2013年11月29日金曜日

「印象派を超えて―点描の画家たち」展と+α


昨日は大学時代の友人の誘いで、国立新美術館の絵画展を観てきた。

『印象派を超えて―点描の画家たち ~ゴッホ、スーラからモンドリアンまで~』
という長いタイトルがついている。




いつものように 新宿小田急線改札口で午前10時半に待ち合わせた。
約束時間より早く着いたので、駅近くの電気量販店に入りパソコンなどを見て時間をつぶした。
トイレに行ったりしていたら、友人はすでに待ち合わせ場所に来ていた。
地下鉄大江戸線に乗り六本木で降りて少し歩いた。

美術館は混雑していなかった。




友人は、解説の「ガイド機器」をいつものように一緒に借りてくれた。
今回は「これ」が鑑賞する上で大変役に立った。





美術展の構成は5つに分かれていた。
Ⅰ 印象派の筆触
Ⅱ スーラーとシニャック 分割主義の誕生と展開
Ⅲ ゴッホと分割主義
Ⅳ ベルギーとオランダの分割主義
Ⅴ モンドリアン 究極の帰結

20世紀最大のコレクションを誇るクレラー=ミュラー美術館(オランダ)所蔵作品が数多く来日し、
「点描主義」にフォーカスした美術展となっている。

Ⅰ 印象派の筆触
まずモネ、次にシスレーと続く。


クロード・モネ 「藁葺き屋根の家」 1879年
空の明るさを背景に家の壁や植物の立体感がすごい

こちらもモネ 「サン=ジェルマンの森の中で」
1882年の作品
紅葉した落ち葉がふっさりと重なり、
人気のない森が美しい

アルフレッド・シスレー 「舟遊び」 1877年
手前の一本の木が構図を印象的にしている


こちらもシスレー 「森のはずれ 6月」 1884年
背景の赤い建物や人物がさり気なく効いている

こちらもシスレー 「モレのポプラ並木」 1888年
光のきらめき感が出ている

カミーユ・ピサロ 「エラニーの教会と農園」 1884年
タッチによる遠近感が貼り絵のよう

こちらもピサロ 「エラニーの牛を追う娘」 1884年
ピサロは54歳でエラニーに移り住んだらしい
後にもエラニーの風景が登場する

ポール・セザンヌ 「曲がった木」 1888~1890年
木による分割が画面を引き締めている

Ⅱ スーラとシニャック 分割主義の誕生と展開
光や色を理論的に捉えて分割主義(点描)をつくりだした、その変遷。
スーラが生んだ分割主義は新印象派と呼ばれる。


ポール・シニャック 「ダイニングルーム」 1886~1887年
粒子感が出て粉のような光が表現されている
点描が向いていないとされる人物表現にも取り組んだ

ジョルジュ・スーラ 「ポール=アン=ベッサンの日曜日」 1888年
旗の技巧もあって長閑な日曜日がうかがえる

こちらもスーラ 「グラヴリーヌの水路、海を臨む」 1890年
水面というのは点描に適しているのだろうか、水の場面が続く

こちらはシニャック 「コリウール、鐘楼」 1887年
水面の小さな揺らぎが表現されている
スーラよりも荒い大きな点描が水面に動きをつくっているのか

こちらもシニャック 「マルセイユ港の入口」 1898年
光の表現が印象的で神秘感さえ出ているようだ
シニャックの点描はより大きなタッチになってきている

こちらもシニャック 「オレンジを積んだ船、マルセイユ」 1923年
大きな点描を使い、快活な感じがうかがえる

こちらはスーラ 「マフをはめた婦人」 1884年
コンテのクレヨンによる素描
これだけで雰囲気が出ているから不思議だ

こちらもスーラの素描 1884~1885年
「若い女(グランド・ジャット島の日曜日のための習作)」
姿勢がよく清楚な女性が祈っているようにみえる

<参考>
こちらがスーラの「グランド・ジャット島の日曜日」 1884~1886年
なるほど、、、
点描画は人物表現には向いていないとされていた
当時の人々には「おもちゃの兵隊か人形」にしか見えなかったらしい

