2014年1月18日土曜日

シンガポールへ再び⑪ ~そして帰国~


5日、6日目】20131221日、22

=出発の夜=

バスでマンションに戻った
シンガポールを発つのが深夜0時55分だ。
夜に備えて昼寝をした。

夕食はママ手作りのサバの味噌煮だった。
久しぶりの日本食で美味しかった。
デザートには好物の龍眼を用意してくれていた。


久しぶりの日本食 美味かった

好物の龍眼

=空港へ家族で見送り=

ママが自宅にタクシーを呼ぶ。
タクシー2台で家族全員空港に向かった。


深夜のマンションを後にする

見上げてみる

20分でチャンギ空港に到着した。

ANAのチェックインカンターはすぐ分かった。
日本人の女性が案内してくれた。
聞けば、シンガポール在住日本人会婦人部長だそうだ。
親切に案内してくれたが、座席は埋まっていて4列の中2席だという。
そして変えられないという。
諦めて仕方なく手続きをした。

すぐにチェックインした。
見送りの息子家族は、ガラス越しに全員で手を振っていた。
ツアーでは味わえない気持ちだった。


ガラス越しにいつまでも見送ってくれる

名残惜しい、、、去り難し

ころが出発時間が45分も遅れた
離陸したのは、午前2時だった。

息子のマンションを出る時に服装を変えようかとも思ったが、そのまま出てきてしまった。
飛行機の中ではブランケットを借りればいい、成田に到着してから出そうと考えていた。
チャンギ空港は冷房がとても強くで肌寒かった。
長袖だけでは我慢できずに空港のショップでパーカーを買うはめになった。

やっと搭乗アナウンスがあり、搭乗口で座席が変わっていますと言われた。
座席をさがすと、後部の窓際の2列になっていた。



787型機
ボタンで光を調整できた
ブルーが濃くなったり薄くなったり、、

成田到着の2時間前まで眠っていた。
朝食の支度で行き交うアテンダントの気配で目が覚めた
最近は帰りの飛行機は寝ていることが多くなった。


孫に会いたいという気持ちでシンガポール行きを決めた。
孫たちの生活や成長ぶりを目にしてほっとした。
学校が年末年始の休みの時期だったこともよかった。

一家はそろそろ日本に戻る時期だろう
日本に帰国するとなると、孫たちはシンガポールに行くとは違った戸惑いや不安を感じるだろうが乗り越えて欲しいと願う
長男はこの友達と旧正月の休みを利用して12日間かけて台湾を旅行するという。
心配だが見守るしかない。
親と同じ気持ちかもしれないと思った。

<完> 



2014年1月16日木曜日

シンガポールへ再び⑩ ~オーチャード散策~


5日目】20131221

=ホテルをチェックアウト=

今日はホテルをチェックアウトする
息子に立ち会って欲しいと話しておいた。
ホテルとの間で何か行き違いがあった時のために。
頼みの息子は急遽の仕事でミャンマーに出かけていた。
シンガポールに戻るのは今日(当日の夕方空港での見送りは出来るということだった。

そんな時、「ホテルの部屋のテレビ画面でチェックアウトできるようだ」ママが連絡をくれた。
実際に部屋でやってみると、
チェックインの際パソコンのアドレスを登録しておくことが必要だったとわかった。


部屋でチェックアウトを試みるが、、、

年老いた両親のことが心配になったのか、息子は朝7時15分着の飛行機で帰ってきた。
航空券が取れたので、ミャンマーを朝一番の便で発ったのだと思った。
息子がホテルに来る前に昨夜コンビニで買った弁当やパンで朝食を済ませていた。

これで4泊したホテルをチェックアウトだ。
ホテルは規模が大きく利用者を満足させる施設やサービスも揃っている。
中でも、宿泊客は誰もが利用する「天空プール」は集客に力がありそうだ。
日本人旅行者の利用も多いようだった
宿泊してみて、思った以上に自由に使えたことが助かった。


=2年ぶりのマンション=


午前10時、専用カンターで無事にチェックアウトを終えた
タクシーで息子の自宅マンションに向かった。
2年ぶりの訪問である。


自宅マンション付近にきた

マンションに向かう

マンションの遠景

エントランスホールにはクリスマスツリーが飾られていた。
シンガポールのマンンションには、塀に囲ゲートがある。
24時間守衛がいる。
敷地内にプールがある所が多く、バーベキューができるスペースある。
用具揃っているという。
近所のマンションでは朝からバーベキューをしていた。
前回聞いていたので、家族へのお土産としてバーベキュー用に切り一袋を持ってきた



マンションを仰ぐ(2年前に撮影)

いつでも泳げるプール(2年前に撮影)

