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2014年1月12日日曜日

シンガポールへ再び⑦ ~世界遺産マラッカ~


【3日目】2013年12月19日

=マラッカ料理=

午後1時前、ようやくマラッカに到着した。
バスは高速道路から降りて市街地を走り、レストランに急いだ。


高速道路から降りて、、

レストランへと急ぐ

通りのマンゴーの木に実がなっていた

マラッカ 昼食のレストラン

約束の時間に遅れていた。
席に着くと間もなく料理が次々に運ばれてきた。
どれもマレーシア料理だそうだ。
説明を聞いたが、名前は忘れてしまった。
飲み物はココヤシのジュースを頼んだ。
取りたてて美味しいと印象に残る料理はなかった。
中華料理の味付けを濃くしたような感じだった。
1時間程で食事は終わった。






ココナッツ

デザートの氷菓子

狭いマイクロバスでは乗り合わせてもお互いに背中を見ているばかりで話もしていない。
テーブルについてやっと顔を見せて座った。
料理を食べながら簡単な自己紹介をした。
一緒の中年の女性は、ご主人の海外駐在が長く、シンガポールには2度目の駐在だそう。
18年前にご主人と車で来たことのあるマラッカにもう一度来てみた、と話していた。
もう1人の若い女性は、親しい友人を訪ねてシンガポールに来ており、昼間は友人が仕事なので自分は遠出してマラッカに来た、ということだった。

レストランから外に出ると、真夏のような太陽が照りつけて暑かった。
ガイドは33度だと言う。
ガイドの話が続く。
この地域では、北東の風が吹くと暑さは和らぐ。
昔は、マラッカ海峡を通る船は北東の風を待って出航して行ったといっていた。


私は海外旅行をする時に事前に現地情報を準備はしない。
今回もマラッカといえば、海峡があるだけかと思っていた。
ガイドにマラッカ海峡を見に行くのですか、と質問した。
「教会のある高台に行けば見えますよ」、と素っ気無い返事が返ってきた。

見学していくうちにマラッカには古い歴史があることが段々と分かるのだが、

この段階ではまだ海峡がある街という程度にしか思っていなかった。
前回にも書いたが、そもそも孫たちの「ちょっとマレーシアにランチ」という気軽さがマレーシア行きの発端だ。
何となく「しっかりと観光」というよりも「ふらりと街歩き」的に気軽に構えすぎていた。


=世界遺産の観光=


レストランの前での記念撮影が終わって観光がはじまった。
来た道を戻っているようだった。
レストランは新市街地にあって旧市街地の歴史地区に行くのかなと漠然と想像していた。

この辺から記憶が曖昧になる。
見学した順序の記憶が漠然としている。
カメラで撮った写真の順番を頼りに書き進めていくことにする。
(気軽に構えすぎてブログを書くのにも一苦労だ、、、。)


とりあえず、マラッカ海峡

<マレーシア最古の中国仏教寺院>

最初は「中国の寺」を見学した。
マレーシア最古の中国仏教寺院「チェン・フーン・テン 青雲亭」だ。
やはり、内陸からではなく海から伝来者はやってくるのだな、と感じた。

中国式のお参りは、横浜の中華街で友人に教えて貰ったことがある。
基本は同じだった。
「青雲亭」では、お線香はお参りする人たちがまとめて買い求めて置いておくらしい。
知らずに線香に火を付けてお参りしようとして窘められた。


チャイナタウンへ

中国寺院「青雲亭」

線香などを売っている

祭壇

<インド人イスラム教のモスク>


次にインド人のイスラム教徒が建てた寺院「カンポン・クリン・モスク」を見学した。
中に入ることはせずに外観を見ただけだった。
ちょっと中を見たかった。


後ろにミナレットが見えた



<マレーシア最古のヒンドゥー寺院>


次にマレーシア最古のヒンドゥー教寺院を見た。
「スリ・ポヤタ・ヴィナヤガ・ムーティ」寺院。
見たという言葉通りに道路から建物正面を見ながら前を通っただけだった。
神聖な場所ゆえ、中への立ち入りは禁止のようだ。




中国仏教寺院、イスラム教のモスク、ヒンドゥー教寺院、、と1つの通りに並んでいる。
ガイドさんは何も触れなかったが、後から調べてみると、
この通りを地元では「ハーモニーストリート」と呼んでいるそうだ。
異なる宗教の寺院が仲良く並存しているところからの呼称らしい。


<古いショップハウス:商店街散策>


昔のショップハウスを見て歩く。
ショップハウスは、通常1階が商店、2階が住居という古くからの商店街だ。
古い町屋風の建物が軒を並べている。

途中で花で飾り付けられたシクロ(東南アジアではよく見かける人力車)を修理していた。
マレーシアでは人力車を「トライショー」という。
マラッカのものが最も華やかなのだとか。