カミーユ・ピサロ 「エラニーの農園」 1885年
前出の作品と比べると木の葉などに生命感が出ているよう
木の使い方(アングル)で構図が面白くなっている

こちらもピサロ 「エラニーの牧場」 1885年
手前の木がしっかり表現されて画面に奥行きがある
うねりのある木と遠くの直立の木の対比の面白い

マクシミリアン・リュス 「鋳鉄工場」 1899年
人物も力強く、もはや人形ではない
リュスはこの炭鉱の町の産業・労働を見て衝撃を受けたらしい

モーリス・ドニ 「カトリックの秘蹟」 1891年
線がやわらかく、独特なイメージ
光と影の境界が子供の服の裾模様と連なって
やわらかな丸い光を現出させている
Ⅲ ゴッホと分割主義
フィンセント・ファン・ゴッホとポール・ゴーギャンが続く。
ヘレン・クレラー・ミュラーが最も好きな画家がゴッホ。
彼女は、「彼の価値は彼の表現方法、技法だけではなく、彼の偉大で新しい人間性にあるのです。彼は近代の表現主義を生み出しました。」と述べ、ゴッホ美術館に次ぐコレクション数を誇る。

ゴッホ 「太陽と雲のある囲われた麦畑」 1889年
療養所の窓から見える景色を描いた
空が鬩ぎあっているように見えるが暗くはない

ゴッホ 「石膏像のある静物」 1887年
黄色と青の色使いはゴッホ

ゴッホ 「レストランの内部」 1887年
点描感がある作品

ゴッホ 「種まく人」 1888年
尊敬するミレーに倣った作品

ゴッホ 「麦束のある月の出の風景」 1889年
空気のうねりが独特だ

ゴッホ 「じゃがいものある静物」 1888年
黄色い器と青の影、紅色の使い方がゴッホらしい

ゴッホ 「自画像」 1887年
心象が背景の表現や表情に出ているよう

ゴッホ 「若い女の肖像」 1890年
当初の背景は赤と緑を対比させていたそうだ(褪色してしまった)

ゴーギャン 「水飼い場」 1886年
水面への映り込みが美しい

ゴーギャン 「木靴の職人」 1886年
この絵の裏に下の絵が描かれた

ゴーギャン 「海岸の岩」 1888年
ゴッホとアルルで共同生活を始めた年の作品
その後1891年にタヒチに移り、数々の代表作を生み出した

Ⅳ ベルギーとオランダの分割主義
1891年スーラが若くして急逝し、分割主義の熱はフランスからベルギー、オランダへと移った。
トーロップやプリッカーなどオランダ・ベルギーの新印象派の作品が登場する。

点描画がベルギーに紹介された当初の評は、「精神錯乱、致命的な発作を引き起こしかねない」。
しかし前衛的な若者たちは、科学的に確立されてきた技法に進歩性・先進性を感じ、大いに触発され受け入れられていったようである。


ヤン・トーロップ 「オルガンの音色」 1889年
点ではなく線の表現、画面に何かの気が満ちているよう

トーロップ 「海」 1899年
上の「オルガンの音色」から10年

トーロップ 「版画愛好家(アーヒディウス・ティンメルマン博士)」
1897~1900年頃の作品

トーロップ 「秋」 1908年
ずいぶんとタッチが変わっている 大胆な点の中に母娘が浮かぶ

トーロップ 「L.ラウレイセンの肖像」 1911年
タッチが力強く大胆に 眼力すさまじい
トーロップの晩年は人気肖像画家だった
「収入はいいが、気分は最悪だ」と語った

<参考>
トーロップの代表作 「3人の花嫁」 1893年
この作品もクレラー=ミュラー美術館の所蔵のようだが来てなくて残念
3人は左から「神に嫁ぐ天上の花嫁」、「人間に嫁ぐ地上の花嫁」、「悪魔に嫁ぐ地獄の花嫁」
アール・ヌーヴォー感が出ている

