自宅近くにある遊園地の桜をロープウエイで見たのが素晴らしかったので、
相棒が友達を呼んで見せたという。
(その時の様子は、4/9ブログ「ロープウェイとピンク色の海」)
友達が自宅に寄るというので、「では、」と出かけることにした。
このところ気になっていた「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」を見ることにした。
東京国立近代美術館で開催している。
新聞の紹介記事によると、
日本ではあまり知られていない上、ほとんどの作品が一堂に集められたとあった。
日本ではあまり知られていない上、ほとんどの作品が一堂に集められたとあった。
ポロックは1912年生まれの20世紀のアメリカの画家。
「アクション・ペインティング」で一躍時の人となったようだ。
アートを変えた男、ジャクソン・ポロック |
センセーショナルな雰囲気の広告 |
京王線新宿で降りて昼食を取った。
再び京王新線に乗って九段下で乗換え、地下鉄の東京メトロ東西線の竹橋駅で降りた。美術館の前庭 |
展示は時代ごとに4つの章仕立てになっていた。
第1章 1930-1941年 初期 ―自己を探し求めて―
第2章 1942-1946年 形成期 ―モダンアートへの参入―
第3章 1947-1950年 成熟期 ―革新の時―
第4章 1951-1956年 後期・晩期 ―苦悩の中で―
第1章 1930-1941年 初期 ―自己を探し求めて―
第2章 1942-1946年 形成期 ―モダンアートへの参入―
第3章 1947-1950年 成熟期 ―革新の時―
第4章 1951-1956年 後期・晩期 ―苦悩の中で―
具象から抽象の作品が60点程だった。
作品はあまり多くなくて、ゆっくり鑑賞することができた。
とはいえ、強烈な印象のものばかりである。
美術館を後にした。
第1章 1930-1941年 初期 ―自己を探し求めて―
第2章 1942-1946年 形成期 ―モダンアートへの参入―
第3章 1947-1950年 成熟期 ―革新の時―
第4章 1951-1956年 後期・晩期 ―苦悩の中で―
第1章 1930-1941年 初期 ―自己を探し求めて―
「無題 自画像」 1930-33年 |
「女」 1930-33年 |
「西へ」 1934-35年 |
「無題 蛇の仮面のある構成」 1938-41年 |
「コンポジション」 1938-41年 |
「無題 多角形のある頭部」 1938-41年 |
「誕生」 1941年 |
「無題」 1938-41年 |
第2章 1942-1946年 形成期 ―モダンアートへの参入―
「ポーリングのある構成Ⅱ」 1943年 |
「ブルー 白鯨」 1943年 |
「無題」 1946年 |
「トーテム・レッスン」 1945年 |
「月の器」 1945年 |
第3章 1947-1950年 成熟期 ―革新の時―
「無題」 1946年 |
「ナンバー17、1950 花火」 1950年 |
「インディアンレッドの地の壁画」 1950年 看板の話題作 |
「インディアンレッドの地の壁画」について参照 |
「カット・アウト」 1948-58年 |
第4章 1951-1956年 後期・晩期 ―苦悩の中で―
「緑、黒、黄褐色のコンポジション」 1951年 |
「ナンバー7、1952」 1952年 |
「ナンバー8、1951/黒の流れ」 1951年 |
具象から抽象の作品が60点程だった。
作品はあまり多くなくて、ゆっくり鑑賞することができた。
とはいえ、強烈な印象のものばかりである。
美術館を後にした。
外に出ると、少し風があるものの散歩には絶好な陽気だった。
竹橋駅とは逆の方向に人の流れに乗って歩いていると、北の丸公園の標識がたっていた。
ここまで来たのなら、千鳥が淵に寄って行こうと北の丸公園の中を歩いた。
竹橋駅とは逆の方向に人の流れに乗って歩いていると、北の丸公園の標識がたっていた。
ここまで来たのなら、千鳥が淵に寄って行こうと北の丸公園の中を歩いた。
乾門のあたり 枝垂桜が美しい |
桜が盛りと見える |
千鳥が淵 |
人の流れと逆方向だったので、
あまり逆らうことがないようにと注意しつつ写真を撮りながら、靖国神社まできた。
あまり逆らうことがないようにと注意しつつ写真を撮りながら、靖国神社まできた。
地上に出て、日本橋に出る。
遊覧船の呼び込みをやっていた。
東京駅まで歩き、ブックセンター隣の福島県のアンテナショップに寄った。
大学時代の友達が旭日中綬章を受けた。
遊覧船の呼び込みをやっていた。
東京駅まで歩き、ブックセンター隣の福島県のアンテナショップに寄った。
たくさんの人が春を楽しんでいる |
日本橋 |
大学時代の友達が旭日中綬章を受けた。
記念にと、「会津本郷焼」のコーヒーカップを探したが、いいのが見つからず買うのをやめた。
家に帰ると、万歩計は1万7000歩をカウントしていた。
家に帰ると、万歩計は1万7000歩をカウントしていた。
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