【4日目】 2013年7月23日午前 =クメール王国の城砦遺跡 アンコール・トムへ=
早朝の日の出鑑賞には参加しなかったが、結局朝日は拝めなかったという。
8時にホテルを出発。
ホテルを出たバスは、もう1つのホテルに寄ってからアンコール・トムに向かった。
森の中の駐車場に入ると、近くに電気自動車が待機していた。
アンコール・トムは他の遺跡と比べても、歩くにはさすがに広い。
バスから電気自動車に乗り換えて場内に入る。
その他にもトゥクトゥクを利用したり、中には「ゾウに乗って観光」という姿もあった。
ゾウに乗っていたのは、ほとんどが欧米人だった。
彼らは、異国情緒や日常にはないものに大いに興味を持っているように見える。
こんな風に思うのも、ロティとマルローの“アンコール本”の影響かもしれない、、、。
ガイドブックによると、ゾウ・ツアーはバイヨン寺院一周で、1人15ドル。
森の中の駐車場 |
アンコール・トムには 電気自動車で場内に入る。 |
ゾウでバイヨンを1周、$15/人 |
さすがにゾウは大きい。 トゥクトゥクが小さく見える。 |
= (10)アンコール・トム =
アンコール・トムは、一辺3km四方の堀と城壁(高さ8m)に囲まれた城砦遺跡である。
12~13世紀にかけて、第21代王ジャヤーヴァルマン7世によって現在の規模に建設された。
「トム」は「大きい」の意で、「大きい都市」といわれている。
ジャヤーヴァルマン7世は、王宮のあったこの一帯を新たに大きな都城として城壁を造り
再建して現在の形にしたのだった。
その時代にクメール王国の支配を拡げ、最盛期を迎えている。
王は、これまでの先王たちが掲げてきたヒンドゥー教ではなく仏教を信仰し、アンコール・トムにも
仏教寺院バイヨンを建立している。
城砦の中には、数々の遺跡が点在する。
アンコール・トムの配置図 (1辺3000m) |
まずは、「バイヨン」からの見学である。
::: (10-1)バイヨン :::
大きなクレーンが動き、修復作業が行われていた。
日本政府の援助だという。
見かけたのは、雨の中でのブロック積み作業であった。
作業の傍らで、バイヨンのレリーフについてガイドの説明が進む。
作業の傍らで、バイヨンのレリーフについてガイドの説明が進む。
バイヨン寺院への参道 |
獅子が護っている |
日本の援助での修復を告げている |
石の積み替え作業 |
雨の中でも作業は進む ここにもレリーフ |
現地ガイドのワタナーさん |
バイヨンはアンコール・ワットの中心に建設された仏教寺院である。
(後にヒンドゥー教の寺院に変えられたが、、、)
第21代王ジャヤーヴァルマン7世による壮大な寺院だ。
王のサロンという意味のようだが、、、。
第一回廊のレリーフから見ていく。
第一回廊といっても、アンコール・ワットのような屋根はない。
城壁のような壁いっぱいに隈なくレリーフが施されている。
その内容は、ジャヤーヴァルマン7世の軍がチャンパ軍に勝利した戦いであったり、
戦勝で凱旋した兵士を労う人々の様子や民衆の生活風景であったりしてわかりやすい。
中には出産シーンと思しきものも、、、。
この点でもアンコール・ワットの神話的レリーフとは異なる。
また、彫が深くて見やすいのも特徴だった。
クメール軍兵士の行進 象に乗っているのが王 |
クメール軍兵士は裸に褌姿 左の方の服を着ているのは援軍 |
兵糧運搬部隊 |
狩りの様子 |
豚の釜茹か丸焼きをつくって、 凱旋の兵士を労う |
闘鶏 |
魚やワニが。 上の方では漁の様子が展開されている。 その下で商談。 |
商売の様子 |
引くとこんな感じ。 |
人々がさまざまに働いている |
こちらは闘犬 |
女官の様子 |
凱旋の祝賀にお酒やご馳走を運ぶ様子 |
将棋をしている |
蓮の花の上で踊るアプサラス これは三位一体のアプサラスといわれている。 |
次も見所の「四面塔」だ。
第二回廊のテラスにあがると、観世音菩薩の「微笑」が大きく視界に入ってきた。
クメールの民族衣装で着飾った少女たちが写真に誘っていた。
付き添いの男性が観光客のシャッターを押してくれた。
料金は3ドル。
記念におさまった。
四面塔は全部で54塔あり、テラスにはその内の49塔があるという。
その約200の観音菩薩の穏やかな微笑みは、どれ一つ同じものはないそうだ。
「クメールの微笑み」に満ちていた。
この観音菩薩の顔や表情は、建立者のジャヤーヴァルマン7世がモデルだとされている。
表情が豊かで人気のある菩薩の前では、写真を撮る順番を待つ行列ができていた。
