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2014年1月11日土曜日

シンガポールへ再び⑥ ~マレーシアへ日帰りバスツアー~


【3日目】20121219

=マレーシアへ出入国=

シンガポール滞在3日目は、ママと孫たちと一緒にマレーシアの世界遺産マラッカへ行った。





今回のスケジュールを話し合う中で、
孫たちが友達同士で気軽にマレーシアへランチに行っているという話を思い出した。
隣のマレーシアに行くのも悪くない」と、まず女房に相談した。
女房は海外旅行選びをするに当たって行ったことがない国へ行くことを第一にあげる。
今回のマレーシア行きはすぐに賛成した。

シンガポールのママに提案するとすぐ返事がきた。
シンガポールの海峡を渡ったにあるジョホールか、世界遺産マラッカへの日帰りバスツアーがいいだろうということだった。
ママの話では
子供たちはジョホールには行っている」、
「世界遺産マラッカはあまり行く機会がない」とのことだった。
マラッカの方に意向があるのかなと察知し、マラッカに行きたいと返事した。


午前8時にバスがホテルの駐車場に迎えに来る予定だ。
朝食は前夜ホテル内にあるお店でパンを買っておいた。
ラッフルズホテルから戻ったのが午後9時過ぎだった。
その時間にも開いていて、しかも遅い時間にはパンを2個買うと1個サービスしてくれた。
部屋でパンを食べてから、迎えの時間より少し早目に下駐車場に下りていった。

朝の人気のない駐車場にマイクロバスが入ってきた。
ママ、長男孫と上孫娘の3人は、自宅に一番近いピックアップ場所でバスに乗って来る。




バスに乗ると、ドア近くに中年の女性が座っていた。
ツアーには現地のガイドが付くと聞いていた。
きっとそのガイドさんだろう。
「今日一日よろしくお願いします」と丁寧に挨拶した。
でわかったことだが、日帰りツアーの参加者の1人だった。

バスは出発して更にもう1か所ホテルでストップした。
夫婦連れと若い女性の3人が乗ってきた。
狭いバスに乗るのに挨拶もしなかったので中国人かと思った。

予定時間より早いというので、ホテル脇に停車して待っていた
運転手と乗客の数人が車から降りてタバコを吸っていた。
狭いマイクロバスではタバコの臭が心配だった。

いよいよマラッカへと走り出した。
ところが朝のラッシュを抜けて高速道路に進入して間もなくのこと
ガイドが「入国書類がないので会社に取りに戻る」と言い出した。
大事な書類をチェックしなかったのか、、、。
悠長に時間調整なんかして、、、と非難めいた気持ちになった。



シンガポール郊外への高速道路



シンガポールの出国事務所に近いたので写真を撮ったら、

ガイドから「この1枚だけにしましょうね」と言われた。


シンガポール、マレーシア、出入国事務所の遠景
この1枚でガイドに撮影を止められてしまった

出国事務所の建物は、天井が高く、壁はコンクリートの打ち放しで倉庫のように見えた。
型通りの手続きが済んだ。
シンガポール在住の孫たちはグリンカードも一緒に持参していた。
ガイドは、トイレは綺麗なシンガポール側で済ませたがいいと言ってくれた。

今度はマレーシアへの入国である。
手続きはすぐに終わった。
建物の下りのエスカレターが故障していた。
狭い階段を使って1階に下りると、マイクロバスが2台待っていた。
夫婦連れの2人は、乗ってきたバスでジョホール観光に先に出発して行った。
少し小ぶりのマイクロバスには、わが家族6人と中年と若い女性の2人が乗った。



マレーシア側


ガイドも運転手も変わった。
ガイドは知識は豊富そうだが、日本語は少し早口で聞きらかった。
孫たちが、「マレーシアではなく、マレージアと濁音だ」といっていた。
また、現地ではマラッカを「Melaka」とする表示が多かった
どうも「マ」ではなく「メム」に近いのではないか。
後で調べると、「マラッカ」は英語であり、マレーシア語では「ムラカ」というようだ。

