2013年12月31日火曜日

新宿散歩 ~カレンダーと最中~


昨日は、新宿の書店に来年のカレンダーを買いに出かけた。
どこかに出かける時は、散歩を兼ねているので「意味もなく」歩きまわることも多い。

昨日の新宿でもそうだった。
(ぶらぶらと立ち寄った場所は赤字+下線にしてみる。)


2013年も暮れの新宿

まずは、京王線新宿駅の南口側に出て、代々木駅寄りの紀伊国屋書店まで歩いた。
例年だと、2階の隅に臨時のカレンダー売り場が設けられる。
いつの間にかこのスペースにコーヒーショップができている。
6階のカレンダー売り場に行った。
品数が少なくて、買おう思っていたカレンダーはなかった。

紀伊国屋6階から回廊でつながっている東急ハンズにいく。
ここのカレンダー売り場にも事務用カレンダーと女性向けの物が多いようだった。
一通り見て外に出た。

JR新宿駅を左手に見て、伊勢丹デパートまで歩いた。
出かける前から、伊勢丹デパート地下の和菓子店「仙太郎」で最中を買うつもりだった。
途中、天ぷら屋の前に長い行列ができていた。
中国人観光客のようだった。

伊勢丹の地下に下りると、買い物客で混雑していた。
仙太郎の前にも長い行列ができていた。
一瞬買わずに帰ろうと思ったが、気を取り直して並んだ。
20分程で買うことができた。
3個の最中をショルダーバックに入れた。

エスカレーターに乗って陶器売り場を探した。
来年の干支「午(馬)」を探すためだ。
長男が午年なので、12年に一度だからと思ってJRAの馬の像を買ってあった。
先頃シンガポールに行った際に息子に話してみたが、あまり欲しそうでもなかった。
それでは、とデパートで探してみた。
陶器売り場は伊勢丹本館5階だった。

ガラス製の馬の置物があった。
値段は手頃だったが、気に入るか分からないので買うのをやめた。
反対側の店をみると、マイセンの焼き物の馬があった。
値段は6万円ほどだった。
見るだけにして、紀伊国屋本店に向かった。

4階に臨時のカレンダー売り場
ができていた。
安川電気の安川カレンダー「西海道棟方版画」とレオナード・ウィーバーのカレンダーを買った。





西口の電気量販店を覗いた。
カメラ売り場では、外国人が連れの女性の通訳でミラーレスカメラの説明を受けていた。
2階部分から外に出た。




向かい側の京王デパートの催事場で開かれている「古本市」に寄った。


古本市

一回りして、江戸川乱歩「乱歩随想」、角田房子「甘粕大尉」、渋沢龍雄「サド侯爵の生涯」、
村川堅太郎「地中海からの手紙」を買った。
最近は人物評伝の本を買っている。









喫茶店でコーヒーを飲みたがったが、ゆっくりしている時間もない。
新宿駅西口周辺には好みの喫茶店を知らなかった。
そのまま京王電車に乗った。

紅白歌合戦を見ながらこれを書いている。
2013年の最後のブログだ。

来年もよろしく。




2013年12月28日土曜日

築地場外市場 今と15年前と


一昨日1227日、築地場外市場へおせち料理の材料を買いに行ってきた。
もう15年近くも続けている。

歳のせいか寒さのせいか、最近は冷える早朝に出掛けるのが億劫になってきた。
9時前、通勤時間帯が終わる頃を見計らって家を出た。

京王相模原線で新宿に出る。
いつもは東京メトロで銀座まで行き、そこから歩くことが多い。
今回は寒い中を歩かなくてすむように最寄まで電車で行った。
新宿から都営大江戸線に乗り換えて「築地市場」で降りた。
築地には都営大江戸線「築地市場」駅と東京メトロ日比谷線「築地」駅がある。



「築地市場」駅の改札を出て、長い地下道を通って地上に出た。
築地市場の場内には、大きなトラックが荷降ろしも終わって何台も止まっていた。
歩道では、干し柿や落花生などを売る露店が出ていた。



午前10時過ぎに場外市場に着いた。
明け方まで雨が降っていたせいか、来る時間がいつもより遅かったせいか、
例年にくらべると人出が少なく、狭い通りも大混雑ということではなかった。
(とはいうものの年末の賑わいはあるのだが、、、。)