近隣を漫ろ歩きしながらお土産や正月飾りを見たりした。
狭い通りを時々車がスピードを落とさずに走り去る。
ガイドの目配りは大変そうだ。


ショップハウス

古い街並み

飾り付けられた「トライショー」、修理中

寺院への花などを売っている

ドリアンも

前方はチャイナタウン

<オランダ広場>


マラッカ川を渡るとオランダ広場に出た。
濃い目のピンク色が目に飛び込んでくる。


マラッカ川

オランダ広場

まずは中心の「スタダイス(オランダ語で議事堂・市役所の意)」。
1650年頃に建てられたオランダ様式の旧総督府。
オランダ統治時代の総督住居として建てられた。
マラッカの街のシンボルだそうだ。
現在はマラッカ王国時代からの歴史博物館となって公開されているらしい。
訪れた時は修復中で覆いがかかっていた。


スタダイスのお化粧直し

正面に向かって左には教会がある。
結婚式も行われるという。
丁度ロータリーで花嫁花婿姿の写真を撮っていた。
下はジーパンだった。

右脇の通りに沿って人力車がいっぱい止まって客待ちをしていた。

のんびりしていた。
こんな状態で生活できるのだろうかと考えてしまった。


プロテスタント教会「ムラカ・キリスト教会」

花婿花嫁さんの撮影

日陰ではトライショーが客待ち

<セント・ポール教会>

人力車の前を回り込むように進む。
廃墟のような階段があり、登っていくと教会だった。
セント・ポール教会。

ポルトガル支配の頃、マラッカはヨーロッパの宣教師たちの活動拠点だった。
セント・ポール教会は1521年にポルトガル軍によって建てられた。
日本にも布教に来たフランシスコ・ザビエルが1545年~1552年に度々ここを訪れたそうだ。
ザビエルの遺骨が9か月間ここに安置された後、インドのゴアに移された。

坂を登りきると、ザビエルの像があった。
安置されていたお墓の跡は、上から金網で厳重に覆われていた。
ここは賽銭を入れてお祈りする人が多いようだ。
カメラの望遠で覗くとお金がいっぱいになっていた。
どうやって取るのか心配になった。

教会からマラッカの海が見えた。
夕日が美しいという。
ガイドさんが記念撮影をしてくれる。

ポイントにくると必ず全員の写真を撮ってくれる。
見ていると、その方が時間が節約できることがわかった。
帰りは裏側から緩い坂を下りた。


教会への登り途中にあった16世紀の石

崩壊寸前のような教会が、、

埋葬者の碑

ザビエルの聖骸が安置されていた地下室

賽銭を入れる口

カメラの望遠でのぞくと、、

教会から新市街地を眺める
眺望はよい

<ファモサ サンチャゴ砦>


見学している時には何という場所かよくわからなかった。
今ブログを書きながらガイドブックを見ると、
大砲が展示してあったのでファモサと呼ばれる「サンチャゴ砦」だとわかった。
1511年、侵略したポルトガル軍が築いた要塞の跡ということだ。


古めかしい雰囲気はあった

大砲が展示してあった

<マラッカ王宮博物館>


王宮博物館に入場した。
現地でとれる立派な木材を使った大きな建物だ。
14世紀初頭のマラッカ王国宮殿のレプリカだそうだ。
観光客目当てに作ったのは明らかだった。
中には当時の王宮や庶民の生活を等身大の人形で再現した展示が多かった。
展示は立派な建物に負けているように感じた。


14世紀の王宮を復元した博物館

当時の様子を人形で再現
これは王への謁見か



見学が終わって広場に出た。
暑かった。
冷えた飲み物を売っていたおばさんから皆が水のボトルなどを買った。

<お土産センター>  


観光はこれで終了のようだ。
後はお土産屋に案内するという。
大きな建物だった。

日持ちするクッキーやチョコレート、それに日用雑貨類ばかりだった。
記念のグッズが何かあるのでは、と期待していたが、何もなかった。
チャイナタウンかオランダ広場で何か買っておけばよかったと後悔した。
クッキーとチョレート味のお菓子を買った。