マラッカへのロングドライブが始まった
高速道路は整備されている。
沿道にはパームヤシ畑が果てしなく続いている。
道路を走る車は日本車が多い。
高級車も多かった。

シンガポールからマラッカへのアクセスは陸路・空路あるがバスが最適らしい。
所要時間はバスが3時間半程。
首都クアラルンプールからでも1時間半はかかるそうだ。
飛行機は40分程だそうだがいろいろと面倒だ。
(マラッカ国際空港というのがあるらしい。)

シンガポール→マラッカ 約250km 3時間半程
クアラルンプール→マラッカ 約145km 1時間半程

シンガポールからマレー半島を北上するマレー鉄道というのもあるらしい。
が、この列車はマラッカには非情にアクセスが悪いようだ。
最寄り駅からマラッカまで車で1時間半程もかかるという。
のんびり気ままに列車の旅とはいかないようだ。


高速道路に入る

道路沿いはパームヤシが延々と続く

所々に珍しい木も
イエローハーブ?

植樹の手入れが行き届いている

上孫娘が退屈そうだったので、ボイスレコーダーを貸した。
昨日、「第2外国語を何にするか決めないといけないけど、何がいいと思う?」と聞かれた。
「世界の人口が多いのは中国語だよ」と言うと、中国語はだという。
「それなら意外と多いのはスペイン語だ」と言う「スペイン語にする」と言っていた。
そんなやり取りを思い出して、ラジオ講座を収録していたボイスレコーダーを貸したのだった。


サービスエリアのトイレ

サービスエリアのショップ



途中サービスエリアでトイレ休憩をした。
高速道路を4時間近く走った。

こんなに遠いとは思っていなかった。
なるほど、マラッカにはあまり行く機会がないというママの言がわかった。
既に孫たちのように「ちょっとマレーシアにランチ」という距離ではない。

気軽に考えていたマラッカ。
その気軽感が後にアダとなった、、、。

<続く>



2013年10月7日月曜日

ドライフルーツとイタリア語検定


9月6日から中央アジアに旅行してきた旅好きの知人から、
お土産に各地のドライフルーツを頂いた。
ブドウは一目でわかるが、日本ではあまり見かけないものもある。
相棒と「これは何だろうか?」などと一粒一粒吟味しながら頂いている。
乾燥した大地の陽の光をいっぱいに受けた味わい深いものだ。

その上に、途中の乗り継ぎ空港で買い求めたという高級なゴディバのチョコや
ふるさとの葡萄も頂戴した。
有難く大事に頂いている。

中央アジアのお土産の数々


ふるさとの葡萄まで頂戴

この知人は、旅好きとはいえ毎月のように各地を旅している。
frogmanも真似したいところだが、そうもいかない。
旅への渇きを癒すかのように、語学の検定試験を受け続けている。

この1年は中国語にも力を入れてきた。
下から2番目のグレードを突破することを目安にしてやっている。
しかし、イタリア語はなかなか突破できない。
今回はイタリア語検定だ。

試験の受験申請は、以前は丸善書店か語学学校等でないと受付できなかったので、
手間や時間がかかった。
今はインターネットで申し込めるようになって便利になった。
今回の受験者は多くなかった。


4級に挑戦

問題用紙はこんな感じ

試験会場の道路を挟んで反対側の広場でマーケット「マルシェ」をやっていた。
首都圏の農産物生産者が直接来て販売していた。
最近では農作物以外の加工品や食料品も多くなっている。
カフェなどもやっていた。






2013年8月3日土曜日

アンコール遺跡⑩ ~昼食の後は・・アンコール豆知識編~


アンコール・ワットとアンコール・トムを見学した後、
やっとクメール精神世界に少し触れることができたような気がする。
しかし、宗教がこれほどまでに深く関係しているとは、シェムリアップにきて初めて知った。
来てみないとわからないものだ。
これも旅の醍醐味の一つ。


【4日目】 2013年7月23日お昼 =昼食&アンコールのあれこれ=

アンコール・トム観光の後は昼食。
バスで田園風景の中を走ってどこかのホテルに到着した。
ホテルのレストランで飲茶だった。
落ち着いた色彩のアジアンテイスト薫る建物だった。

