2013年7月29日月曜日

アンコール遺跡⑥ ~ベン・メリア~


前回、ベン・メリアの入口まで来た。

入口のトイレに感心し、昨日今日と物売りをする子供たちを見ながら暫し物思い。
感じたことを綴って終わった。

改めて続きを再開しよう。


【3日目】 2013年7月22日午前 =密林に眠る巨大遺跡 ベン・メリア散策=

= (8)ベン・メリア <花束の池> =

アンコール・ワットから東へ直線距離で50キロ。
修復されないまま森の中にひっそりと眠っている巨大寺院、とガイドブックにある。
良質の砂岩が取れるクーレン山の南東にある石切り場に近い、ともある。
クーレン山はアンコール朝の創始者初代王ジャヤーヴァルマン2世が即位した場所だ。
800年頃のことである。
昨日見学したロリュオス遺跡の寺院は879~893年に建立されていた。
9世紀に、ロリュオスの方へ60~70キロ程にわたり支配を拡げていったのか、、などと空想する。

ベン・メリアは、11世紀末~12世紀初頭、アンコール・ワットより以前に造られたとされ、
その構造に類似点が多いことから、アンコール・ワットのモデルになったと考えられている。
そして、「東のアンコール」と言われている。
第16代王ジャヤーヴァルマン6世が建設を開始し、
第18代王スールヤヴァルマン2世(アンコール・ワット建立王)が完成させたと推察されている。

ベンとは「池」、メリアとは「花の束」で、「花束の池」という名だ。
今は鬱蒼とした森であり、およそ“花束の池”を感じるものではないが、
アンコール朝の頃には環濠に美しい蓮の花が水面を覆っていたのかもしれない。
・・・そういえばバコンの環濠には蓮の花が咲いていた。・・・

宮崎駿監督のアニメ「天空の城ラピュタ」のモデルになった場所だとか。
修復をされないままに残されているため、探検しているような気分が味わえると人気なようだ。
瓦礫や生い茂る木々で足元には注意が必要だ。

10年も前には、この辺りは地雷が散乱し立ち入ることもできなかったらしい。
内乱が終わり、地雷撤去と道路の整備が進んだおかげで世界各地から人が集まる。


さて、散策開始。
(ここからは、写真にコメントをつけながら進める。)

この先に寺院がある、
いわゆる参道。

参道の欄干にはナーガ
ここのナーガが最も原型を留めている。

5頭のナーガ
両性を表しているともいう。

地雷が除去されたことを告知している。

地雷センターのサイン

正門は崩壊。
地盤沈下のためらしい。

こちらも地盤沈下

優美な線はデヴァターの像であろうか、、
判明しない。

樹木が絡みついている。

寺院が現れてきた。

木々で全貌がよくみえない。

崩落しているが回廊の門

北の経蔵。連子窓がある。

像も半ば埋もれている。

どこからでも樹木は自生する。

ヴィシュヌ神かシヴァ神か、、。
持ち物が判明しない。

壁の裾に猿顔の連続レリーフ
現地ガイドが興味を持っていた。

ここにもレリーフ。
草が生えている。生命力強し。

大勢の人が散策する。

木がまたがっているよう、、。

フラッシュをたかないとこんなに暗い。

回廊の終わりには連子窓。
連子窓はアンコール・ワットの典型的な美の一つ。

暗闇の回廊から外をのぞく。

木の柵で誘導されている。
ここから出るのは危険だそうだ。
毒蛇もいるらしい。

寺院の一番高いところから。

ここが写真スポット、らしい(?)

回廊の外側
連子窓も欠けて、、。

顔越しのワンショットも。

屋根が崩落したのか。
瓦礫で塞がれた通路

回廊の門も瓦礫に埋もれて。

回廊の外側
ここにも連子窓が。

十字回廊の角

森の精霊が遊んでいるような、、、

十字回廊にある「ラーマーヤナ」のレリーフ
ラーマ王の活躍の叙事詩

「乳海攪拌(にゅうかいかくはん)」のレリーフ
ヒンドゥー教における天地創造の神話

散策終了。

帰りに出口を見るとゴミが、、、。


1人70ドルの「ベン・メリア」観光は終わった。

これからシェムリアップに戻って昼食の予定。
昼食の後は、アンコール・ワットの見学である。


<続く>



2013年7月28日日曜日

アンコール遺跡⑤ ~ベン・メリアを前に暫し~


門前には、物売りの子供たちが待ち構えている。
断っても逃げても後を追ってくる。
その執拗さにはいささか閉口したが、
彼らは決して「物乞い」はしなかった。
旅から帰った今、
この子供たちがカンボジアの明るい未来をもたらすのだという
確信に近い思いに捉われている。
     

【3日目】 2013年7月22日午前 =ベン・メリアへ向かう=

これから向かうのは「ベン・メリア」。
シェムリアップから東へ直線距離で50キロにある、森に埋もれたままの寺院だ。

遺跡の入口に公衆トイレがあった。
平屋で屋根は薄いオレンジ色の瓦葺きである。
中は広くて清潔で、トレットペーパーも供えられていた。

昨日の観光でも、ロレイ寺院からプリア・コーに向かう途中に公衆トイレがあった。
ヨーロッパでは通常トイレは使用料を取られる。
ここでは無料である。
また、周辺の住民がこの「清潔なトイレ」を日常の中で使っている様子はなかった。


