遺跡の見学は終わった。
アンコール以前の古都ロリュオスの遺跡群に始まり、
最後は、圧倒的な自然の力を見せつけられた、タ・プローム寺院だった。
アンコール遺跡は一度訪れればよしという対象ではない。
何度でも訪れて、何度でも写真に撮り続けたい、そう感じた。
もっと若い時に出会っていれば実行していただろうか、、、。
【4日目】 2013年7月23日午後 ~旅の終盤~
旅の日程もあと少しである。
次は、ツアーには必ず組み込まれている“買い物”時間だ。
民芸店と人気のクッキー店に行く。 まずは、民芸店。
広くはないが新しい感じの店だった。
店先でクッキーを焼くデモンストレーションをやっていた。
店員は合成皮革のバッグを勧めて、「東京やパリでは2万円はする」という。
誘い文句につられたのか、わが相棒をはじめ買った人達が結構いたようだ。
店員は皆、日本語を上手に話した。
現地ガイドと同じ日本語学校に通う仲間だという。
「一二三日本語学校」という学校で、古くから開校しているのだという。
店頭でクッキーを焼いていた。 手焼き(?)の風情がある。 |
1800円のバック |
次は、日本人旅行者の間で話題になっている(らしい)クッキー店だった。
お土産に手頃な品だった。
先の店で買った胡椒の詰め合わせと一緒にお土産にするつもりだ。
人気のクッキー店 |
胡椒とクッキー |
マーケットなどでの買い物の話。
マーケットでは商品に値段が付いていない。
先方はもちろん高く売ろうとしている。
言い値で買うべきか、、、やはり普通に値切るべきか、、、逡巡することがある。
元来、値切るのは得意なほうではない。
友達や周辺からの意見も様々だ。
ちっぽけなことのようだが、時にどちらも非難や賞賛(?)の的となる。
主義は別として、異国での会話、値段交渉などを「腕試し」と楽しむ向きもある。
今回のマーケットでは、仏像の置物(頭部の彫像)を買った。
店員は「25ドル」というので、「10ドルにならないか」と返してみる。
「No、22ドル」。
今度はこちらが「No」を返すと、店員が電卓を取り出した。
希望値段を入れろという。
「15」。「20」。・・・・・結局、「17ドル」で手を打った。
朝、ホテルの売店で買おうと思ったが40~50ドルしていた。
思ったより高いし、飾りとしては大きすぎるものだったので止めた。
こんな経緯もあって「17ドル」で決めた。
なかなか楽しかった。
17ドルで交渉成立 |
心配だから傍に付いていた。
絹のスカーフ6枚1000円、刺繍のある小物入れ15ドル。
別の売り場では、25ドルだというスカートを15ドルで買った。
決め手は、「時間がない」と帰る仕草をする、だった。
絹のスカーフ |
刺繍の小物入れとバック |
15ドルになったスカート |
売り子たちとの話。
こんなことがあった。
遺跡見学初日、バコンかプリア・コーかの入口で、我々は一人一人順番にIDカードの
チェックを受けていた。
この時、前方で我々の写真を撮っているのを見た。
見学を終えて遺跡から最初に出てくると、子供たちが絵皿を持って寄ってきた。
見てみると、入場するときに撮ったスナップ写真が絵皿に焼き付けてあった。
1枚5ドルだという。
買おうとしたら、現地ガイドが、「3ドルだ」と子供たちに言った。
後から出てくる人には「3ドル」で売っていた。
同じようなことが、3日目のベン・メリアの時にもあった。
この時は、見学後にバスに戻るのが最後になった。
同じツアーの中に、現地ガイドから「お父さん」と呼ばれ親しまれた最年長者がいた。
お父さんは大きな石に腰かけて、
10ドル紙幣を出して「お釣りがあるか」と売り子に尋ねていた。
ポートレート写真が1枚3ドルだという。
板に張り付けただけの、いかにも「安っぽい」ものだった。
そこへ私が通りかかった。
お父さんは、「1ドルにまけろ」という。
売り子は「OK」と言いながら、お釣りを出す素振りをしない。