昼食をとったホテルのレストラン

レストラン入口

レストランの店内
中華ダイニングだけに円卓

スープ

焼きそば

飲茶その1

飲茶その2

ごま団子

中華デザート

食後のティータイム代わり(?)に、ここで少々ブレイク・タイム。
アンコールの地名や歴史などについて少し書いてみようと思う。
勿論受け売りである。



【アンコール遺跡と豆知識編】



まずは、アンコール朝の簡単な歴史

1世紀 扶南(フナン)王国が起る
6世紀 真臘(シンロウ、クメール語:チャンラ)勃興 (カンボジア起源とされる)

7世紀 真臘が扶南を滅ぼし、クメール族の国を建国 (その後分裂や統合を繰り返す)
      =時の王は、イシャーヤヴァルマン1世

802年 ジャヤーヴァルマン2世がクーレン山で神王として即位し、建国を宣言

     アンコール朝(クメール朝)が始まる
9世紀末 ヤショーヴァルマン1世がアンコールに新都城「ヤショーダラプラ」を築く
12世紀 スールヤヴァルマン2世が「アンコールワット」を建造
13世紀 ジャヤーヴァルマン7世が新王都「アンコールトム」を築き、最盛期をむかえる
      ・・・・・ジャヤーヴァルマン7世の死後、アンコール朝は衰退の道へ・・・・・


1431年 シャム(アユタヤ朝)の侵攻により、首都アンコール陥落


アンコール朝歴代王26人(ヴァルマン称号の王)とその治世をまとめる。
       *( )内の年は在位期間を示す
       *ヴァルマンとは、「守護者」「庇護者」の意味

(1)ジャヤーヴァルマン2世(802~834年)
   クーレン山(プノン・クーレン)で即位し、アンコール朝が始まる。
   ロリュオス地方を頻繁に訪問、晩年はロリュオスで暮らした。

(2)ジャヤーヴァルマン3世(834~877年)=(1)の息子

(3)インドラヴァルマン1世(877~889年)=(1)の重臣の孫?
   ロリュオスの地に王都「ハリハラーラヤ」を造営(ロリュオス遺跡)
                 *ハリハラとは、シヴァとヴィシュヌの合体神
   879年、プリア・コー建立
   881年、中心寺院バコン建立
   大貯水池「インドラタターカ」造営
         *灌漑事業に力を入れ生産力を高めて王朝の基盤をつくった賢王

(4)ヤショーヴァルマン1世(889~910年頃)=(3)の息子
   893年、ロレイ建立
        *ロレイを父母のために建立した後にアンコールへ
   アンコールに遷都、新都城「ヤショーダラプラ」を造営
   900年頃、プノン・バケン建立
         プノン・クロム建立
   大貯水池「東バライ」造営
          *善政を行った父王を見習い東バライをつくった。
   910年、ライ病で死去


・・・・プリア・コー、バコン、ロレイの見学記はアンコール遺跡②を。・・・・

(5)ハルシャヴァルマン1世(910~922年頃)=(4)の息子
   921年、プラサット・クラバン建立

(6)イーシャナヴァルマン1世(922~928年)=(4)の息子

(7)ジャヤーヴァルマン4世(928~942年)=アンコール北東にある「コ・ケー」地方の有力者
   コ・ケーで即位、かの地に遷都

(8)ハルシャヴァルマン2世(942~944年)=(7)の息子

(9)ラージェンドラヴァルマン2世(944~968年)
   首都を再びアンコールに移す
   952年、東メボン建立
   961年、プレ・ループ建立
   967年、バンテアイ・スレイ着工
   ピミアナカス建造
   バンテアイ・クデイ建立


・・・・プラサット・クラバン、東メボン、プレ・ループ、バンテアイ・スレイは
アンコール遺跡③を。・・・・


(10)ジャヤーヴァルマン5世(968~1000年)=(9)の息子
    バンテアイ・スレイ完成
    1000年、タ・ケウ建設中に死去

(11)ウダヤーディジャヴァルマン1世(1001~1002年)=(10)の義兄

(12)ジャヤヴィーラヴァルマン(1002~1010年)