この時は韓国の観光客が独占していた。
四面塔の内部は空洞であり、「お面」になっているのだという。
少し離れた祠には仏像が置かれており、僧侶に「お参りしないか」と誘われた。
お布施をして手を合わせた。
今は、建物がすすけてしまうために線香に火を点けなくなったそうだ。
自由時間があったので記念写真を撮った。
今は、建物がすすけてしまうために線香に火を点けなくなったそうだ。
自由時間があったので記念写真を撮った。
3つの四面塔が見られるスポット |
観音菩薩が微笑む 「クメールの微笑み」 ジャヤーヴァルマン7世がモデルだとか。 |
民族衣装の少女達と記念に1枚。 3ドル。 |
人気の菩薩の前は大混雑 |
ここでも手を合わせた |
バイヨンの北門 尖塔は高さ45m、高い。 |
北門から出て、バイヨンを後にした。
::: (10-2)バプーオン <隠し子> :::
遠くに見えているのがバプーオン寺院。
手前の橋のようなものが「空中参道」である。
左の方に少し池が見えているが、雨季には水嵩が増して、池の中を進む空中参道になる。
1060年頃の建設だから、先のバイヨンよりも古い。
ピラミッド型の3層のヒンドゥー教寺院(後に仏教寺院になった)。
14代王ウダヤーディジャヴァルマン2世建立。
バプーオンは「隠し子」という意味だ。
その言い伝えはこうだ。
「昔、クメール王がシャム王の王子を預かって育てていた。
それを見た民衆は、いつかシャム王に国を簒奪されると怯え、シャムの王子を殺した。
怒ったシャム王がクメールを攻撃してきた。
クメール王は自分の王子を隠した」。
その隠し場所がこの寺院だった。
バプーオンを通り過ぎ、王宮があった場所に向かった。
::: (10-3)王宮の中の「ピミアナカス<天上の宮殿>」 :::
王宮の入口が見えてきた。
王宮(跡)の中に入った。
かつての王宮は鬱蒼とした森の中にある |
ピミアナカスは、王宮の中に建てられ、王族の儀式に使われた寺院である。
ここも3層のピラミッド型をしており、その上には塔があった。
10世紀に、第9代王ラージェンドラヴァルマン2世により建造され、
11世紀初頭、第13代王スールヤヴァルマン1世がヒンドゥー教寺院として再建した。
これも、ジャヤーヴァルマン7世の統治以前のもので古い。
正しくは「ヴィミヤン・アーカス」、「天上の宮殿」「空中楼閣」という。
この造形は、後のアンコール・ワットと同様に、
当時の寺院建設における宇宙観の象徴「須弥山(世界の中心)」を表している。
王宮に須弥山を置くということは、神王崇拝を極限に体現しているといえる。
このピミアナカスには伝説がある。
塔には9頭のナーガが宿っており、ナーガは女性の姿に化身し夜毎に王と同衾する。
アンコールの地の主ナーガが姿を現さなければ王の命は絶たれ、
王が行かなければ王の統治下の地に災難が襲い掛かる、と信じられていた。
カンボジアの建国神話に由来した伝説である。
(建国神話については、「アンコール遺跡⑩~豆知識~」に詳述。)
空中楼閣というし、ナーガは地底に住まうから、ここも池の中にあったのだろうか。
この造形は、後のアンコール・ワットと同様に、
当時の寺院建設における宇宙観の象徴「須弥山(世界の中心)」を表している。
王宮に須弥山を置くということは、神王崇拝を極限に体現しているといえる。
このピミアナカスには伝説がある。
塔には9頭のナーガが宿っており、ナーガは女性の姿に化身し夜毎に王と同衾する。
アンコールの地の主ナーガが姿を現さなければ王の命は絶たれ、
王が行かなければ王の統治下の地に災難が襲い掛かる、と信じられていた。
カンボジアの建国神話に由来した伝説である。
(建国神話については、「アンコール遺跡⑩~豆知識~」に詳述。)
今は苔むしていて、ひっそりとしている。
少し離れた所からカメラに収めた。
王宮の中の須弥山 ピミアナカス |
ピミアナカスの北側には、「男池(大池)」と「女池(小池)」というのがあるという。
現地ガイドは「プール」といっていたので、王族の沐浴用のプールと勝手に解釈した。
現地ガイドは「プール」といっていたので、王族の沐浴用のプールと勝手に解釈した。
男池は水草で埋まっていたが、女池は泳げそうだった。
崩れて修復を待っているのだろう。
脇にはナンバーをふられた砂岩ブロックが置かれている。
ここも何かの小さな遺跡であるようだ。
王の宮殿はというと、影も形もない。
クメールでは、石造りの建物には、神もしくは死後に神となった先王しか住めなかった。
寺院や王廟、墳墓である。
人間である王の宮殿は木造建築だった。
