2012年2月16日木曜日

私たちのシンガポール① ~波乱の出発~


【1日目】 2012年1月20日(金) =成田へ そしてシンガポール到着=


出発の朝は雪が雨に混ざることもあると予報が出ていた。
余裕を持って自宅を早めに出た。

私鉄の朝一番列車は午前515分、混雑していた。
成田空港へは、いつも私鉄で新宿に出て成田エクスプレスを利用している。
車内で旅のガイドブックを読んだり、朝早い時は軽食がとれるからである。

私たちにとっては久しぶりの個人旅行だった。
旅行会社のパックツアーとは勝手が違う。
あれこれの手続きを全て自分たちでやらなければ、、と
多少ナーバス気味であった。

成田空港に着くと、航空会社のチケットの発券が自動になっていた。
前の人のやり方を見て無事に発券を済ませた。
銀行に行って当座必要なお金と孫たちへのお年玉をシンガポール・ドルに替えた。
朝早いので、いつも利用している都市銀行の窓口は開いていなかった。
去年の11月にオランダへ行った時も開いていなかった。

去年の夏、息子がシンガポールに転勤になった。
家族はひと月遅れて9月に転居した。
言葉のことや孫たちの学校のことなどを聞いて、女房は心配になったようだ。
ひと月前に急にシンガポールに行くことに決めた。

出発の前日に体調が思わしくなく、夜中に何回か下痢をした。
今朝の目覚めはいつもと変わりなかったが、
自宅を出て新宿駅に到着すると、ホームの外れにあるトイレまで我慢できずに2回嘔吐した。
吐くと気分がよくなり、回復して成田までは何事もなかった。

ところが、成田空港の駅に着いたら、ホームを上がる気力がなかった。
気分が悪く歩くのがつらかった。
飲めない酒で悪酔いした時と同じような「血圧が低下する」感じがした。

女房が何度も「行くのをやめよう」と口にした。
その度に、3人の孫たちの顔が浮かぶ。
3人が思い思いに、「観光コースを決めて、じんじんばんばんを案内する」と聞いていた。
気持ちは女房も同じはずで強くは言い張らなかった。
やっとの思いで4階の出発ロビーに辿りついた。

航空会社のカウンターで女房が手続きをしていたときに、3回突然嘔吐した。
ビニール袋を持たされていたのでまわりを汚さずに済んだ。
すると気分がよくなり、この後は無事に旅行ができた。



全日空NH111便は定刻の10時40分に飛び立った。
あとは着くだけだと思いほっと安堵した。

機内ではドリンクサービスが始まった。

飲んでも大丈夫だろうか、、と恐々にリンゴジュースを頼んだ。
ジュースは冷たく酸味と甘さがミックスして、とても美味しく感じた。
シンガポールに着くまでリンゴジュースを飲み続けた。

しかし、機内食のランチは半分以上食べられなかった。
申し訳ないと思い、上手に隠したつもりでトレイを返した。
食べ残しで重たかったのか、アテンダントが「お味はどうでしたか?」と聞いてきた。


機内ではいつも
、旅行先に関する本や、読み残している小説類を読んで時間を過ごしている。
今回も旅のエッセイやマンガの本を持ってきたが読む気力がなかった。
映画で「寅さん」を見たがすぐに飽きてしまった。
浅い眠りにおちるか、フライトの航路図を見て過ごした。

台湾周辺まで3時間、さらにマニラ周辺まで3時間とぼんやり計算していた。
地図上でマニラとシンガポールが同じ緯度にあると思い違いしていた。
マニラから南に2時間飛ばなければならない。

シンガポール空域に入ると、機長から
「空港が混雑していて、管制官から待機するように指示された」とアナンスがあった。
しばらく待機した後、シンガポール港の大型コンテナ船やゴルフ場を見下ろしながら着陸した。

シンガポールのチャンギ空港には、予定の17時25分より40分程度遅れて着陸した。
東京との時差は1時間、外はどんより曇っていたが明るかった。


シンガポール・チャンギ空港

空港で荷物を受け取りロビーに出ると、息子と小学校2年生の孫娘が出迎えにきていた。
タクシー乗り場に出たが、想像していた熱帯特有の「むっと」する暑さはなかった。

薄暮の街をタクシーで通り抜けた。
シンガポールの第一印象は、女房が何度も口に出したように「緑が多い街」ということだった。

メインストリートを通り、ガイドブックによると、
オフィス街に最近高層住宅が建てられているニュートン地区に近いマンションに到着した。

去年の9月以来、3か月半ぶりの再会である。



街の遠景
<続く>


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