(13)スールヤヴァルマン1世(1011~1050年)
    ピミアナカス再建
    クレアン小寺院群建立
    貯水池、西バライ開掘
    大プリア・カーン建立(東部地方)
    プリア・ヴィヘヤ建立(北部地方)
    プノン・チソール建立(南部地方)
    ロップリー(現タイ領土)まで領土拡大

(14)ウダヤーディジャヴァルマン2世(1050~1066年)
    バプーオン建立
    西バライ造営
    西メボン建立


・・・・ピミアナカス、バプーオンはアンコール遺跡⑨を。・・・・

(15)ハルシャヴァルマン3世(1066~1080年)=(14)の兄弟

(16)ジャヤーヴァルマン6世(1080~1107年)=ピマーイ地方の王家出身
    ベン・メリア建設開始


・・・・ベン・メリアはアンコール遺跡⑥を。・・・・

(17)ダラニンドラヴァルマン1世(1107~1113年)=(16)の兄弟

(18)スールヤヴァルマン2世(1113~1150年)=(16)(17)の甥
    アンコール・ワット建立
    ピマーイ建立(東北タイ地方)
    1145~1149年、チャンパ王国支配


・・・・アンコール・ワットはアンコール遺跡⑦を。・・・・

(19)ヤショーヴァルマン2世(1150~1165年)

(20)トリブヴァナーディチャヴァルマン(1165~1177年)
    1177年、チャンパ軍によりアンコール占領

(21)ジャヤーヴァルマン7世(1181~1220年)=最初の仏教信仰王
    1190年、アンコール奪還
    1190~1220年、チャンパ王国を支配・併合、マレー半島へ領土拡大
    アンコール朝の最盛期
    都城「アンコール・トム」造営、バイヨン象のテラスライ王のテラス、建立
    1186年、タ・プローム建立
    1191年、プリア・カン建立
    12世紀末、バンテアイ・クデイ建立(仏教様式に再建)
    バライ造営、ニャック・ポアン建立
    タ・ソム、バンテアイ・チュマール、建立
    102の病院、121の宿駅をつくった


・・・・アンコール・トム、バイヨン、象のテラス、ライ王のテラスは
アンコール遺跡⑨を。・・・・
・・・・タ・プローム、バンテアイ・クデイはアンコール遺跡⑪を。・・・・


(22)インドラヴァルマン2世(1120~1243年)

(23)ジャヤーヴァルマン8世(1243~1295年)
    シャム、元からの侵攻、1285年、1292年、元に朝貢
    「廃仏」がはじまる
    バイヨンをはじめ仏教寺院がヒンドゥー教に改宗される

(24)シュリーンドラヴァルマン(1295~1307年)

(25)シュリーンドラジャヤーヴァルマン(1307~1327年)=仏教徒
    マンガラールタ建立

(26)ジャヤーヴァルマン9世(1307~1353年)

    ・・・・・その後、ヴァルマンの称号が廃止される・・・・・

1431年、シャム軍にアンコールを占拠され、アンコール朝終焉    
    

次に言語

クメール語とカンボジア語は同じ。

7世紀の真臘ではインド文化の影響が大きく、サンスクリット文字(古代インド)を使用。
クメール文字も使われ始めていた。

アンコール朝では、王朝が徐々に衰退していく14世紀までサンスクリット語を使い続けた。
碑文などによると、クメール語とサンスクリット語が半々位で使われていたようである。


地名の由来など

◆アンコール<Angkor

=サンスクリット語の Nagara から出た言葉で、音がカンボジア風に変化した。
  Nagara(ナーガラ) → Nokor(ノーコー) → Ongkor(オンコー) → Angkor(アンコー)

  Nagara  =  Naga(蛇) と ra(居る) =
蛇の住むところ→蛇王のいる国。
                          「竜宮」と意訳できるともある。
  一方、Nagara(ナガラ)は、「都市・城市」、「王家の都」の意味もある。

