルギーに来たからには、「ワッフルを食べ」て、「チョコを買う」しかない。

有名なチョコレート店に入ると、狭い店内は混雑していた。
レジでは中国人女性が20ユーロ程の買い物に500ユーロ札を出して店員を困らせていた。

私は食べたワッフルのチョコレートが口元や手についてふき取るのに一苦労した。


ワッフルやチョコレートのお店で賑わう

夕食は繁華街のレストランだった。

STELLA ARTOIS Cafe

メインディッシュのます料理
実は旅行に出てから便秘気味だった。
今日フリータイムになってからも、バールで3回トイレを借りた。
5~6ユーロは使ったと思う。
成果なしだったが、、。
夕食の間にも3回トイレに立った。
やっと気分爽快になった。

<続く>