まず佃煮屋で買い物する。
15年前に初めて店をのぞいた時のことを思い出す。
店の主人が、「旦那さんは下戸だね」と言う。
「だって酒飲みは、どうぞと出された佃煮は必ずつまむからね」と続けた。
そんな主人の姿もいつの間にか見られなくなっていた。
また、アルバイトの店員がお釣りを間違えて、女房が喜んだこともあった。
そんなあれこれを思い出しながら今年も買出しを始めた。

まずは佃煮を

例年は人でごったがえし
カメラを構えることも難しかったが
今年はスムーズ

こんなアングルでも写真がとれる(ほど人が多くない)

午前10時を過ぎた頃には、ほとんどの店は営業を終えて店を閉めていた。

越し方にくらべて、狭い路地にも閉ざした店や空き地が目立つようになってきたと感じた。
市場の移転が関係しているのだろうか。
いつの間にか寿司屋や飲食店に変わっていたりする
市場でなく、飲食店街に成り変わりそうな勢いである。

以前は、店の裏側や大通りに面した所で蕎麦やラーメンを売っていた。
市場内にも、市場で働く人のために飲食店が並んだ一角がある。
中には中国や韓国の観光客で長い行列ができる寿司屋もあった。
今年は立ち寄らずに帰ってきたが、今でも行列ができているのだろうか。

場外のイタリアンの店に行列ができていた。
気が付くと、観光客や買い物客の他にも若い人の姿が多く見られた。
年配者はメモを片手に買い物をしている。
若い人はスマホを片手に店選びをしてる。

人通りが寂しい

人気の店のようだ

店頭で焼牡蠣を売っているお店があった。
熱々で美味しそうだったので買った。
1つ300円。




我が家の買い物の仕方では、それぞれに趣向が異なる。
女房は、名の通った店の品物を選び、毎年同じ店で買う。
私は、買ったことのなような店で、あまり聞いたことのない品を買う方である。
毎年、市場の外れにある店で「カツオ節」を買って買い物を終える。
今年も例年通りだった。




いつものルートでは、ここから場内の寿司屋に行くのだった。
去年は違った。
シンガポールから孫たちが来ていて一緒だったので、場外市場にできた寿司屋に入ったのだった。
味も評判通りだったので、今年もそうしようかという話になった。
昼には早かったが混雑する前に入った。

マグロの最高値で有名なあのお店

飲食店の呼び込みは活発だ
特上握り

あとはお好みで。
寿司屋では、
「(できるだけ)隅に座って」、
「まずは一人前を頼み」、
「食べたいものがあったら追加で握ってもらう。」のが我が家流である。

以前に行った場内の寿司屋でのこと。
あまりにも美味しかった「大トロ」を追加で頼んだ。
しかし、会計の際にその追加の料金が入っていなかったことがあった。
女房は、「きっとサービスよ」と澄ましていた。

隣の席が空き、外国人女性2人組みが座った。
職人が写真のためのポーズをとったりしてサービスしていたが、香水の匂いが気になった。
店も混雑してきたので支払いを済ませて早々に出た。

買い物しながら物色したコーヒー店に入ってみた。
ビニールハウスのような狭い店だった。
品数も少なかった
カフェオレを頼んだが、ミルクコーヒーの味だった。
しばらくすると、タバコの嫌な匂いが漂ってきた。
よくみると「女性用の喫煙室」だった。
いつもは大通りにあるコーヒーの大手卸がやっている店に立ち寄っている。
新し物好きも災いすることがある。




帰りは散歩するつもりで銀座まで歩いた。
途中で岩手県のアンテナショップに寄った。
名物のイカ入り南部せんべいを買った。

四丁目の交差点で赤信号で立ち止ると、斜め前に馬の大きなディスプレーが見えた。
銀座の街では、午年にちなんだ取り取りの馬のディスプレーがウィンドウを飾ったり、
門松も置かれ正月準備ができていた。