そういえば、この遺跡巡りでも数々の「ナーガ」をみた。
先ほど、アンコール・トムを出た時も橋の欄干で神々と阿修羅が曳いていた(乳海攪拌)。

アンコール・トム南大門のナーガ、再登場。

◆アンコール・ワット<Angkor W
at(Vat)

=ワットは、寺院の意味。
  ここでは「王室寺院」。
  他にも、「都の寺院」、「寺院町」など。


◆アンコール・トム<Angkor Thom

=トムは、大きいという意味。
  ここでは「大王城」。
  一般的には、「大きい街」、「大きい都市」など。


アンコール・トムのバイヨン<Bayon>

=クメール語では「バヨン」の発音に近い。
 「バ」は美しい、「ヨン」は塔、という意味=「美しい塔」。
 解説書では「納骨堂」であると書いている。


◆シェムリアップ<Siem・Reap>

=直訳すると、「シャム人(タイ人)敗戦の地」


◆カンボジア<Cambodia>

=カンボジア語では、「カンプチャ<Kampuchea>」という。
  正式名称は、「カンボジア王国<Reach Ana Pak Kampuchea>」。
  カンプは、建国者インドのバラモン僧「カンプー」のこと。
  チャは、その子孫を表す。
  カンプチャは、「カンプーの子孫(の国)」。
  建国神話には、カンプー(シヴァ神の婿で西の国の王子)がナーガの娘と結婚し、
  カンボジアの祖となった、という話がある。

  もう一つ、
  カンボジア=「カンブ王の国」を意味するともいわれる。
  1500年頃この国を訪れたポルトガル人が、
  王の名「Kambu  カンボ」に、地名を表す「ia  イアー(~の国)」をつけて、
  「カンボジア」とヨーロッパに紹介した、といわれている。


カンボジアの首都 プノンペン<Phnom・Penh>

=プノンは「丘」の意味、「ペン」は信心深い女性の名前で、ペン夫人。
  「ペン夫人の丘」ということになる。


次は、「ナーガ Naga」について。

「ナーガ」は、インド土着の蛇信仰から形成された蛇神。
その蛇神崇拝は、すでにインダス文明において存在したと推測されている。
脱皮・再生、多産、の生態から「不老不死」「子孫繁栄」の神だとされる。

ナーガはヒンドゥー教の神名。
仏教では竜。
中国の竜とは異なり、姿の源はインドコブラ。
カンボジアではネアークと呼ばれている。

ナーガは蛇神一族の総称で、一族は地底界パーラータに住むとされる。
仏教では竜の居所は竜宮。
ヴァースキやその他の蛇王(竜王)がその世界を統治している。
たくさんの竜王がいる。
  ・天地創造時(乳海攪拌)に綱になったのは、「ヴァースキ竜王」
  ・修行中の仏陀を、自らの体を盾として雨や風から守ったのは、「ムチャリンダ竜王」
  ・ヴィシュヌ神の寝床となっているのは、「アナンタ(シューシャ)竜王」
  ・干ばつを起こして、古代神インドラ(帝釈天)に退治されたのは、「ヴリトラ竜王」
  ・水を毒にして、クリシュナ(ヴィシュヌ神の化身)に退治されたのは、「カーリヤ竜王」
  ・仏陀誕生の時、聖水を注いで灌頂したのは、「ナンダ竜王」と「ウパナンダ竜王」
  ・・・・・断食を止め麓へ下りた仏陀に粥を差し出した女性スジャータは竜王の姫。

神話、建国神話や王族の伝説にはナーガが深くかかわっている。


ナーガと建国神話

東南アジアの国や王族の起源には、「ナーガとの結婚」というのが多く存在する。
  
扶南王国の創建神話、その伝説では、
カウンディンヤ(インド北西部の有力氏族)というインド人バラモンがこの地に渡来した。
この地を統治する土侯はナーガ一族。
カウンディンヤは、ナーガ竜王の姫ソーマ(柳葉)と結婚し、扶南王国の初代王となった。
前出のカンボジア国名の由来は同様の伝説である。