お土産センター カラフルだ

広い店内の様子
何となく異世界

=シンガポールへもどる=

時間は3時半頃だったと思う。
これからシンガポールに向けてひた走ることになる。

観光のオフ・シーズンなんだろうか。
他の観光客の姿も目にしなかった。
繁栄を極めた往時の面影を探すには勉強不足を感じた。

シンガポールに近づくまでほとんど寝ていた。
夕闇の鉄橋の脇を列車が走っていた。


列車を撮ろうとしたが、、
通過してしまった

夜のシンガポール きらびやか

夕食はショッピングモールのフードコートで

ショッピングモールの天上から水が噴出した
逆噴水

<続く>



2013年10月12日土曜日

湖畔の温泉と水沢うどん②


朝、目が覚めると、窓のカーテンをすぐに開けた。

空は青く透き通っていた。
湖面は鏡のように滑らかで、山々と空を映していた。

旅行2日目を迎えた。
同じ部屋の3人で宿から湖畔まで歩いた。
目の前が湖である。
ボートの発着場があった。
浅瀬には小魚が泳いでいる。
岸から離れた水面では、時折大きな魚が飛び跳ねていた。


榛名山と榛名湖
早朝は天気も良かった、、。

榛名湖マップ

朝食を食べている時、誰かが「ああ 曇ってしまった」と声をあげた。
外をみると、雲が流れている。
山の中腹まで雲がかかっている。
最初の予定の榛名富士の山頂行きは中止せざるを得なくなるかと心配になった。
山の天気は変わりやすいということが実感できた。

宿をチェックアウトして、榛名湖を回り込むように榛名富士のロープウェー駅に行ってみた。
ロープウェーは動いていた。
駅には2人、3人の行楽客が乗ろうかどうか決心しかねる様子で山頂を見上げていた。

我々の意見は、
「折角ここまで来たのだから、とにかく乗ってみよう」派と
「山頂に登っても何も見えないから止めよう」派に分かれた。
確かに、山頂に行っても方向を示す石板を見るだけになるのは目に見えている。
結局、登らずに次の榛名神社へ向かった。

榛名神社の駐車場は、地形の関係で広いものがとれず、小さな駐車場が点在していた。
その1つに車を置いた。
山門までの道路の両側には宿坊が並んでいた。
宿坊というので神社直属のものと思っていたが、旅館というよりも民宿に近いと感じた。

榛名神社の山門

榛名神社の案内図

山門を過ぎると、右手側は渓谷になっている。
滝もあった。
山側には杉の大木が生い茂っている。
お参りを終えて帰ってくる人たちとすれ違った。
女性が多かった。
地元の中学生のグループが大きな杉の写真を撮っていた。
「校外学習です」と話していた。
ガイドブックには、「矢立て杉」と呼ばれ、国指定の天然記念物で樹齢は600年とある。

武田信玄が戦勝祈願のために矢を射立てたとの言い伝えが残っている。



矢立て杉

最期に20段ほどの石段を登ると本殿があった。
社務所で記念にストラップを買ったら、「榛名神社 略記」を無料にしてくれた。



略記の表紙の本殿

神社の略記によると、585年に創建されたとある。
主祭神は、火の神、土の神とあり、縁結び、安産の神として崇拝を集めているとのことだ。
本殿に上って来る時に女性に多く会った訳がわかった。
妊娠している人も何人か見かけた。




本殿

本殿と御姿岩

本殿を抱えるように御姿岩が見えた。

ご神体かなと想像したら、洞窟内に御内陣を祀り込んでいると記されていた。

1時間で参拝は終わった。

昼食をと考えたが、門前に軒を並べる宿坊は木曜定休ということで閉まっていた。
結局、富岡製糸場の近くで昼食を取ることにした。

榛名山から高崎市街地に出て、高速道路を走って富岡に到着した。
富岡製糸場は世界遺産登録の機運が地元に出ている。

富岡製糸場を世界遺産に!のグッズ

製糸場正門のすぐ前にあるうどん店に入った。

名物のうどんを食べたいところだが、
気温が高く暑いこともあって、皆もり蕎麦やざる蕎麦を注文していた。



見学にはボランティアのガイドがつく。

まだ世界遺産でもないし、ガイドがつくと時間がかかる、ということでそれぞれが自由に見学した。

富岡製糸場の入場券

奥の方ではガイドが案内していた

繭倉庫
木骨煉瓦造り

東繭倉庫
ちなみに西繭倉庫もある

繰糸工場 絹糸を紡ぐ機

榛名神社で見かけた「校外学習」の中学生と同じ制服を着た学生を見かけた。
友達が「榛名神社でも見かけた」と話しかけると、「多分同じです」との答えが返ってきた。


校外学習の中学生

今回の旅行ではJR高崎駅まで「
大人の休日倶楽部」を利用して往復切符を買っていた。
がしかし、帰りは友達の車に乗って大宮まで送ってもらうこととなった。
大宮駅でキップを清算しようとした。
割引があったりで処理が複雑になるらしく、「人改札」を通ってくださいと言われた。
「人改札」という言葉を初めて知った。

<完>