有楽町まで歩き、東京駅から新宿経由で家に戻った。




2013年12月16日月曜日

シンガポールへ再び ~明日から~


明日からシンガポールへ旅行する。
飛行機泊を入れて5泊6日である。
今回は、ホテルの宿泊やフライトの手続きまで自分で済ませた。
個人旅行である。


シンガポール共和国は
マレー半島の先っぽあたり

国土は東京23区とほぼ同じ広さ
シンガポール島と周辺の島々の63島からなる

シンガポールには、息子が赴任している。
嫁や孫3人も一緒だ。
孫たちは、現地のインターナショナルスクールに通っている。

前回シンガポールを訪れたのは2012年1月。
   (その時のブログは「私たちのシンガポール①」~「〃⑥」に)
女房が「孫たちの生活を見たい」というので出かけた。
丁度中国の旧正月の時期に当たり、中国人世界の旧正月の過ごし方を垣間見ることができた。

今回2回目のシンガポール行きは、女房が孫に会いたいし成長を見たいというし、

孫たちとの約束もあった。
息子は来年には転勤で日本へ戻りそうだ。



今回のシンガポールは、まずホテルの指定が大前提だ。
マリーナベイ・サンズ・ホテルである。
前回、皆で天空のプールを見るために54階まで上がったが、プールを見ることができなかった。
見えないように囲われていた。
宿泊客しか入れない。
入らないと見えないようになっていた。
孫たちに、「次に来る時はホテルに泊まって、プールに入ろうね」という約束をした。


約束を決行しようと旅行会社のツアーを調べると、精々「2泊」、しかも1泊は到着日である。
これではゆっくりできない。
旅行のサイトを見ていたら、偶然マリーナベイ・サンズ・ホテルの宿泊予約を見つけた。
すかさず予約した。


ホテルの予約確認
何でもネットだ

ホテルの宿泊料(税・サービス料別)
平日 359 S$/泊 週末479 S$/泊

ホテルは、12歳以下の子供は2人まで無料になっている。
チェック・アウトはテレビ画面でできるようになっているらしい。

航空券もインターネットでかなり早くに予約した。
最終的に受け取った「チェックインしてください」のメールでは、予約した座席が変わっていた。
明日、空港カウンターで変更を頼んでみよう。


シンガポール観光は前回行った時に“ある程度”はしている。
今度は、隣のマレーシアに「昼食でも食べに行こうか」と連絡したら、
「マレーシアへの日帰りバスツアー」があるというので、ママ(嫁)が予約してくれた。

孫は上から、長男の高校2年生、長女は高校1年生、次女は小学5年生。
皆逞しくなっているらしい。
はやく会いたいものだ。

飛行機の中で退屈しないように、iPadminiに映画「ローマの休日」をダウ
ンロードした。
電子書籍も一冊ダウンロードした。




それと、いざという時のために翻訳アプリもインストールした。




ちょっといつもとは違う旅になりそうだ。



2013年12月4日水曜日

神宮の銀杏と京都の千枚漬け


12月2日、京都の紅葉見物から帰ってきた友人と食事をした。
旅の好きな友人は、旅から帰ってくると必ず食事に誘ってくれる。
食事をしながら、京都の紅葉見物のあれこれを聞いた。
20年ほど前までは京都によく出かけたものだ。
その時の記憶と重ね合わせながら話を聞いた。

紅葉が盛りだったそうだ。

どこに行っても、人、人、人で混雑していたという。
混雑はあるものの、その紅葉は素晴らしかったようだ。
友人のブログにも見事な紅葉が投稿されている。

そしてお土産に、聖護院大根の千枚漬け、銀閣寺のしば漬けや山椒ちりめん等を頂いた。



京都のお土産の数々

聖護院の千枚漬けは大好物だ

京都の千枚漬けは毎年今頃がシーズンで、我が家でもスーパーで買っている。
今年は何故かあまり目にしていない。
そんな折だけに嬉しいお土産だった。
お土産に加えて、友人のふるさとのリンゴも一緒に頂いた。


翌日の3日は、東京・三軒茶屋の眼科医に行った。

緑内障の嫁がお世話になっている。

ドクターは東京の大学病院で長らく勤務した後、今年6月に開業したばかりである。

開業したばかりの頃は来院者が少なくて経営に不安を感じたといっていた。
この日は来院者も次々に訪れていた。

医院を出たのは正午近かった。
三軒茶屋で昼食をすませた。

この後は、神宮の「銀杏」を見に行った。
絵画館前には素晴らしい銀杏並木がある。
今は銀杏の紅葉がよい頃だろう。
地下鉄で向かう。

青山一丁目で降りて地上に出たが、どっちの方角かわからず交差点の交番で聞いた。


復刻版 昔懐かしい銀座線車両



絵画館前は大分落葉が進んでいた。
天辺は葉が付いていない銀杏もあった。
歩道の落ち葉は掃かれて、黄粉のような粉だけが残っていた。
同じように紅葉見物に来た人たちが、空にカメラを向けたり、残り少ない銀杏を撮るのに工夫しているようだった。