真臘・アンコール王朝の創建神話も同じような伝説だ。
王朝の起源を、初代の王(プラ・トン)とナーガ族の王(プション王)の姫との結婚に求めている。
プラ・トンはアリアデシャの地からやってきてトロクの地に着いた。
ここはナーガ族のバトバダル(バーラータ)とつながっている。
プラ・トンはナーガのプション王の姫と結婚し、ナーガの力を受けてトロクを支配し国をつくった。
この国は神の恩恵によって拡大し、大きな国となっていった。

この伝説には後がある。
初代王となったプラ・トンは、岳父であるナーガのプション王を過って殺してしまい、
その岳父の血を身体に浴びた。
殺した罪の罰として、プラ・トンはこの返り血によってライ病に罹ってしまうのである。
そして、「ライ王」といわれた、という。
この伝説から、アンコール・トムのライ王のテラスにある像は、「建国の祖」プラ・トンであると信じられている。

アンコールの遺跡には夥しい数のナーガとその化身がみられる。
そこには、「土着のナーガからその地を治める許しを得る」という神話の構図があるのだ。
アンコールの地名が、「ナーガの国」というのもわかるような気がしてくる。
アンコールの建造物は、
国民の母たるナーガ、その主権を視覚的に宣言している、と分析されている。

ピミアナカス、かつての天上の宮殿に残る伝説も、この建国神話が基底にある。
王宮の中に須弥山をつくり、王は夜毎にそこに宿るナーガの下に臥す。
毎夜毎夜同衾し、始祖王がナーガの姫と行った婚姻(初夜)を更新しているのだという。


では、この辺りで豆知識を終わろう。

<続く>




2013年7月12日金曜日

お盆と中国語検定パス


昨日の全国の最高気温は39.5度、群馬県館林市だった。
今日、その館林のお寺さんがお盆の檀家回りに来てくれた。
毎年のことだ。






それに今日は、先月受験した中国語検定試験4級の合格通知がきた。
ほっとした。




  

2013年6月23日日曜日

中国語検定と梅干し作り


今日623日、中国検定試験を受験した。




2007年に初めて中国北京を旅行した。
京劇や雑技をみたり、ワンフーチンで買い物をした。
どこにいっても中国の人たちは日本語を上手に話してた。
仕事の上で必要ということもあるだろうが、日本に興味を持っているからに違いないと思った。

帰国してから、中国語のNHKラジオ講座を聴くようになった。
定年して家にいる時間が増え、「時間の有効利用」にもなっている。

その後2009年には上海周辺に旅行した。
この時に、はっきりと中国語を覚えようかなと意識し始めたような気がする。
早道は語学学校に行くことだろうが、経済的に余裕はない。
ラジオ講座を聴きながら、ときおり検定試験を受けることにした。

去年の秋に準4級と4級を受けた。
4級は合格できなかった。
(昨年の受験について、2012/11/27ブログ「中国語検定試験とりんご」に書いている。)

2度目の今回は4級の試験を受けた。
今回は、前回の1/3位しか受験者がいなかった。
日中関係が悪くなったからだろうか。
女性が多かったが、若い人の間で中国熱が冷めているように感じた。
それにしても、試験時間の100分間集中力を保つのは容易ではなくなってきた。




   
自宅に帰って、先週20日に漬け込んだ梅干しの梅酢の上がり具合を覗いてみた。

今年は去年の半分の3キロにした。
容器が大きいので底の方に沈んでいるように見える。
梅酢は十分に上がっていた。
もう少し上がったら、すくい取って「梅酢」として保存する。
あとは、梅雨明けを待って干すことになる。

(梅干しづくりに関しては、
 昨年のブログ「梅干しつくり<1>~<5>」に詳しくあるので、よろしければ参照されたし。)


6/20 漬け込んだ時

6/23 今日の状態
ずいぶんと水が上がってきている
あまり酒は強くないが、今年も梅酒を作った。