2014年9月30日火曜日

初秋の故郷② ~サービスエリアが江戸の町~


墓参を終えて足利のワイナリーに足を延ばした
一番近い高速道路のインターは佐野足利だ。
高速に乗る前に、佐野ラーメンでも食べようかということになった。

以前にも行ったことがあるラーメン屋は佐野厄除け大師の近くだったと記憶する。
とりあえず大師を目指すことにした。

カーナビは便利だ。

迷うことなくスムーズにナビゲートされた。
佐野厄除け大師に近づくと1軒のラーメン屋があった。
名物の「竹踏み」ラーメンと看板に出ている。

しかし、何となく以前の店とは違う感じがした。

他にも店があるだろうと付近を歩いてみた。
やはり周辺には竹踏みの同じような店が何軒かあった。
どちらにしようか迷ったので、大師前で交通整理をしていたおじさんに聞いた。
「あっちが柔らかくておいしい」と推薦のラーメン屋に入った。

壁にテレビ取材の記事や有名人の写真、色紙が貼ってあった。
オーソドックスなラーメンを頼んだ。
鳴門が乗った昔風のラーメンだった。


路地を少し入ったところにある
佐野ラーメン屋さん

竹踏みの佐野ラーメン

もちろん大師に寄ってお参りをした。



東京から館林への行きの高速で羽生サービスエリアに寄っていた。
いつかテレビで、羽生S.Aの建物が江戸時代を再現したものになっていると放送していた。
「池波正太郎ワールド」をつくったという。
一度見てみたいと思っていた。
それで立ち寄ったのだが、東北自動車道の下り側ではなかった。
帰りに上り側に寄ることにした。

上りのS.Aに寄ってみると、一目見て時代劇のセットを思い浮かべた。
「さもありなん」という風に江戸の町が再現されていた。

専門家がいろいろな工夫をしたのであろう。
屋根瓦や塗り壁、木材や看板にも年代を感じさせる“経年感”が施されていた。
建物内部の彩光や照明にも“黄昏感”があったように感じた。
買い物をしたりして面白くひと時を過ごした。


東北自動車道 上り羽生S.A

江戸の町を復元
池波正太郎ワールド

看板も復元

売店の窓口も工夫されている

建物内の通路
天井のライトは夕暮れか

蕎麦屋の店内

土産物コーナー

土産物にも「鬼平」「江戸」が氾濫

結構混んでいた

<完>


2014年9月29日月曜日

初秋の故郷① ~彼岸花とワイナリー~



・・・・・ 山門脇には彼岸花が咲いていた。 ・・・・・

群馬県館林に両親の墓があり、1年に1回墓参りに訪れる。
以前は1年に3~4回はお参りしていた。
歳を取るとともに回数が減ってきている。
今年は下の息子に車の運転を頼んで出かけた。

朝8時頃、東京・世田谷を出発した。
高速道路は思ったより混雑していなかった。
東北自動車道の館林インターに近い羽生サービスエリアで朝食を食べた。
サービスエリアを出て利根川に架かる橋を渡ると2~3分で館林インター。
田舎の道を10分ほど走るとお寺に着く。
家を出てから1時間半ほどかかった。

お寺では墓石の掃除などをし、お線香を供えてお参りした。
お参りを終えて庫裏に挨拶に伺った。
住職は出かけて留守だった。

留守を守るのは住職の母親、奥様と呼んでいる。
歳を伺うと今年95歳になるという。
矍鑠(かくしゃく)としていて、秋のお塔婆料などの領収証の名前などもしっかりと書く。
何よりも記憶がはっきりしてる。
羨ましいかぎりだった。
お寺の本堂にあった塔婆を頂いて、お墓に供えてお寺を後にした。


墓石の掃除

境内にザクロが一つ

館林は、夏になると「日本一暑い町」として幾度となくテレビニュースに登場する。
館林の話題となると、必ずこの「日本一暑い」ことを聞かれる。
その度に、「子供頃はこんなに暑くはなかった」と返事をしている。
95歳の奥様は、「50年前はせいぜい30度ぐらいだったね」と話していた。

そんな館林に、最近、「写真でみる館林」という本が出た、と高校の同級生からメールが届いた。
帰りに本屋に寄ったら店のシャッターが降りていた。
開いていない。
駅前の観光案内所で訪ねると、どこかに電話し問い合わせてくれた。
市の文化会館に置いてあり、いつもの土曜日は休館だが今日は係員が出ているという。
文化会館に向かい、本を手に入れた。


写真で見る館林

明治の頃の館林駅構内

駅舎

館林に行く際には訪れたいと思っていた場所があった。
北隣りの栃木県足利市にある「こころみ学園」のワイナリーだ。
ココ・ファーム・ワイナリーという。
足利まで足を延ばしてみることにした。
館林から約1時間かかった。

ココ・ファーム・ワイナリーは、小高い丘陵の急斜面に広がる葡萄畑に隣接していた。
1950年代に、特殊学級の担任教師と生徒たちが葡萄畑を開墾することから始まったそうだ。
テレビの番組で知った。
学校を出た知的障害者が生活していけるように「働く場」として造ったという。

そして、興味を持ったのは、
「善意だけでは長続きはしない。商品としても売れるものを作らないといけない」と、
アメリカ・カリフォルニアからワイン作りの指導者を招いて築いてきたことだ。
「善意だけでは長続きしない。」、、、含蓄がある。

現在150人が働いているという。
ショップやレストランもある。
もちろん、知的障害者たちは麓のアパートで自立して生活をしている。


38度の斜面にブドウ畑が広がる
写真左手がブドウ畑

麓にはワイナリー

ショップ&レストランのデッキ
奥がレストラン
右手がショップ

ここで造ったワインや
カリフォルニアワインを売っている

ココファームで造っているワイン
お土産に白ワインを
運転役の息子に赤ワインを買った

<続く>