昼食は、ママ手作りのうどんすきと、マレーシア料理「チキンライス」だ。

チキンライスは長男孫と女房が近くにある専門店で買ってきた。
鶏肉を混ぜた味付けご飯だった。


=オーチャード散策=

食事のは、長男孫の案内でオーチャード散策にかけた。

前回来た時は旧正月だったので高島屋も伊勢丹ほとんどの店が休みだった。
そんなことを覚えていた長男孫が高島屋前の賑やかなオーチャードを案内してれたのだ。

シンガポールは中国社会で旧正月を盛大に祝う。
年の瀬のこの時期は、正月(新正月)というよりクリスマスの賑わいかなと感じた。

薄日が時折さす熱い日だった。
高島屋前の広場では名物の太極拳のおじさんがパフォーマンスを披露していた。
前回も見た同じ人だ。歩道のあちこちでパフォーマンスやデモストレーションをやっていた。
飲料水を無料で配っていた。
思わず貰って飲んでしまった。
即興で絵を描いて売っている人もいた。
街は休日を楽しむ人たちで混雑していた。


デパートも営業中
若者はどこでも座り込む、、

伊勢丹も営業中

パフォーマンスおじさん健在

2年前の写真
同じ場所で、同じ格好で、同じパフォーマンス
こんな売店が

こちらはセブンイレブンの売店

陽気な姿

イベント
着ぐるみは暑かろう

街角にゴミの山が、、、

アジア人が多い

ここにも座り込み、、

「Colour the Christmas Story」
皆が巨大な絵に色を塗っていく



デパートの地下に下りて、ママと女房は日本へのお土産を買った。
その間に、英国デパート出店を見つけコーヒーを買った。
Javaコーヒーだ。


高島屋のフードホールへ

デパ地下の風景
雰囲気はどこも大差ないか

買い物も済んで休憩することになった。
長男孫には決めている店があるようだった。
ショッピングモールの4階にある店でチョコレートパフェなどを取った。
ここでも長男が手際よくの注文を捌いてくれた。


オーチャードのショッピングモール4階から

メニューのサンプル

こちらもサンプル
どれにしようか、、、

こちらは本物
随分食べてしまった、、、

シンガポールを旅行していて、国民のアイデンティティーは何かを時折考えてしまった。
今回「プラナカン」ということ知ってルーツとしての中国にも納得できた。
国民のルーツは中国だとしても国家しては独立性を保ち一定の距離を置いている。
中国が経済力を増し、影響力を強める中で、シンガポールの生き方は興味を引く。

しかし、マレー半島の先っぽに、なぜこんな小さな国が誕生したのか、、。
旅行のの自分自身の宿題とした。
他方で、第二次大戦中の日本との関係についてはほとんど聞こえてこない。
第二次大戦の傷跡を引きずっている国もあり複雑な思いにさせられた。

色んな国からやってくる人たちも一緒になった雑踏がそんな雑念を掻き消した

<続く>



2014年1月15日水曜日

シンガポールへ再び⑨ ~リバークルーズとベイ・サンズの夜~


4日目】20131220

=リバータクシー=

昼食が終わって店を出た。


ランチの「Epicurious at The Quayside」
シンガポール川のカラフルな橋「アルカフ橋」から

アルカフ橋から右手方向
右端が「STPI」美術作品の印刷物など国際的な出版社

これからリバークルーズだ。
リバータクシーでシンガポール川を河口に向かう。
ホテルへの帰り道にリバークルーズを楽しもうという計画らしい。
リバータクシーでのクルージングは末孫娘が薦めてくれたものだ。
日本からのおじいちゃんおばあちゃんにぜひ乗ってもらいたいという。

店のあった川岸は遊歩道になっている。

シンガポール川の川辺は整備されて、住民の憩いの場や観光スポットとして人気が高いそうだ。
川には何本も橋がかかっていて、アルカフ橋のように小さな橋は人の通行専用だそう。
両岸を行き来して楽しめるようになっている。

階段を上って大きな道路に出た。
向こう岸に渡り、さらに道路を渡った川岸にリバータクシー乗り場があった。

河口まで何ヶ所もの乗り場があるそうだ。
「Ticketing Kiosk」でチケットを買ってから乗る。
(詳しくは「Singapore River Cruise」のサイトに出ている。)


チケットを買うと係員がリバータクシーを呼んでくれる。
1人3ドル。
15分程待った。




ロバートソン・キーのチケット売場と乗り場
リバービューホテルのところにある

乗り場を見ると大きな蛙が居座っていた。
女性陣が怖がって声をあげているのを他所にカメラに収めた。
やがて小雨の中を小舟がやって来た
蛙のいる階段を避けて(左右2方から川面に下りれる)、船に乗り込んだ。
マリーナベイ・サンズまでのクルーズが始まった