ヨハン・トルン・プリッカー 「花嫁」
1892~1893年の作品
十字架のキリストの前で跪き顔を近づける花嫁
線やモチーフ、構図にアール・ヌーヴォーを感じる

こちらもプリッカー 「十字架の傍らで(チューリップの聖母)」
1892年の作品
「花嫁」と共通する構造がある

こちらもプリッカー 「レ・ゾー」
1900~1904年頃の作品
何かの心象風景だろうか、、ゴッホの影響を受けているよう


テオ・ファン・レイセルベルヘ 「満潮のペール=キリディ」
1889年の作品
点描画に取り組みはじめた
レイセルベルヘは後に点描の肖像画の名手となる

こちらもレイセルベルヘ
「<7月の朝>あるいは<果樹園>あるいは<庭園に集う家族>」
1890年の作品
人物を描くことに取り組んでいく

こちらもレイセルベルヘ
「<ギーシアとオダリスク>あるいは<陽光>」 1906年
スーラやシニャックとは明らかに違う点描人物の表現

<参考>
こちらはレイセルベルヘの点描画以前の作品
「マルグリット・ファン・モンスの肖像」 1886年
もともと肖像画に力量があったことがうかがえる

アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド 「夕暮れ」 1889年
ヴェルドは1894年から建築設計をはじめる
クレラー=ミュラー美術館を設計したのもヴェルドだ

こちらもヴェルド 「裁縫する女」 1891年
点というより線でシンプルに描き出している

ヘンドリクス・ペトルス・ブレマー 「石炭入れのある食器洗い場の眺め」
1899年の作品
ほんわりとして愛らしい作品
ブレマーは富裕層への美術講義をしていた
そこでクレラー・ミュラー夫人と出会ったそうだ

レオ・ヘステル 「逆行の中の裸体」 1909年
キュビスムへ移行する前の作品

Ⅴ モンドリアン 究極の帰結
抽象絵画の先駆者ピート・モンドリアンの変遷が見える。
(下の作品は全てモンドリアン。わかりやすくするために<参考>をたくさん付けた)
まずは、オランダ南西部ゼーラント州の海辺の町ドムブルフ(Domburg)に滞在した際の風景を
いくつも残している。
先に町について地図と写真を。


赤がゼーラント州

ドムブルフの位置

ドムブルフの浜辺風景
モンドリアンはこんな風景をどう切り取ったのだろう


「突堤の見えるドムブルフの浜辺」 1909年
上の写真と反対のアングルだ
単なる風景画を描いたものではない
シンプルな風景の構図が気に入ったのだろうか、
ドムブルフの作品は多い

<参考>
「View from the Dunes with Beach and Piers,Domburg」 1909年
ニューヨーク近代美術館所蔵

色をパーツに置いていくような技法
既に風景が抽象化されている
手前の砂丘、浜辺と海、そして空に大きく分割しながら
ホライズンで捉え、ホライズンで描き出している

「砂丘」 1909年
点描の砂丘は何点か連作で描いている、その内の一つ
これらもドムブルフを描いているらしい
この地でトーロップに出会い、点描技法を学んだとか

<参考>
「砂丘Ⅲ」 1909年
デン・ハーグ美術館所蔵
砂丘の形状が色の配列で表現されている

<参考>
「夏、ゼーラントの砂丘」 1910年
グッゲンハイム美術館所蔵
より単純化した色での表現

<参考>
「砂丘風景」 1911年
線を際立たせた硬質な面を出している

<参考>
「しょうが壷のなる静物Ⅰ」 1911~1912年
グッゲンハイム美術館所蔵

2つ下の「コンポジション」への変遷がみられるので紹介
これはまだ見たものを表現している

<参考>
「しょうが壷のなる静物Ⅱ」 1911~1912年
グッゲンハイム美術館所蔵

より単純に捉えてパーツ分けしつつ、
見たものから「見えない」何かを抉り出しているのかもしれない
「コンポジション」への着想が見えるよう

「コンポジション No.11」 1913年
この下には元となる何かがあったはず
「コンポジション」とは構成、組成、組立て、構図

「赤と黄と青のあるコンポジション」 1927年
このコンポジションシリーズは上空から見た街の表現だとか
色は光の三原色(赤、青、緑)と色材の三原色(シアン、マゼンダ、イエロー)から3色
光や色を科学的に追求したスーラらの分割主義を体現し、抽象に昇華させたのか