歩道脇では、水彩画を描いている人たちの姿があった。

銀杏並木は画になるようだ。
覗き見て愉しませてもらった。


一人、、

二人、、

、、、、何人目だったかな。

絵画館の前に行くと、「いちょう祭」の看板が目についた。
色とりどりの露店の旗や幟が、絵画館の建物を覆い隠していた。
観光バスが道路脇に止まっている。
着いたばかりのグループに添乗員が注意事項を話していた。

家を出る時には、

ここ神宮絵画館から原宿まで歩いて、最近話題の雑貨店に行くことにしていた。
疲れてきたので地下鉄に1駅乗って、表参道から原宿まで歩いた。
現役で働いている時は、渋谷駅から遠回りして代々木まで歩いて通勤したものだ。
久しぶりな感じがした。
雑貨店には行列ができていた。





15分程で入店したが、「欲しい」というものはなかった。
シンガポールに持っていくお土産にと、相棒が小学校5年生になった孫娘に文房具を買った。



2013年11月29日金曜日

「印象派を超えて―点描の画家たち」展と+α


昨日は大学時代の友人の誘いで、国立新美術館の絵画展を観てきた。

『印象派を超えて―点描の画家たち ~ゴッホ、スーラからモンドリアンまで~』
という長いタイトルがついている。




いつものように 新宿小田急線改札口で午前10時半に待ち合わせた。
約束時間より早く着いたので、駅近くの電気量販店に入りパソコンなどを見て時間をつぶした。
トイレに行ったりしていたら、友人はすでに待ち合わせ場所に来ていた。
地下鉄大江戸線に乗り六本木で降りて少し歩いた。

美術館は混雑していなかった。




友人は、解説の「ガイド機器」をいつものように一緒に借りてくれた。
今回は「これ」が鑑賞する上で大変役に立った。





美術展の構成は5つに分かれていた。
Ⅰ 印象派の筆触
Ⅱ スーラーとシニャック 分割主義の誕生と展開
Ⅲ ゴッホと分割主義
Ⅳ ベルギーとオランダの分割主義
Ⅴ モンドリアン 究極の帰結

