2013年7月26日金曜日

アンコール遺跡② ~ロリュオス遺跡群~



   カンボジア、シェムリアップには「おもてなしの心」があった。
豊かとはいえない生活の中で、
豊かな心から生まれる「おもてなしの心」が感じ取れて
不思議な感覚にとらわれた。



2日目】 2013年721日午前 =(1)ロレイ (2)プリア・コー (3)バコン=         


ホテルでの朝の関心事はいつも朝食である。
ホテルの部屋には、ウエルカム・プレゼントがテーブルに置いてあった。
水はボトル2本が洗面台の傍らに置いてあった。
こんなホテルの朝食には期待が持てそうだ。

ホテルのダイニング風景

フォーや卵焼きを作ってくれる

ダイニングの雰囲気もいい。
野菜サラダなどメニューも豊富だった。
温かい「フォー」を頼んだ。
シェフは、まず英語で話しかけてくる。
日本語で答えると日本語で対応してくる。
野菜サラダを添えて朝食にした。

テーブル一杯の朝食

フォーが美味しかった

朝食の後、ホテルの玄関から外に出て周辺を散策した。
大通りは通勤のバイクが行き交っている。

ホテル脇の空き地では、シクロ(三輪タクシー)が屯して客待ちしていた。
乗らないかと声をかけてきた。
タイのトゥクトゥクよりも少し小型な感じがする。

ちなみにトゥクトゥクの名はそのエンジン音からきているのだとか。

ホテルの前で

客待ちのシクロ

いよいよ遺跡巡りだ。

と、その前にアンコール遺跡の地図を載せておこう。



また、これからの遺跡巡りの中で度々「王の名前」や聞きなれない言葉が出てくる。
アンコール遺跡⑩」で歴史や王の治世、言葉について豆知識をつけた。
簡単に整理してみたら、遺跡を理解しやすくなった。
では、遺跡巡りにでかけよう。
午前8時出発。
シェムリアップから南東へ13キロの「ロリュオス遺跡群」から見ていく。

「ロリュオス」というのは地名だ。

アンコール朝初期の王都で、アンコールよりも古い。
第3代王インドラヴァルマン1世がロリュオスに王都「ハリハラーラヤ」を築いた。
この地の建造物が、「ロリュオス遺跡群」だ。

ロレイ、プリア・コー、バコンの3つの寺院を巡る。

観光バスは遺跡入場券の発行所に立ち寄った。
ここで顔写真入りのパスを購入する。

バスから降りて、一列に並んで顔写真を取る。
他のグループの人を間に入れないことがパスを早く発行してもらう「コツ」だそうだ。
あっという間に出来上がって、用意していたホルダーに入れて首から下げた。


入場券発行所

さすがに欧米人も多い

アンコール遺跡のパス
いろいろな所でチェックされる

パスは、7日間通しで60ドル、1日だと20ドル、私たちは3日間で40ドルだった。
期間中、検問所では係員がバスに乗り込んできてチェックした。
それぞれの遺跡の入口でもチェックを受けた。

バスはロリュオス遺跡群に向かって進んだ。

ところが、途中、カンボジアの5年ぶりの国政選挙のデモンストレーションにぶつかって
交通渋滞に巻き込まれてしまった。
与党の支持者たちがブルーのフラッグを持ってバイクを連ねて行進していた。
負けじと野党も太陽をデザインした旗を持ってバイク隊が行進していく。
小型トラックの乗り合いタクシーが後をつけて来た。
遺跡に入る横道に曲がると開放された。


「与党派」 人民党

「野党派」 救国党





= (1)ロレイ =

893年、第4代王ヤショーヴァルマン1世による建立のヒンドゥー教寺院。

父である前王第3代インドラヴァルマン1世(ロリュオスに遷都)と母を祀るために建立した。
当時は、大きな貯水池の中央に浮かぶ人工島に建設されたそうだ。

今は枯れている。
この貯水池は「インドラタータカ」といい、インドラヴァルマン1世が造成した。

その規模は東西3.8キロ、南北800メートルの巨大池で、灌漑事業に熱心だった王の治世を象徴している。
この地に王都を築いた父と后の母を祀った「ロレイ寺院」を造った後に、
ヤショーヴァルマン1世はアンコールに遷都する。