日本の城跡と同じようなことか、、。
王の死後は、金銀財宝とともに火葬され、墳墓に埋葬された。
墳墓の盗掘ということはなかったという。
死後の王=神なのだから、、、か。
死後の王=神なのだから、、、か。
水草で埋まる「男池」 |
「女池」は水を湛えている |
ナンバーが付された砂石が、、。 |
次は「ライ王のテラス」だ。
日本では、三島由紀夫の戯曲「癩王のテラス」で知られている。
::: (10-4)「ライ王のテラス」と「象のテラス」 :::
ライ王のテラスは高さ6m、長さ25mほど、ここから広場を見渡せる。
その壁面には、様々なレリーフが施されていた。
神々やアプサラの中に阿修羅もいる。
神々やアプサラの中に阿修羅もいる。
乳海攪拌の場面ではなく、神々と阿修羅が一緒に描かれているのも珍しいという。
ジャヤーヴァルマン7世によって建設された。
このテラスは、戦いに向かう兵士を鼓舞する演説をしたり、凱旋将兵を謁見したり、
また、近隣諸国の王を出迎える場所であったといわれている。
テラスに登ってみた。
ライ王の像が置かれていた。
手を合わせた。
本物の像は博物館に収監されている。
本物の像は博物館に収監されている。
この「ライ王」の像については様々な憶測がある。
右ひざを立てた姿からは、ヒンドゥー教のヤマ神(閻魔)だと考えられる。
像が座す基台には、「Dharmaraja(ダルマラーヤ)」と刻まれてもいた。Dharma(ダルマ)は宇宙法、ダルマラーヤは「法の王」という意味である。
現地の人々は“伝説の王”の像であると信じているようだ。
では、「ライ王」と呼ばれる伝説の王とは、、。
この王にも諸説がある。
まず、アンコールの地に遷都したアンコール朝第4代王ヤショヴァルマン1世。
名君として統治し、910年ライ病で死去している。
その史話と、歴史の中で風雨に晒され変色し苔生した像の姿(ライ病疾患のよう)が合致し、
「ライ王」と呼ばれたとか。
また、もっと古くは、建国神話の初代王(アンコール朝以前)かもしれない。
カンボジアの建国神話で語られる初代の王も“罰として”ライ病(レプラ)に罹ったとされている。
(建国神話については、「アンコール遺跡⑩ ~豆知識~」に詳述。)
三島由紀夫は1965年に此処を訪れ、「癩王のテラス」の構想を得た。
この戯曲は、建国神話を元ネタとしてジャヤーヴァルマン7世を描いた創作である。
ライ王のテラスの隣には象のテラスがある。
ライ王のテラスに引き続き、延伸約300m、高さ3mほどの大きなテラスだ。
先のピミアナカス・天上の宮殿に付随していたのらしい。
壁面に大きな象のレリーフが刻まれている。
ここも凱旋将兵を迎える場であり、勝利の門からの道が真っ直ぐにのびている。
雨が降り出したこともあってか、カメラを持って車を降りたのは1人だけだった。
ライ王のテラスのレリーフ 様々な神、鬼神も一緒に居並ぶ。 アプサラのような上半身に蛇の下半身、無数のナーガが。 |
何段にもなっている |
右ひざを立てているのは 冥界の王、ヤマ神(閻魔)か。 腰に巻かれているのは蛇(ナーガ)。 写真の左下は多頭のナーガ。 |
ライ王像のレプリカ 閻魔大王なのか。 建国の王なのか。 |
象のテラス、こちらは大きい。 |
壁面には象のレリーフ |
象といえば、アンコール・ワットにも象の門があった。
カンボジアには馬や牛に乗る文化はない。
乗り物は象だ。
そして何よりも「戦象」として使われてきた。
7世紀のクメール王朝最盛期には20万頭の象がいたそうである。
戦象の歴史は古い。
紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王が象隊に対峙した。
敵のペルシャ王ダレイオス3世は15頭の象を配備したそうだ。
カルタゴの将軍ハンニバルの象のアルプス越えも有名だ。
アンコール朝でも象が戦列を成していたのだろう。
南大門からアンコール・トムの場外に出た。
南大門は高さが20mあり、5箇所の門の中でも最も立派な門である。
ここにも四面塔があり、その顔の長さは3mもあるそうだ。
堀を渡る橋の欄干は、「乳海攪拌」の神話を表していた。
(「乳海攪拌」については、「アンコール遺跡⑦~アンコール・ワット~」参照)
南大門 他にも4つの門がある。 |
堀を渡る橋 右側は神々、左側は阿修羅で 蛇神ナーガ(ヴァースキ)の胴を曳いている。 |
蛇神ナーガ 「乳海攪拌」の欄干 |
<続く>
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