2013年1月28日月曜日

神々の国ギリシャ そしてイタリア再び⑤ ~アドリア海クルーズ~


【4~5日目】 2013年116日~17日 =ギリシャ・パトラ→イタリア・バーリへ=

・・・アドリア海は低く雨雲が垂れこめ、
  デッキから望むイタリア列島は朝靄に包まれていた。 


出航するギリシャ・パトラ港は、冬の夕暮れ時、今にも雨が降り出しそうだった。
添乗員が乗船手続きをする間、待合室で待機していた。
冷え冷えとしていた。
やがて乗船券がパスポートと一緒に確認され桟橋に向った。

ギリシャ・パトラからイタリア・バーリに向けてワンナイトクルーズに出る。




大型フェリーが2隻接岸していた。
フェリーの1階の船倉にスーツケースを預けるスペースがあった。
自分でがらがら引いて持ち込んだ。
傍らを大型トレーラーやトラックが次々に乗り込んできた。
天井が高く、船室の3階分くらいあった。

4階には客用レセプション、レストランや娯楽施設があった。
このラウンジでスケジュールなどの説明を受け、船室のキーを受け取った。
船室は6階で、室内は寝台列車の個室と同じくらいの広さだった。
夕食の時間まで一休みした。


フェリー船尾から同型船を撮った

フェリーの待合室

フェリーの待合室

6階の客室
部屋の上段にベットがつくれる

フェリーは定刻の午後6時に出港した。

繁栄を誇ったギリシャの海運は航空機に客を奪われて衰退しているという。

ギリシャを海から見ようとデッキに出てみると、喫煙場所になっていた。
見るからにドライバーらしい人たちで一杯だった。
カジノルームを覗くと日本のゲームセンターと同じようなマシーンが並んでいた。
厚化粧の女性が座っていた。
レセプションの隣のラウンジを兼ねたシアタールームでは若い2人が映画を見ていた。
レストラン脇には形ばかりのショップがあり、すでにクローズしていた。

夕食の席は向かい合せの4人掛けだった。
今夜は一行の中で独特の雰囲気をもった夫婦と同席した。

冬の曇りの日にサングラス、上品にコートを着る婦人に対して、
旦那は、ポートワインのサンデマンのキャラクターのように黒のハットをかぶり、黒ずくめ。
防寒用か無頓着なのか、ズボンがいつもナイロン製のトレパンだった。
そして、お互いに「ちゃん」付けで呼び合っている。
我々は旅での出会いを大事にと、参加者全員と食事で同席するよう心がけているが、
このご夫妻とが一番後になっていた。
話では、東京・成城に住み、どこかに別荘を持っているという。
2人が弁護士をしていることが誇りらしい。

フェリーは深夜にギリシャの港に寄ってからイタリア・バーリに向かうと説明を受けていた。
午前1時頃、港に入ったのだろうか。
揺れが収まって熟睡した。
トイレに起きた時少しローリングをしていたが、どこにも捕まらずに用をたすことができた。

午前4時頃、相棒と一緒に目覚めた。
ゆっくりと身支度を始めた。

朝食まで時間があるのでレセプション前のラウンジに行くと、
ギリシャ正教と思われる10人程のグループが朝のお祈りをしていた。
デッキに出ると、陸地に雲が低く垂れこめて、南イタリアが半分隠れていた。
天気は雨のようだ。

ラウンジの窓からのぞむアドリア海

6階デッキから船首を見る

朝食は7時から、席は夕食時と同席に限定された。
ホテルの朝食と変わらなかった。

ジャンボクロワッサンが名物
おいしかった。

イタリア・バーリ到着は8時30分の予定。
かなり遅れている。
乗船客は所在なげに4階のランジに集まって来ていた。
聞くところでは乗船客は約950人という。

ソファーの隣に子供連れの女性が来た。
暫くすると子供にキャンデーをあげて隣の我々にもくれると差出した。
遠慮なく貰って、お返しに日本の飴をあげた。

下船の時


11時過ぎに下船がはじまった。
スーツケースを預けた乗船客は一番後になった。
最後に船倉に下りてスーツケースを受け取った。

埠頭には、観光バスが迎えに来ていた。
雨は上がっていた。

12年前、ヴェネツィアで小型ボートを1日貸し切ってクルーズしたことを思い出した。
アドリア海に浮かぶ島々を訪れたのだった。

12年前のアドリア海クルーズ

夏だった

船で小さな島々を訪ねた


:::ワンナイトクルーズの絵手紙:::


<続く>



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