4基の祠堂(神仏や祖先の霊を祭る建物)の中央に、十字形に配された砂岩製の樋がある。
樋の交差点にリンガが設置されて、その上に聖水を注ぐと四方に流れる仕組みになっている。
クメールの農業を支える治水技術を象徴しているという。
そして民衆にアピールする効果もあったということだ。

修復中でよく見れなかった。

しかし一見して風化しているのはわかった。
レンガも漆喰もぼろぼろだった。
この遺跡には僧院が併設されていて、今も使われていた。
裏には果樹園などもあって、まさに生活の場であった。

大きな貯水池、、今は干上がっている。

修復中
祠堂を護っているのは門衛神「ドラヴァパーラ」

遺跡の傍では
今も人々が生活している

= (2)プリア・コー<聖なる牛> =

879年、第3代王インドラヴァルマン1世が建立。

先王や祖先を祀るために建造し、6つの祠堂がある。

前列の3堂は先王の堂で、壁面には門衛神「ドラヴァパーラ」が刻まれている。
中央の祠堂は、アンコール朝の創始者第1代王ジャヤーヴァルマン2世を祀っている。
北側はインドラヴァルマン1世の母方の祖父ルドラヴァルマンを、
南側はインドラヴァルマン1世の父プリティヴィンドラヴァルマンを祀っている。
後列の3堂はそれぞれの后の堂で、こちらは女官のデヴァター像が刻まれている。
王やその后は死後に神・女神となって祀られているのだそうだ。

アンコール遺跡中で最古のヒンドゥー教寺院。
また、先祖を祀った菩提寺としても最古だそうだ。

プリア・コーとは「聖なる牛」を意味する。
シヴァ神の乗り物とされる聖牛ナンディンが祠堂に向かって3体並ぶ。
神がお堂から出てくるのを待っているのだそうだ。

寺院は砂岩で作られているところが多く、破損が大きかった。

3体の「聖なる牛」が塔を拝む

前に王の3堂、後ろに后の3堂


漆喰が残る壁面

女官(デヴァター)像が守るのが后(女神)の祠堂

門衛神が守るのが先王(神)の祠堂

仏像はなくなっており、
子供が遊んでいた。

= (3)バコン =

881年、こちらも第3代王インドラヴァルマン1世がヒンドゥー教の神々に奉献した寺院。

国家鎮護を祈願している。
伽藍(がらん)周囲に環濠を巡らした、最初のピラミッド式寺院として知られている。

この形式は、「須弥山(メルー山)」を模したものだという。
「須弥山」とは、教義の中では「世界の中心」とされている。

・・・そういえばギリシャのデルフィにも「世界の中心」を示す「ヘソ石」があった、と思い出す。
   (ギリシャの様子は「神々の国ギリシャ そしてイタリア再び④~デルフィ~」)

脱線したが、バコン寺院はロリュオス王都の中心寺院であった。

そして、ナーガ(蛇神・竜王)を欄干に用いたのも最初だそうだ。
寺院入口からの参道には、天界と地上を結ぶナーガが両脇にあり祠堂へいざなう。

 (ナーガについても「アンコール遺跡⑩」に詳しく書いているのでご参照ください。)

ピラミッドは階層式の基壇で、それぞれに世界がある。
下から、1段目がナーガ、2段目がガルーダ(神の鳥)、3段目が夜叉、4段目が羅刹(鬼)、
そして5段目が神々、だそうだ。
各段の壁にもレリーフが施されていた。

カンボジア人は「バコン」でなく、「バコーン」と言う。
意味は「頭部が多いお堂」らしい。
7頭のナーガのことだろうか、、、。

最初のピラミッド式寺院

5層の基壇の上の祠堂

最上部からの眺め

環濠には蓮の花が咲いていた

ナーガが最初に用いられた参道の欄干

大きな手のように見えるナーガ
指のようなのが7つの頭

第5層の壁面に彫られた阿修羅のレリーフ
「戦いに挑む阿修羅」

バラモンの苦行僧のレリーフ
建国神話?
<続く>


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