2013年7月27日土曜日

アンコール遺跡③ ~東部、北東部の4遺跡~


  カンボジアでの食事は、いつも美味しかった。
  旅行では、いつもどんな食事がでるのか興味を持っている。
  今回のシェムリアップでは、アジアンフードによくある“スパイスの効き過ぎ”がなかった。
  日本人の嗜好(というか自分の嗜好)に合っていた。
  食事はホテルのレストランが多かった。
  街の屋台には水道の設備がなく洗浄が不十分で、現地でも若者しか利用しないそうだ。


【2日目】 2013年721日午後
     =(4)プラサット・クラバン (5)バンテアイ・スレイ (6)東メボン (7)プレ・ループ=

ロリュオス遺跡群の後は昼食。
今回のツアー参加者の宿泊は二手に分かれていた。
今日の昼食は、私たちが泊っているエンプレス・アンコール・ホテルのレストランだった。
すでに朝食で利用しているので、他のホテル宿泊者を招待しているような感じだった。

バラの花に仕上げたバター
これまではあまり見たことがない

野菜スープ

焼き鳥風肉料理

カボチャのデザート

昼食の後は、再び遺跡巡りだ。
遺跡群の東~北東部を巡る。



= (4)プラサット・クラバン =

921年、第5代王ハルシャヴァルマン1世が建立し、ヴィシュヌ神に捧げられた寺院。
ハルシャヴァルマン1世は第4代王ヤシャーヴァルマン1世の息子である。
1964年フランスが修復。
総レンガ造りが特徴だ。
南北に5つの祠堂が一つの基壇の上に並んでいる。

祠堂の内部の壁面に浮き彫りがされているのも珍しい(ここが唯一とも)。
中央の大きな祠堂にはヴィシュヌ神像(レリーフ)が3面に祀られている。
北端の祠堂にはヴィシュヌの妻ラクシュミー(女神)の像が2面に祀られていた。
ヴィシュヌ神は3最高神の1人で、世界維持を司る。
他の2神、世界創造のブラフマー神は南側に、破壊と創造のシヴァ神は北側の祠堂だ。
ラクシュミーは富と幸運の女神。


3最高神と女神の祠が並ぶ

三界を闊歩したヴィシュヌ神
3歩で世界を闊歩したという。

ガルーダ(神の鳥)に乗るヴィシュヌ神

ヴィシュヌの妻ラクシュミーのレリーフ
両側を信者が守っている

右側は合掌する侍女
向かっているのはきっとラクシュミーであろう。
(削られていてわからない)


= (5)バンテアイ・スレイ <女の砦>=

シェムリアップから北東へ40キロ。
車で1時間ほどかかった。

967年、第9代王ラージェンドラヴァルマン2世が着工し、第10代王ジャヤーヴァルマン5世が完成させた。
「バンテアイ(砦)」「スレイ(女)」=「女の砦」の意味をもつ。

破風のレリーフはどれも秀作揃いであった。
「クメールの至宝」といわれる所以だ。
「東洋のモナリザ」とよばれているデヴァター(女官)像があり、
フランス人作家アンドレ・マルローが盗もうとして捕まったという話は有名である。

第1周壁の門 リンガムを模っている

遺跡専門の警察官が警備している

「東洋のモナリザ」

こちらのモナリザには顔がない、、

中央祠堂
門衛神「ドヴァラパーラ」の像が護る

ヴィシュヌ神の妻ラクシュミーが
象の聖水で身を清めている

サルの兄弟喧嘩にラーマ王が加勢
ヴァリーン(兄:ラーマ王を助けた)と
スグリーヴァ(弟)

一番上は3頭の象に乗るインドラ

踊るシヴァ

今回の旅行を前に、先のアンドレ・マルローの「王道」を読んだ。
この作品がシェムリアップを舞台にしていることを知らなかった。
マルローは莫大な妻の財産を投機で失ってしまったという。
追い詰められ、当時ヨーロッパで人気のあったアジアの仏像で一儲けしようと企んでやって来た。
そして、持ち出し寸前に逮捕され有罪になる。
実際には、一審の有罪懲役、二審の有罪執行猶予を経て、最後の最高裁で無罪となったようだ。
ドゴール政権では情報文化大臣になっている。

この小説の中でマルローはバンテアイ・スレイやデヴァター像について、
「カンボジアの死都です」
「隅石の両側には彫刻があって踊り子をあらわしている」
「ともかく五十万フランよりは上でしょう」 などと言っている。

現地ガイドは一言、「泥棒が文化大臣です」といった。



寺院の門前には、遺跡専門の警察官がいて警備にあたっていた。
観光客に近づいては、腕につける警察官ワッペンと徽章をポケットから取り出して、
「本物だ。旅の記念に買わないか。5ドルだ。」と売りつけてきた。
現地ガイドは「本物の警察官が、ニセ物を売っている」と苦笑い。
時折「営業妨害するな」といわれると言い、公務員は月給が安すぎるのだと付け加えた。

どこの寺院前にも物売りをする子供がいるが、寺院の敷地内には決して入って来ない。
それに比べて、警察官は付きまとって離れないから始末が悪い。
東京八王子から一家5人で参加しているという父親が買っていた。
事情を聞いて、“信じられない!” という表情をしていた。



= (6)東メボン =

952年、第9代王ラージェンドラヴァルマン2世が建立。
第4代王ヤシャーヴァルマン1世がアンコールに造営した第貯水池「東バライ」。
その中央の人工の島に建立された寺院である。
今は干上がっている。
水を湛えていた頃は船で渡っていたらしい。
この寺院の意味は「東の恩寵あふれる母(大池の中の寺院)」。

ロレイもそうであったが、人工の貯水池を造成し、その中央に寺院を建てて水を管理し守ってきた。
水がいかに大切であったのかを偲ばせる。

基壇3段のピラミッド式建造である。
基壇の4隅には象の石像があり、この寺院の特徴であるようだ。

かつては貯水池の中に浮かんでいた寺院。

象の彫像が最もよく残っている


= (7)プレ・ループ<神の姿> =

961年建立。
こちらも、第9代王ラージェンドラヴァルマン2世による。
「プレ」は変化、「ループ」は体、を意味し、「火葬」の名の由来になっているという。
かつては境内で火葬が行われていたらしい。
現地の人は、「プレルー」と発音する。
そういえば、バコンも「バコーン」だった。

石槽がおかれているピラミッド式寺院。
中央伽藍と東塔門の間に、死者を荼毘に付す石槽(石棺)がある。
寺院の最上部からの眺めがいいので、
夕日を見るには絶好の遺跡としても人気が高いそうだ。




火葬の儀式が行われていた寺院






急な階段である

雨季に夕日が見られるのは幸運かもしれない。
最上部のテラスに多くの観光客が座り込んでいた。
日本からの添乗員たちが集まって情報交換をしているようだった。

東の空には月が出ていた。
下りの階段は急である。
安全のために石段の脇を掴みながら降りた。
下に石の棺が見える。

今日の遺跡見学は終了。
この後は夕食だ。

<続く>


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