両岸は昔の倉庫地帯だったことが一目でわかった。
倉庫街の街並みをそのまま残しつつ飲食店等の商業施設に再開発されたらしい。


「クラーク・キー」のレストラン街

昔は港の倉庫街だった
今では人気の飲食街

クラーク・キー、ボート・キーとレストラン街が続く。
夜ともなれば煌々と灯りが点り、人々が集う人気のスポットらしい。

ボート・キーの建物は昔のショップハウスを改装して使っているそうだ。
そういえば昨日訪れたマレーシアのマラッカでもショップハウスの街並みを見た。
(マラッカの様子は「シンガポール再び⑦ ~世界遺産マラッカ~」)

マラッカは世界遺産でありながら、どこも閑散としていた。
プラナカン文化、ショップハウス、、、。
共通の文化がありながら、現在のその使い方(活かし方)に大きな違いを感じた。
(プラナカン文化については「シンガポール再び⑧ ~「プラナカン」~」)

リバークルーズも終盤。
ボート・キーを過ぎてさらに進むと、シンガポールのシンボル「マーライオン」が見えてきた。
水上から角度を変えて見る姿も印象だった。

水上からのマーライオン

正面 なかなか迫力がある



反対側にはマリベイ・サンズが聳えている。


水上からマリーナベイ・サンズの姿

3つのタワーの手前が
カジノやショッピングモールなどの施設

マリーナベイ・サンズの手前の水面には、無数の風船が漂っていた。
サッカーボール大の風船に人々が願いを書いて流すのだということだった。


願いを書いて流す風船
30分程のクルーズだった。
川からみるシンガポールの街も趣があった。
終点のマリナベイサンズで船を降りた。



終点のマリーナベイ・サンズ付近

ショッピングモールを通って部屋に戻る。
すると、リバークルーズの延長かと思う光景がモール内にもあった。


ショッピングモール内にも川が流れてボートが行く




=天空のプール 夜の部=

夕方までホテルの部屋で休む。
夜のプールを楽しむためだ。
が暗くなり始めた、天空のプールへ行った
昼と違った美しさだ。
高層ビルの窓の光が真っ暗な夜空をカンバス代わり様々な形と色彩をつくっている。
夜はちょっと肌寒く感じた。
プールとは反対側にあるジャグジーが人気だった。


暮れなずむ天空のプール

プールの中にはこんな水上の道

肌寒くてジャグジーは大人気

ホテルやオフィスビルの無数の光

眼下の夜景と水遊び
現代の画だ

だんだん暗くなっていき
光は一層輝いてきた

ゴージャスな展望を満喫

雲に夜の光が反射
ここに闇はないかと思う


=マリナベイ・サンズ 光と水のショー「ワンダーフル」 
              Wonder Full Light and Water Show 

夜はシンガポール名物となった「ワンダーフル 光と水のショー」を見物予定だ。

長男孫は、1回目午後8時のショーを光源に近いプールで見ると言って残った。
ホテルの天空からも光を放つらしく、間近(光源)を楽しむようだ。

「ワンダーフルは午後8時と9時半の2回予定されている。
 (週末は午後11時からもあるようだ。)
午後9時半のショーをホテルから離れた所で見物しようと外へ出た。
ママが昼間乗ったリバータクシーに乗って水上から見れば、と提案。
リバータクシーのチケット売り場で交渉したが、往復のチケットを買わないと乗れないという。
あちらも商売だ、止めておいた。


「ワンダーフル」はマリーナベイ・サンズの
イベントプラザで上演(図の赤丸)

ロケーションはこんな感じ
さて、どこで見物しようか、、、

湾の岸辺を回り込むように斜めの位置まで歩いた。
ここからでも十分見られる。
暗闇の中にも、ヨーロッパ人のグループがベンチなどに座っていた。

長男孫は、見るなら正面まで行っ綺麗だという。
そこまで到着する間に9時半からのショーが始まってしまう恐れがあった。
ママに時間を確認すると15分あることがわかった。
間に合そうなので急ぎ足で正面が見える場所に移動した

正面辺りにはスタバックスのテラス席があった。
飲み物を注文している間に、長男孫が椅子を集めて6人分の席を作った。
コーヒーが来て落ち着く間もなく、光と水のショー始まった
折角作った席だったが、立って前方に出て見物した。
ビーム光線の直線的なが熱帯の夜を切り裂くように伸びていた。


マリーナベイ・サンズ対岸の夜景

間もなく始まる

ワンダーフルが始まった

対岸に光が舞う

盛り上がってきた

ショーが終わった

10分か15分ショー終わった
長男孫も祖父さん祖母さん楽しんで貰えて満足そうだった。
その後もホテルまで一緒に来て、コンビニでの買いも手伝っくれた。


ホテルに戻る途中
フェラーリのショールーム

コンビニにも果物がいっぱい

お弁当類は品薄に

コンビニのレジ

<続く>