【6日目】 2011年11月8日 =モンサンミッシェル Mont Saint-Michel=
ホテルの朝食 |
今日は、今回の旅行の最終日程である「モンサンミッシェル」観光である。
渋滞を避けて早めにホテルを出発した。
朝8時に出発し、午後1時半に到着の予定であった。
それでも5時間半もかかる遠路だ。
最初のうちはまだ気楽さがあった。
「今開通しないと、モンサンミッシェル名物の卵焼きが食べられないよ」という位。
1時間を過ぎると、マイカーなど乗用車はユータンをして走り去っていった。
通行止めは続いている。
高速道路には大型バスやトラックが残っていた。
最初のサービスエリアで、トイレ休憩を10分とった。
「これが命とりにななければいいが・・・」と嫌な予感がした。
添乗員が大量のサンドイッチやパンを買ってきた。
空腹は凌げた。
しかし、最大の心配事「モンサンミッシェルの入場時間に間に合うか、、」は募る一方だった。
午後5時で入場は打ち切られる。
これまでのヨーロッパ旅行で数々のバス旅行をしてきた。
どこでも運転手さんはサービスがよく、観光客の我儘もよくきいてくれた。
しかし、今回のフランスの運転手は様子が違うようだった。
長距離ということで運転は2人が交代でやっていた。
バス会社の交通情報が無線で聞こえて来る。
運転手も携帯電話で情報を集めていた。
にもかかわらず、2人とも全く何の説明をすることもなく愛想もない。
無表情で冷たい印象だった。
「こんな時イタリアやスペインの運転手ならば、、、」と懐かしく思った。
島の駐車場に到着して添乗員が門に駆け出した。
入口では現地ガイドが我々の到着を一日中待っていた。
入場できないことがあまりにもショックで、説明も耳に入らなかった。
一回りして博物館のショップなどで土産を買ったりしていた。
そこへ修道院の女性係員が最後の見回りに入ってきた。
モンサンミッシェル観光は女房がぜひ行ってみたいと前々から言っていた。
修道院に入れなかったらと思うと、暖かな配慮には「ありがとう」の一言だ。
モンサンミッシェルへのバス これまでのオランダ→ベルギー→パリのバスから交代 |
最初のうちはまだ気楽さがあった。
「今開通しないと、モンサンミッシェル名物の卵焼きが食べられないよ」という位。
1時間を過ぎると、マイカーなど乗用車はユータンをして走り去っていった。
迂回路を探すのだろう、と言っていた。
この辺り(ノルマンディー地方)は一面の畑や牧草地が広がっている。
この辺り(ノルマンディー地方)は一面の畑や牧草地が広がっている。
モンサンミッシェルへの“有効な”迂回路はないということだった。
通行止めは続いている。
高速道路には大型バスやトラックが残っていた。
業務の運転手は道路事情をよく知っているのだろう。
時計を見るのもやめた頃、3時間はたったろうか、やっと片側車線が通れるようになった。
時計を見るのもやめた頃、3時間はたったろうか、やっと片側車線が通れるようになった。
高速道路での事故に遭遇 大渋滞、、モンサンミッシェルは、、 |
最初のサービスエリアで、トイレ休憩を10分とった。
「これが命とりにななければいいが・・・」と嫌な予感がした。
添乗員が大量のサンドイッチやパンを買ってきた。
空腹は凌げた。
しかし、最大の心配事「モンサンミッシェルの入場時間に間に合うか、、」は募る一方だった。
午後5時で入場は打ち切られる。
これまでのヨーロッパ旅行で数々のバス旅行をしてきた。
どこでも運転手さんはサービスがよく、観光客の我儘もよくきいてくれた。
しかし、今回のフランスの運転手は様子が違うようだった。
長距離ということで運転は2人が交代でやっていた。
バス会社の交通情報が無線で聞こえて来る。
運転手も携帯電話で情報を集めていた。
にもかかわらず、2人とも全く何の説明をすることもなく愛想もない。
無表情で冷たい印象だった。
「こんな時イタリアやスペインの運転手ならば、、、」と懐かしく思った。
高速道路を降りて、モンサンミッシェルの島影がみえた。
思わず歓声があがった。
思わず歓声があがった。
島の駐車場に到着して添乗員が門に駆け出した。
午後5時5分だった。
「規則に厳しいフランスではジャスト5時まででないと入場できない」と説明を受けていた。
サービスエリアで10分の休憩をとった時に感じた「嫌な予感」が的中してしまった。
「規則に厳しいフランスではジャスト5時まででないと入場できない」と説明を受けていた。
サービスエリアで10分の休憩をとった時に感じた「嫌な予感」が的中してしまった。
入口では現地ガイドが我々の到着を一日中待っていた。
そのガイドが修道院の係員に掛け合ったが、やっぱり入場することはできなかった。
あたりは暗くなってきた。
どんよりと悲しい色に思えた。
ガイドは修道院の外側の階段を登りながら周囲の案内を始めた。
あたりは暗くなってきた。
どんよりと悲しい色に思えた。
ガイドは修道院の外側の階段を登りながら周囲の案内を始めた。
入口は無情にも錠がおろされていた |
モンサンミッシェル修道院を仰ぎ見る |
海の方を眺めてみるが気持ちは晴れない |
入場できないことがあまりにもショックで、説明も耳に入らなかった。
一回りして博物館のショップなどで土産を買ったりしていた。
そこへ修道院の女性係員が最後の見回りに入ってきた。
日本からやってきた観光客の事情をわかってくれた女性係員が責任者を説得してくれた。
入場門の鍵が開けられた。
急に元気を取り戻して、暗くなった修道院の階段を上って、まず屋上に出た。
夕闇がせまって、黒ずんだ青色に包まれた修道院を背景に記念写真を撮った。
パリから10時間をかけて、やっと辿り着いた。
入場門の鍵が開けられた。
急に元気を取り戻して、暗くなった修道院の階段を上って、まず屋上に出た。
夕闇がせまって、黒ずんだ青色に包まれた修道院を背景に記念写真を撮った。
パリから10時間をかけて、やっと辿り着いた。
修道院に入れなかったらと思うと、暖かな配慮には「ありがとう」の一言だ。
規則に厳格なフランスで迷いながらも許可してくれたことに感謝の念は堪えない。
現地ガイドさんも奮闘してくれた。
現地ガイドさんも奮闘してくれた。
チップをあげたいと思って探したが、姿が見えなかった。
旅行中、女房と意見が対立するのは、チップをどうするかである。
今回は珍しく意見が一致したが、ガイドさんは帰った後だった。
旅行中、女房と意見が対立するのは、チップをどうするかである。
今回は珍しく意見が一致したが、ガイドさんは帰った後だった。
初冬の北海に浮かぶ修道院がライトアップされていた。
せめてモンサンミッシェル名物のオムレツを夕食に、とツアー会社も都合しようとしたようだ。
しかし、パリに予約してあるレストランのキャンセルができなかった。
夜の高速道路を走り続けた。
夜11時半にパリ郊外のレストランに着いた。
長い1日であった。