20世紀最大のコレクションを誇るクレラー=ミュラー美術館(オランダ)所蔵作品が数多く来日し、
「点描主義」にフォーカスした美術展となっている。

Ⅰ 印象派の筆触
まずモネ、次にシスレーと続く。


クロード・モネ 「藁葺き屋根の家」 1879年
空の明るさを背景に家の壁や植物の立体感がすごい

こちらもモネ 「サン=ジェルマンの森の中で」
1882年の作品
紅葉した落ち葉がふっさりと重なり、
人気のない森が美しい

アルフレッド・シスレー 「舟遊び」 1877年
手前の一本の木が構図を印象的にしている


こちらもシスレー 「森のはずれ 6月」 1884年
背景の赤い建物や人物がさり気なく効いている

こちらもシスレー 「モレのポプラ並木」 1888年
光のきらめき感が出ている

カミーユ・ピサロ 「エラニーの教会と農園」 1884年
タッチによる遠近感が貼り絵のよう

こちらもピサロ 「エラニーの牛を追う娘」 1884年
ピサロは54歳でエラニーに移り住んだらしい
後にもエラニーの風景が登場する

ポール・セザンヌ 「曲がった木」 1888~1890年
木による分割が画面を引き締めている

Ⅱ スーラとシニャック 分割主義の誕生と展開
光や色を理論的に捉えて分割主義(点描)をつくりだした、その変遷。
スーラが生んだ分割主義は新印象派と呼ばれる。


ポール・シニャック 「ダイニングルーム」 1886~1887年
粒子感が出て粉のような光が表現されている
点描が向いていないとされる人物表現にも取り組んだ

ジョルジュ・スーラ 「ポール=アン=ベッサンの日曜日」 1888年
旗の技巧もあって長閑な日曜日がうかがえる

こちらもスーラ 「グラヴリーヌの水路、海を臨む」 1890年
水面というのは点描に適しているのだろうか、水の場面が続く

こちらはシニャック 「コリウール、鐘楼」 1887年
水面の小さな揺らぎが表現されている
スーラよりも荒い大きな点描が水面に動きをつくっているのか

こちらもシニャック 「マルセイユ港の入口」 1898年
光の表現が印象的で神秘感さえ出ているようだ
シニャックの点描はより大きなタッチになってきている

こちらもシニャック 「オレンジを積んだ船、マルセイユ」 1923年
大きな点描を使い、快活な感じがうかがえる

こちらはスーラ 「マフをはめた婦人」 1884年
コンテのクレヨンによる素描
これだけで雰囲気が出ているから不思議だ

こちらもスーラの素描 1884~1885年
「若い女(グランド・ジャット島の日曜日のための習作)」
姿勢がよく清楚な女性が祈っているようにみえる

<参考>
こちらがスーラの「グランド・ジャット島の日曜日」 1884~1886年
なるほど、、、
点描画は人物表現には向いていないとされていた
当時の人々には「おもちゃの兵隊か人形」にしか見えなかったらしい

カミーユ・ピサロ 「エラニーの農園」 1885年
前出の作品と比べると木の葉などに生命感が出ているよう
木の使い方(アングル)で構図が面白くなっている

こちらもピサロ 「エラニーの牧場」 1885年
手前の木がしっかり表現されて画面に奥行きがある
うねりのある木と遠くの直立の木の対比の面白い

マクシミリアン・リュス 「鋳鉄工場」 1899年
人物も力強く、もはや人形ではない
リュスはこの炭鉱の町の産業・労働を見て衝撃を受けたらしい

モーリス・ドニ 「カトリックの秘蹟」 1891年
線がやわらかく、独特なイメージ
光と影の境界が子供の服の裾模様と連なって
やわらかな丸い光を現出させている
Ⅲ ゴッホと分割主義
フィンセント・ファン・ゴッホとポール・ゴーギャンが続く。
ヘレン・クレラー・ミュラーが最も好きな画家がゴッホ。
彼女は、「彼の価値は彼の表現方法、技法だけではなく、彼の偉大で新しい人間性にあるのです。彼は近代の表現主義を生み出しました。」と述べ、ゴッホ美術館に次ぐコレクション数を誇る。

ゴッホ 「太陽と雲のある囲われた麦畑」 1889年
療養所の窓から見える景色を描いた
空が鬩ぎあっているように見えるが暗くはない

ゴッホ 「石膏像のある静物」 1887年
黄色と青の色使いはゴッホ

ゴッホ 「レストランの内部」 1887年
点描感がある作品

ゴッホ 「種まく人」 1888年
尊敬するミレーに倣った作品

ゴッホ 「麦束のある月の出の風景」 1889年
空気のうねりが独特だ

ゴッホ 「じゃがいものある静物」 1888年
黄色い器と青の影、紅色の使い方がゴッホらしい

ゴッホ 「自画像」 1887年
心象が背景の表現や表情に出ているよう

ゴッホ 「若い女の肖像」 1890年
当初の背景は赤と緑を対比させていたそうだ(褪色してしまった)

ゴーギャン 「水飼い場」 1886年
水面への映り込みが美しい

ゴーギャン 「木靴の職人」 1886年
この絵の裏に下の絵が描かれた

ゴーギャン 「海岸の岩」 1888年
ゴッホとアルルで共同生活を始めた年の作品
その後1891年にタヒチに移り、数々の代表作を生み出した

Ⅳ ベルギーとオランダの分割主義
1891年スーラが若くして急逝し、分割主義の熱はフランスからベルギー、オランダへと移った。
トーロップやプリッカーなどオランダ・ベルギーの新印象派の作品が登場する。

点描画がベルギーに紹介された当初の評は、「精神錯乱、致命的な発作を引き起こしかねない」。
しかし前衛的な若者たちは、科学的に確立されてきた技法に進歩性・先進性を感じ、大いに触発され受け入れられていったようである。


ヤン・トーロップ 「オルガンの音色」 1889年
点ではなく線の表現、画面に何かの気が満ちているよう

トーロップ 「海」 1899年
上の「オルガンの音色」から10年

トーロップ 「版画愛好家(アーヒディウス・ティンメルマン博士)」
1897~1900年頃の作品

トーロップ 「秋」 1908年
ずいぶんとタッチが変わっている 大胆な点の中に母娘が浮かぶ

トーロップ 「L.ラウレイセンの肖像」 1911年
タッチが力強く大胆に 眼力すさまじい
トーロップの晩年は人気肖像画家だった
「収入はいいが、気分は最悪だ」と語った