お父さんも売り子の意図にやっと気が付いて、
「他人の写真なんかいらないよ」とバスに乗ってしまった。
残った私は同情したが、こんな時は一人いい人になるようなことはしない。
バスに乗ろうと歩きだした時、売り子が「1ドルでいい」と追いかけてきた。
バスに乗っていた人たちも全員が買った。
その時の少年の悔しそうな顔が忘れられない。
売り子たちとの思い出 |
さて、いよいよシェムリアップ“最後の晩餐”である。
空港近くのホテルのレストランで夕食を取る。
クメール料理ということだ。
シェムリアップに到着した晩もクメール料理だった。
クメールで出迎え、そしてクメールで見送る、、、なかなか粋ではないか。
今回の旅の食事はどれも口にあった。
ホテルの部屋やサービスも含め、おもてなしの心を感じたものだった。
テーブルを囲んだのは、ツアー主催の旅行会社の社員と妹、
そして、定年後に学生時代の仲間とハワイアン・バンドをやっているというご夫妻。
奥様はテレビ番組をプロデュースする仕事をやっていたという。
テレビの仕事といえば、我々は局の社員だったし、
ハワイアンといえば、相棒はフラダンスをやっているしで、話が弾んで楽しい食事となった。
見送りのクメール料理、まずは、、。 |
どんどん運ばれてくる |
軽めの肉料理 |
青菜のソテー |
郷に入っては郷に従え、、アンコールビールで貫徹 |
食事を終え、シェムリアップ空港に向かった。
空港では、一切の手続きを自分たちでやって、記念の品を買った。
おやっと注意をひいたのが、空港内の高所に置かれた仏像。
赤い7つの傘が像を取り囲んでいる。
これはもしや、悟りを開く仏陀を「傘」となり風雨から護ったナーガ、ムチリンダ竜王の話か、
などと思ってしまう。
ナーガはよく「7」頭で描かれていた、、、。
(アンコールとナーガに関しては、「アンコール遺跡⑩~昼食とアンコール豆知識~」を。)
1時間程で搭乗が始まった。
乗り継ぎのハノイまでは1時間40分だ。
シェムリアップ空港 やはり異国情緒がある |
空港の中は意外と近代的 高所には7つの赤い傘をさす仏像が。 |
空港で買ったアンコール・ワットのジオラマ と マーケットで買った仏像 |
心配していたスコールはなかった。
ベトナム・ハノイ空港では2時間の乗り継ぎ時間があった。
ベトナム航空の成田行きは真夜中0時発だ。
深夜便の乗客は格安航空券の利用者だろうか。
多くの人で待合室は混雑していた。
座るところがない。
ベトナムの記念品は、行きの乗り継ぎ時間を利用してあらかじめ買ってあった。
帰りは深夜になってしまうので売店はクローズになっているだろう、と予想していた。
ベトナムコーヒー |
ファーストフード店は超満員。
狭いロビーをうろうろしていて疲れてしまった。
椅子をいくつも使って寝ている人があっちにもこっちにもいた。
言葉からするとタイの団体客らしい。
空港職員にクレームを付けようとしたが、それも面倒で止めた。
そんな時、誰かが何かを喚いて、寝ている女性の髪を掴んで椅子から引きずり下ろした。
近くの人たちは見ているだけだった。
下ろされた女性は、何があったのか分からず呆然と佇んでいた。
下ろした人は、連れのお年寄りを椅子に座らせた。
深夜のハノイ空港 大混雑で座るところもない。 |
今回は往復ともにベトナム航空だったが、ベトナム人のアテンダントたちは一様に
仕事ぶりに余裕がなく、仲間同士でもよそよそしい感じだった。
何だか雰囲気がよくない。
以前にベトナムに来たのは1995年、まだ内戦が続いている時だった。
あれから18年か、早いものだが随分の年月がたっている。
旅の終わりに、タイ人や中国人のマナーとベトナム人の様子(変化)が気になった。
懲りずにまた、どこかに出かけてているかもしれないが、、、。
<完>
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