ベンメリア入口にある大きなトイレ施設

トイレットペーパーもある

清潔に保たれている

売り子がトイレでも後を追う

このトイレ周辺でも物売りの子供たちがいた。
発展途上の国では見慣れた光景である。

アンコール遺跡でも寺院の門前には沢山の売り子がいた。
おやっと思ったのは、寺院内の観光エリアに入ると、それ以上は付き纏わないことだ。
その点警備をしている大人の警官は悪質だ。
  (警察官については、「アンコール遺跡③」に書いている。)

旅慣れている人は上手に逃げるが、ついつい買ってしまう人もいる。

東京・杉並で書道の先生をしているという女性は、
バスに戻ってくる時にはいつもスカーフやズボンなどを持って帰ってくる。
そして、
「どこにお住まいですか?
次の日曜日に近所の公園のフリーマーケットに行ったら、叩き売っているかも・・・」などと冗談を言って笑っていた。
それほど買っていた。
バス後部座席で買ってきたものに着替えたりもしていた。
ボタンがすぐに綻びてしまい、首に巻いてスカーフの代用に使ったりしていた。

カンボジアでは、学校は2部授業で、農村地帯では3部授業の学校もあるそうだ。
1クラスの人数は70人が普通だという。
親は1日中働いている。
売り子たちは、幼くて大きな労働力にはならず、見よう見まねで物売りを始めるらしい。
強要されたのならば続かないだろう、と言っていた。

「ワンダラー、ワンダラー」と執拗に追ってくる。
思えば、私が彼らと同じ年頃の時分、日本は戦争に負けた。
日本の子供たちは、「ギブミーチョコレート」とアメリカ兵の後を追っていた。

この記憶より、アンコール遺跡の売り子のほうが健全に映った。
彼らは物乞いはしていない。
彼らなりに稼ぎをつくっている。


この後に売り子たちがやってくる

遺跡は子供たちの“遊び”と“稼ぎ”の場所だ

どこの寺院にも子供たちがいる

遺跡の周辺での暮らしの一場面

旅の途中では、
いろいろなものを見、いろいろなことに触れる。
そして、いろいろなことを感じるものである。

<続く>



2013年7月27日土曜日

アンコール遺跡④ ~シェムリアップの夜~


【2日目】 2013年7月21日夜 =夕食とシェムリアップのナイトツアー=

夕食はレストランで「タイスキ」だった。


レストラン入口

店内風景

ひと鍋4人分
野菜、水餃子、水たき、丸い厚揚げ風、
最後は麺を入れてうどんすき風に

ビールは各種あった。
いつも「アンコールビール」



この夕食も美味しく頂いた。

この後は、シェムリアップの夜の街を散策するオプショナルツアーがあった。
旅行に来る前はオプションに参加する予定ではなかった。
疲労感もあった。
しかし熱帯の夜は魅惑的だ。
昼間には見せないであろう夜の遺跡の街を見たくなった。



ナイトマーケット

大勢の人で賑わう

夜の街は方向感覚を失わせる。
バスに乗っていると急に道路脇に、野菜の山、果物の山、お米、中古の靴の山が現れた。
ひとしきり走って夜の商店街の外れにバスが停まった。


道路脇の商店

いなごの佃煮

カエルの串焼き

夜の遊園地になっている。
子供たちが着飾って遊んでいる。
一角でやっていた風船割りゲームに挑戦した。

ダーツの矢4本を壁の風船に当てて割る。
割った数で商品が違う。
射的に夢中の若者もいた。


壁の風船を矢で割るゲーム

矢を真っ直ぐに投げられない。
意外と難しい、、

射的に夢中の若者達

シェムリアップでは、以前にはホテルにカジノがあったという。
カンボジア人は夢中になる人が多く、社会問題になって禁止になったという。


子供が歌っていた

扇風機が推進力に

次は夜の繁華街に移った。
街角でヨーロッパ人の若い女性がドクターフィッシュの水槽に足を入れてはしゃいでいた。
歳も忘れて申し込んだ。
女性の中に男性が入ることはできないと断られた。


夜の繁華街

ドクターフィッシュ
女性用で断られ、、

レストラン街を歩いていると、またドクターフィッシュをやっていた。
今度は水槽が2つあった。
男性用に入ってみる。
魚を独占してしまい、周囲の笑いをさそった。


今度は男性用もあり大丈夫

魚がどんどん寄ってくる
独占状態

欧米人が多い



寿司バーもあった

しばらく遊んでから、今度は大人の時間とばかりにライブをやっているバーに入った。
曲はよくわからなかった。
混雑していた。

大人の時間はバーで

ライブ、でも歌がわからない、、、

ホテルに戻ったのは、夜11時半を過ぎていた

<続く>