<参考>
トーロップの代表作 「3人の花嫁」 1893年
この作品もクレラー=ミュラー美術館の所蔵のようだが来てなくて残念
3人は左から「神に嫁ぐ天上の花嫁」、「人間に嫁ぐ地上の花嫁」、「悪魔に嫁ぐ地獄の花嫁」
アール・ヌーヴォー感が出ている

ヨハン・トルン・プリッカー 「花嫁」
1892~1893年の作品
十字架のキリストの前で跪き顔を近づける花嫁
線やモチーフ、構図にアール・ヌーヴォーを感じる

こちらもプリッカー 「十字架の傍らで(チューリップの聖母)」
1892年の作品
「花嫁」と共通する構造がある

こちらもプリッカー 「レ・ゾー」
1900~1904年頃の作品
何かの心象風景だろうか、、ゴッホの影響を受けているよう


テオ・ファン・レイセルベルヘ 「満潮のペール=キリディ」
1889年の作品
点描画に取り組みはじめた
レイセルベルヘは後に点描の肖像画の名手となる

こちらもレイセルベルヘ
「<7月の朝>あるいは<果樹園>あるいは<庭園に集う家族>」
1890年の作品
人物を描くことに取り組んでいく

こちらもレイセルベルヘ
「<ギーシアとオダリスク>あるいは<陽光>」 1906年
スーラやシニャックとは明らかに違う点描人物の表現

<参考>
こちらはレイセルベルヘの点描画以前の作品
「マルグリット・ファン・モンスの肖像」 1886年
もともと肖像画に力量があったことがうかがえる

アンリ・ヴァン・ド・ヴェルド 「夕暮れ」 1889年
ヴェルドは1894年から建築設計をはじめる
クレラー=ミュラー美術館を設計したのもヴェルドだ

こちらもヴェルド 「裁縫する女」 1891年
点というより線でシンプルに描き出している

ヘンドリクス・ペトルス・ブレマー 「石炭入れのある食器洗い場の眺め」
1899年の作品
ほんわりとして愛らしい作品
ブレマーは富裕層への美術講義をしていた
そこでクレラー・ミュラー夫人と出会ったそうだ

レオ・ヘステル 「逆行の中の裸体」 1909年
キュビスムへ移行する前の作品

Ⅴ モンドリアン 究極の帰結
抽象絵画の先駆者ピート・モンドリアンの変遷が見える。
(下の作品は全てモンドリアン。わかりやすくするために<参考>をたくさん付けた)
まずは、オランダ南西部ゼーラント州の海辺の町ドムブルフ(Domburg)に滞在した際の風景を
いくつも残している。
先に町について地図と写真を。


赤がゼーラント州

ドムブルフの位置

ドムブルフの浜辺風景
モンドリアンはこんな風景をどう切り取ったのだろう


「突堤の見えるドムブルフの浜辺」 1909年
上の写真と反対のアングルだ
単なる風景画を描いたものではない
シンプルな風景の構図が気に入ったのだろうか、
ドムブルフの作品は多い

