2013年8月4日日曜日

アンコール遺跡⑫ ~買い物と晩餐、そして帰国へ~


   遺跡の見学は終わった。
   アンコール以前の古都ロリュオスの遺跡群に始まり、
   最後は、圧倒的な自然の力を見せつけられた、タ・プローム寺院だった。

   アンコール遺跡は一度訪れればよしという対象ではない。
   何度でも訪れて、何度でも写真に撮り続けたい、そう感じた。
   もっと若い時に出会っていれば実行していただろうか、、、。


【4日目】 2013年7月23日午後  ~旅の終盤~

旅の日程もあと少しである。
次は、ツアーには必ず組み込まれている“買い物”時間だ。
民芸店と人気のクッキー店に行く。
まずは、民芸店。
広くはないが新しい感じの店だった。
店先でクッキーを焼くデモンストレーションをやっていた。
店員は
合成皮革のバッグを勧めて、「東京やパリでは2万円はする」という。
誘い文句につられたのか、わが相棒をはじめ買った人達が結構いたようだ。
店員は皆、日本語を上手に話した。
現地ガイドと同じ日本語学校に通う仲間だという。
「一二三日本語学校」という学校で、古くから開校しているのだという。



店頭でクッキーを焼いていた。
手焼き(?)の風情がある。

1800円のバック

次は、日本人旅行者の間で話題になっている(らしい)クッキー店だった。
お土産に手頃な品だった。

先の店で買った胡椒の詰め合わせと一緒にお土産にするつもりだ。


人気のクッキー店

胡椒とクッキー

マーケットなどでの買い物の話。

マーケットでは商品に値段が付いていない。
先方はもちろん高く売ろうとしている。

言い値で買うべきか、、、やはり普通に値切るべきか、、、逡巡することがある。
元来、値切るのは得意なほうではない。
友達や周辺からの意見も様々だ。
ちっぽけなことのようだが、時にどちらも非難や賞賛(?)の的となる。
主義は別として、異国での会話、値段交渉などを「腕試し」と楽しむ向きもある。

今回のマーケットでは、仏像の置物(頭部の彫像)を買った。
店員は「25ドル」というので、「10ドルにならないか」と返してみる。
「No、22ドル」。

今度はこちらが「No」を返すと、店員が電卓を取り出した。
希望値段を入れろという。

「15」。「20」。・・・・・結局、「17ドル」で手を打った。

朝、ホテルの売店で買おうと思ったが4050ドルしていた。

思ったより高いし、飾りとしては大きすぎるものだったので止めた。
こんな経緯もあって「17ドル」で決めた。
なかなか楽しかった。
17ドルで交渉成立
相棒も結構買った。
心配だから傍に付いていた。
絹のスカーフ61000円、刺繍のある小物入れ15ドル。
別の売り場では、25ドルだというスカートを15ドルで買った。
決め手は、「時間がない」と帰る仕草をする、だった。


絹のスカーフ

刺繍の小物入れとバック

15ドルになったスカート

売り子たちとの話。

こんなことがあった。

遺跡見学初日、バコンかプリア・コーかの入口で、我々は一人一人順番にIDカードの
チェックを受けていた。
この時、前方で我々の写真を撮っているのを見た。
見学を終えて遺跡から最初に出てくると、子供たちが絵皿を持って寄ってきた。
見てみると、入場するときに撮ったスナップ写真が絵皿に焼き付けてあった。
1枚5ドルだという。
買おうとしたら、現地ガイドが、3ドルだ」と子供たちに言った。
後から出てくる人には「3ドル」で売っていた。

同じようなことが、3日目のベン・メリアの時にもあった。
この時は、見学後にバスに戻るのが最後になった。

同じツアーの中に、現地ガイドから「お父さん」と呼ばれ親しまれた最年長者がいた。
お父さんは大きな石に腰かけて、
10ドル紙幣を出して「お釣りがあるか」と売り子に尋ねていた。
ポートレート写真が13ドルだという。

