2012年3月10日土曜日

ハワイ問わず語り①


ハワイ旅行の話はいつ聞いても心地よい。
ましてや、いつも私の旅の相棒を務めているわが女房のハワイ旅行の話となりゃ、
いやでも身を乗り出さざるを得ないだろう。

2012年2月24日に成田を飛び立ち、2月29日に帰ってきた。
旅の写真の整理やお土産の仕分けを手伝いながら聞いた女房のハワイ道中。

記録係として記念に書き留めておくことにする。

今回のハワイ旅行は、「フラダンスのコンペティションに出場するため」といえば格好がいいが、
まだまだ練習が足りずに、出場とはいえエキシビションに参加するためだった。

女房のチームは総勢20人での参加である。
小田急線の多摩川鉄橋の辺りにあるフィットネスクラブでレッスンを受けている仲間である。


ここからは、わが女房に語り手をゆずることにしよう。

・・・フラダンス・ハワイ旅、スタート・・・

【1日目】 2012年224日 ~出発からハワイ初日~

JR新宿駅から成田エクスプレスで成田空港に向かった。
私たちがレッスンを受けている先生は、藤沢市でもフラダンス教室を開いている。
空港で、その藤沢教室の人たちと合流した。

今回のフラダンス旅は、私たち「多摩川チーム」と、もう一つの「藤沢チーム」の混成だった。
20人で「エ・フラ・マイ・フェスティバル2012」のエキシビジョンで踊る。




夜9時10分、JAL074便は定刻に離陸し成田を発った。
離陸するとすぐに機内食がでる。
食べ終わるとすぐに眠りに落ちた。
目が覚めるともうすぐハワイだった。

日付け変更線をまたぎ、日本を発った224日同日の午前、ホノルル空港に到着した。




真冬の日本から常夏のハワイへ。
「いよいよフラダンス三昧!」だと期待が膨らんだ。




ホテルのチェックインの15時までには時間がありホテルの部屋には入れない。
空港で夏服に着替えたり、必要なものはスーツケースから出したりした。
大きな荷物をホテルに預け、チェックインまでの時間をそれぞれに過ごす算段だ。
旅行会社の送迎バスで、総勢20人は3つに分かれ、それぞれのホテルまで行った。

我々多摩川グループは、そのままチャイナタウンへ行き、フラダンスの衣装などを買った。
日本に比べて安かったので2着買った。
昼食はチャイナタウンで済ませた。
15時にホテルへ戻ってチェックインの手続きをした。

夕食はアロハタワー近くの会場でディナーショーの予定だった。
現地集合だ。
タクシーはお金がかかりすぎるというので路線バスに乗った。

運賃は一律2.5ドルであったが、皆ぴったりの小銭を持っていなかった。
バスのマシーンからはお釣りが出ないし、運転手もお釣りを用意していない。
そのことを理解するのに一苦労した。
結局、2人で5ドルを払うことにしたのだが、時間がかかり手間取ってしまった。
いつもの添乗員さんがいるツアーの良さがわかった。
ライブは22時までだった。



ホテルに戻り、明日のコンペ見学の準備をした。

ベットに入ったのは12時を過ぎていた。

【2日目】 2012年225日 ~フラダンス・コンぺの見学~

今回のフラダンス・コンペティションは、「第2回 エ・フラ・マイ・フェステバル2012」。
「エ・フラ・マイ」とは、現地語で「楽しくフラを踊ろう!」という意味らしい。
日本では旅行会社の
H.I.Sがツアーをまとめている。
「ハーラウ」というフラダンス団体のメンバーであることが参加資格となっている。



コンペの会場は、ワイキキのハレ・コアホテル ルアウガーデン。
米軍関係の保養所になっていて、ガイドブックには記載されていない。

コンペは午後からなので、午前中はマーケットに買い物に行くことにする。
目指したのは、
ハワイ最大のフリーマーケットだという「アロハ・スタジアムのスワップミート」である。
アロハスタジアムまでは、ワイキキから路線バスで1時間ほどかかった。

スワップミートは、アロハ・スタジアムという野球場を会場に毎週土日に開かれている。
ひとまわり見るだけで1時間はかかりそうだ。
孫たちに頼まれたスカートやTシャツなどを買った。




コンペは正午からはじまった。
出場は10チームで、地元ハワイや日本各地から参加していた。
コンペが終わった後、18時からは「エ・フラ・マイ・パーティ」が開かれた。
バイキング方式であったが、野菜類がなかった。





明日のエキジビションの最終チェックをしなくてはいけない。
しかし、、、買い物に出てしまった人もいたりしてチェックには全員が揃わなかった。
ホテルに戻ったのは夜10時半頃。
準備に遅くまでかかってしまった。

<続く>


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