<参考>
「View from the Dunes with Beach and Piers,Domburg」 1909年
ニューヨーク近代美術館所蔵

色をパーツに置いていくような技法
既に風景が抽象化されている
手前の砂丘、浜辺と海、そして空に大きく分割しながら
ホライズンで捉え、ホライズンで描き出している

「砂丘」 1909年
点描の砂丘は何点か連作で描いている、その内の一つ
これらもドムブルフを描いているらしい
この地でトーロップに出会い、点描技法を学んだとか

<参考>
「砂丘Ⅲ」 1909年
デン・ハーグ美術館所蔵
砂丘の形状が色の配列で表現されている

<参考>
「夏、ゼーラントの砂丘」 1910年
グッゲンハイム美術館所蔵
より単純化した色での表現

<参考>
「砂丘風景」 1911年
線を際立たせた硬質な面を出している

<参考>
「しょうが壷のなる静物Ⅰ」 1911~1912年
グッゲンハイム美術館所蔵

2つ下の「コンポジション」への変遷がみられるので紹介
これはまだ見たものを表現している

<参考>
「しょうが壷のなる静物Ⅱ」 1911~1912年
グッゲンハイム美術館所蔵

より単純に捉えてパーツ分けしつつ、
見たものから「見えない」何かを抉り出しているのかもしれない
「コンポジション」への着想が見えるよう

「コンポジション No.11」 1913年
この下には元となる何かがあったはず
「コンポジション」とは構成、組成、組立て、構図

「赤と黄と青のあるコンポジション」 1927年
このコンポジションシリーズは上空から見た街の表現だとか
色は光の三原色(赤、青、緑)と色材の三原色(シアン、マゼンダ、イエロー)から3色
光や色を科学的に追求したスーラらの分割主義を体現し、抽象に昇華させたのか

<参考>
「ブロードウェイ・ヴギ・ウギ」 1943年
ニューヨーク近代美術館所蔵

ニューヨークで亡くなる前年、70歳の作品
街を描き、黒の線を取り除いている
緊迫感がなくなり、楽しげなメロディが聴こえてくるようだ


(絵画展とは離れるが、)
モンドリアンは近代モダニズム建築にも影響を及ぼしている。
1917年、モンドリアンの新構造主義を理念とした芸術運動「デ・ステイル(様式)」のグループが結成された。
もちろんモンドリアンは主要メンバーだ。
モンドリアンの新構造主義は、コンポジション作品で追求されてきた「三原色と無彩色(白~黒)、
水平線と垂直線による格子構造」のこと。
ここから建築の世界遺産も出ている。

ヘリット・リート・フェルト 「シュレーダー邸」 1924年
リート・フェルトは「デ・ステイル」のメンバー
構造、造形にモンドリアンの主張が取り入れられている
世界遺産

リート・フェルト 「赤と青のチェア」
色と直線構造はまさにモンドリアン

こちらはル・コルビュジェ設計建築
「ユニテ・ダンタシオン マルセイユ」 1945~1952年
近代モダニズム建築の三大巨匠の1人コルビュジェは
モンドリアンを「姿なき建築家」と言っていたそうだ。
この設計にモンドリアンとの関係は明示されていないが、
格子のグリッドや色使いに影響、もしくは同じような思考が見られる。

美術展を観終わった。
冒頭でも述べたが、今回は解説の「ガイド機器」が大いに役立った。
通常はガイド機器を借りることはほとんどない。
目玉絵画以外の解説が入っていなかったり、自分のペースで鑑賞できないのがその訳だ。
しかし、今回はガイドのお陰で印象派の作品と時代の流れがよくわかった。
特にゴッホやゴーギャンと印象派のつながりや抽象画への流れが分かったように思う。


パンフレットと記念の絵葉書

美術館のロビーでしばし友人と話をした。
最近の政治やお互いの近況についてだ。
しばらくしてから、東京駅の変わり様を見ようということになり腰をあげた。
地下鉄に乗り、国会議事堂前で丸ノ内線に乗り換えて東京駅に出た。


地下鉄乃木坂方面へ

八重洲側の東京駅グランルーフ2階ペデストリアンデッキを見て歩いた。
デッキの南側(グラントウキョウ・サウスタワー側)に行くと、
ビルの入口に大勢の人が集まっていた。
しかもヘルメットをかぶったり、手に持ったりしている。
友人が警備員に聞くと、「防災非難訓練をやっている」とのことだった。


防災避難訓練中



遅めのランチにしようと地下の飲食店街に下りた。
この地下街は、広くて、長くて、その上店の数が多くて、なかなか店を見つけられなかった。
やっと韓国料理を見つけて入り、ビビンバと冷麺セットを食べた。




友人は、冷麺のスープが美味しいといっていた。
子供の頃に食べた懐かしい味がするのだと。
友人は戦後まで朝鮮で育っていた。

まさに本場の味の体得者だった。

新宿駅に出た。
デパートの地下に下りると、友人から手土産にと「カステラ」を頂いた。
朝の内に予約していたようだ。
急遽、「たねや」の栗ようかんを奥様にと手渡した。

夕方自宅に戻ると、三重の親戚から牡蠣の燻製やオリーブオイル漬けが届いていた。
説明書には「鳥羽の珍味」と書いてあった。
早く食べてみたい。