板に張り付けただけの、いかにも「安っぽい」ものだった。

そこへ私が通りかかった。

お父さんは、「1ドルにまけろ」という。
売り子は「OK」と言いながら、お釣りを出す素振りをしない。
お父さんも売り子の意図にやっと気が付いて、

「他人の写真なんかいらないよ」とバスに乗ってしまった。
残った私は同情したが、こんな時は一人いい人になるようなことはしない。
バスに乗ろうと歩きだした時、売り子が「1ドルでいい」と追いかけてきた。
バスに乗っていた人たちも全員が買った。
その時の少年の悔しそうな顔が忘れられない。



売り子たちとの思い出

さて、いよいよシェムリアップ“最後の晩餐”である。

空港近くのホテルのレストランで夕食を取る。
クメール料理ということだ。
シェムリアップに到着した晩もクメール料理だった。
クメールで出迎え、そしてクメールで見送る、、、なかなか粋ではないか。
今回の旅の食事はどれも口にあった。
ホテルの部屋やサービスも含め、おもてなしの心を感じたものだった。

テーブルを囲んだのは、ツアー主催の旅行会社の社員と妹、
そして、定年後に学生時代の仲間とハワイアン・バンドをやっているというご夫妻。
奥様はテレビ番組をプロデュースする仕事をやっていたという。
テレビの仕事といえば、我々は局の社員だったし、
ハワイアンといえば、相棒はフラダンスをやっているしで、話が弾んで楽しい食事となった。


見送りのクメール料理、まずは、、。

どんどん運ばれてくる

軽めの肉料理

青菜のソテー

郷に入っては郷に従え、、アンコールビールで貫徹

食事を終え、シェムリアップ空港に向かった。


空港では、一切の手続きを自分たちでやって、記念の品を買った。

おやっと注意をひいたのが、空港内の高所に置かれた仏像。
赤い7つの傘が像を取り囲んでいる。
これはもしや、悟りを開く仏陀を「傘」となり風雨から護ったナーガ、ムチリンダ竜王の話か、
などと思ってしまう。
ナーガはよく「7」頭で描かれていた、、、。
  (アンコールとナーガに関しては、「アンコール遺跡⑩~昼食とアンコール豆知識~」を。)

1時間程で搭乗が始まった。
乗り継ぎのハノイまでは1時間40分だ。


シェムリアップ空港
やはり異国情緒がある

空港の中は意外と近代的
高所には7つの赤い傘をさす仏像が。


空港で買ったアンコール・ワットのジオラマ

マーケットで買った仏像
予定通りハノイに到着。
心配していたスコールはなかった。

ベトナム・ハノイ空港では2時間の乗り継ぎ時間があった。
ベトナム航空の成田行きは真夜中0時発だ。
深夜便の乗客は格安航空券の利用者だろうか。
多くの人で待合室は混雑していた。
座るところがない。

ベトナムの記念品は、行きの乗り継ぎ時間を利用してあらかじめ買ってあった。

帰りは深夜になってしまうので売店はクローズになっているだろう、と予想していた。


ベトナムコーヒー




ファーストフード店は超満員。

狭いロビーをうろうろしていて疲れてしまった。

椅子をいくつも使って寝ている人があっちにもこっちにもいた。
言葉からするとタイの団体客らしい。

空港職員にクレームを付けようとしたが、それも面倒で止めた。
そんな時、誰かが何かを喚いて、寝ている女性の髪を掴んで椅子から引きずり下ろした。

近くの人たちは見ているだけだった。
下ろされた女性は、何があったのか分からず呆然と佇んでいた
下ろした人は、連れのお年寄りを椅子に座らせた。



深夜のハノイ空港
大混雑で座るところもない。

今回は往復ともにベトナム航空だったが、ベトナム人のアテンダントたちは一様に
仕事ぶりに余裕がなく、仲間同士でもよそよそしい感じだった。
何だか雰囲気がよくない。
以前にベトナムに来たのは1995年、まだ内戦が続いている時だった。
あれから18年か、早いものだが随分の年月がたっている。

旅の終わりに、タイ人や中国人のマナーとベトナム人の様子(変化)が気になった。

懲りずにまた、どこかに出かけてているかもしれないが、、、。

<完>




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匿名 さんのコメント...

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