【4~5日目】 2013年1月16日~17日 =ギリシャ・パトラ→イタリア・バーリへ=
・・・アドリア海は低く雨雲が垂れこめ、
デッキから望むイタリア列島は朝靄に包まれていた。
出航するギリシャ・パトラ港は、冬の夕暮れ時、今にも雨が降り出しそうだった。
添乗員が乗船手続きをする間、待合室で待機していた。
冷え冷えとしていた。
大型フェリーが2隻接岸していた。
フェリーの1階の船倉にスーツケースを預けるスペースがあった。
自分でがらがら引いて持ち込んだ。
傍らを大型トレーラーやトラックが次々に乗り込んできた。
天井が高く、船室の3階分くらいあった。
天井が高く、船室の3階分くらいあった。
4階には客用レセプション、レストランや娯楽施設があった。
このラウンジでスケジュールなどの説明を受け、船室のキーを受け取った。
船室は6階で、室内は寝台列車の個室と同じくらいの広さだった。
ギリシャを海から見ようとデッキに出てみると、喫煙場所になっていた。
見るからにドライバーらしい人たちで一杯だった。
見るからにドライバーらしい人たちで一杯だった。
カジノルームを覗くと日本のゲームセンターと同じようなマシーンが並んでいた。
厚化粧の女性が座っていた。
レセプションの隣のラウンジを兼ねたシアタールームでは若い2人が映画を見ていた。
レストラン脇には形ばかりのショップがあり、すでにクローズしていた。
夕食の席は向かい合せの4人掛けだった。
今夜は一行の中で独特の雰囲気をもった夫婦と同席した。
冬の曇りの日にサングラス、上品にコートを着る婦人に対して、
旦那は、ポートワインのサンデマンのキャラクターのように黒のハットをかぶり、黒ずくめ。
防寒用か無頓着なのか、ズボンがいつもナイロン製のトレパンだった。
そして、お互いに「ちゃん」付けで呼び合っている。
我々は旅での出会いを大事にと、参加者全員と食事で同席するよう心がけているが、
このご夫妻とが一番後になっていた。
話では、東京・成城に住み、どこかに別荘を持っているという。
甥2人が弁護士をしていることが誇りらしい。
フェリーは深夜にギリシャの港に寄ってからイタリア・バーリに向かうと説明を受けていた。
午前1時頃、港に入ったのだろうか。
揺れが収まって熟睡した。
トイレに起きた時少しローリングをしていたが、どこにも捕まらずに用をたすことができた。
午前4時頃、相棒と一緒に目覚めた。
午前4時頃、相棒と一緒に目覚めた。
ゆっくりと身支度を始めた。
朝食まで時間があるのでレセプション前のラウンジに行くと、
朝食まで時間があるのでレセプション前のラウンジに行くと、
ギリシャ正教と思われる10人程のグループが朝のお祈りをしていた。
デッキに出ると、陸地に雲が低く垂れこめて、南イタリアが半分隠れていた。
天気は雨のようだ。
ラウンジの窓からのぞむアドリア海 |
6階デッキから船首を見る |
朝食は7時から、席は夕食時と同席に限定された。
ホテルの朝食と変わらなかった。
ジャンボクロワッサンが名物 おいしかった。 |
イタリア・バーリ到着は8時30分の予定。
かなり遅れている。
乗船客は所在なげに4階のランジに集まって来ていた。
聞くところでは乗船客は約950人という。
ソファーの隣に子供連れの女性が来た。
暫くすると子供にキャンデーをあげて隣の我々にもくれると差出した。
遠慮なく貰って、お返しに日本の飴をあげた。
下船の時 |
11時過ぎに下船がはじまった。
スーツケースを預けた乗船客は一番後になった。
最後に船倉に下りてスーツケースを受け取った。
埠頭には、観光バスが迎えに来ていた。
雨は上がっていた。
12年前、ヴェネツィアで小型ボートを1日貸し切ってクルーズしたことを思い出した。
アドリア海に浮かぶ島々を訪れたのだった。
12年前のアドリア海クルーズ |
夏だった |
船で小さな島々を訪ねた |
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