<参考>
「ブロードウェイ・ヴギ・ウギ」 1943年
ニューヨーク近代美術館所蔵

ニューヨークで亡くなる前年、70歳の作品
街を描き、黒の線を取り除いている
緊迫感がなくなり、楽しげなメロディが聴こえてくるようだ


(絵画展とは離れるが、)
モンドリアンは近代モダニズム建築にも影響を及ぼしている。
1917年、モンドリアンの新構造主義を理念とした芸術運動「デ・ステイル(様式)」のグループが結成された。
もちろんモンドリアンは主要メンバーだ。
モンドリアンの新構造主義は、コンポジション作品で追求されてきた「三原色と無彩色(白~黒)、
水平線と垂直線による格子構造」のこと。
ここから建築の世界遺産も出ている。

ヘリット・リート・フェルト 「シュレーダー邸」 1924年
リート・フェルトは「デ・ステイル」のメンバー
構造、造形にモンドリアンの主張が取り入れられている
世界遺産

リート・フェルト 「赤と青のチェア」
色と直線構造はまさにモンドリアン

こちらはル・コルビュジェ設計建築
「ユニテ・ダンタシオン マルセイユ」 1945~1952年
近代モダニズム建築の三大巨匠の1人コルビュジェは
モンドリアンを「姿なき建築家」と言っていたそうだ。
この設計にモンドリアンとの関係は明示されていないが、
格子のグリッドや色使いに影響、もしくは同じような思考が見られる。

美術展を観終わった。
冒頭でも述べたが、今回は解説の「ガイド機器」が大いに役立った。
通常はガイド機器を借りることはほとんどない。
目玉絵画以外の解説が入っていなかったり、自分のペースで鑑賞できないのがその訳だ。
しかし、今回はガイドのお陰で印象派の作品と時代の流れがよくわかった。
特にゴッホやゴーギャンと印象派のつながりや抽象画への流れが分かったように思う。


パンフレットと記念の絵葉書

美術館のロビーでしばし友人と話をした。
最近の政治やお互いの近況についてだ。
しばらくしてから、東京駅の変わり様を見ようということになり腰をあげた。
地下鉄に乗り、国会議事堂前で丸ノ内線に乗り換えて東京駅に出た。


地下鉄乃木坂方面へ

八重洲側の東京駅グランルーフ2階ペデストリアンデッキを見て歩いた。
デッキの南側(グラントウキョウ・サウスタワー側)に行くと、
ビルの入口に大勢の人が集まっていた。
しかもヘルメットをかぶったり、手に持ったりしている。
友人が警備員に聞くと、「防災非難訓練をやっている」とのことだった。


防災避難訓練中



遅めのランチにしようと地下の飲食店街に下りた。
この地下街は、広くて、長くて、その上店の数が多くて、なかなか店を見つけられなかった。
やっと韓国料理を見つけて入り、ビビンバと冷麺セットを食べた。




友人は、冷麺のスープが美味しいといっていた。
子供の頃に食べた懐かしい味がするのだと。
友人は戦後まで朝鮮で育っていた。

まさに本場の味の体得者だった。

新宿駅に出た。
デパートの地下に下りると、友人から手土産にと「カステラ」を頂いた。
朝の内に予約していたようだ。
急遽、「たねや」の栗ようかんを奥様にと手渡した。

夕方自宅に戻ると、三重の親戚から牡蠣の燻製やオリーブオイル漬けが届いていた。
説明書には「鳥羽の珍味」と書いてあった。
早く食べてみたい。