・・・「イタリアの夕日が美しかった。」
今から12年前の記憶である。
今月13日からイタリアとギリシャの旅に出る。
イタリアは再訪だ。
1週間後の旅を思うと、自然とあれこれの思い出が脳裏に浮かぶ。
次から次へと思い出の断片が連なっていく、、、。
2001年夏のイタリア。
ホテルの窓から見た真っ赤な夕日の光景に感動した。
夕日がドームを燃えるような赤に染め上げていた。
7月20~22日にジェノヴァで主要国首脳会議が開かれ、
21日にはジェノヴァ市内で大規模なサミット反対デモが起こっていた。
7月20~22日にジェノヴァで主要国首脳会議が開かれ、
21日にはジェノヴァ市内で大規模なサミット反対デモが起こっていた。
G8への抵抗運動デモは約20万人、1人が射殺され、負傷者約250名を出した。
2001年 ジェノヴァサミット (日)小泉 (英)ブレア (米)ブッシュ (仏)シラク (伊)ベルルスコーニ (露)プーチン (加)クレティエン (独)シュレーダー |
我々が滞在していた7月23日のローマでは、この虐殺に抗議するデモが過熱していた。
ホテルに足止めされてしまった。
部屋でうたた寝をして目が覚めると、真夏の太陽が沈むところだった。
思わず、「この美しさを子供たちにも伝えたい」と絵手紙を描いた。
それ以後、海外旅行に出ると絵手紙を子供や知り合いに出すことにしている。
今では旅日記の替わりに自分宛てにも出している。
拙い現地語を使ってホテルのフロントや町の売店で切手を買うのも旅の小さな楽しみとなった。
インターネットの普及もあってか、今はホテルが郵便切手を置かなくなってしまった。
毎度切手を手に入れるのに苦労している。
よくみると「リラ」と「ユーロ」が併記されている。
ユーロへの切り替えの準備時期だった。
絵手紙には3種類の切手を使っている。
650リラ切手の原画 ポッライオーロ 「若い貴婦人の肖像」 |
1998年発行 まだユーロ表記はない 眉毛の感じからか原画より若い感じがする |
2枚目の絵手紙には700リラ切手と800リラ(0.41ユーロ)切手。
700リラ切手 800リラ(0.41ユーロ)切手 |
古い切手なので当然だがユーロ表記はない。
切手のモチーフは北部ピエモンテ州イヴレアの「イヴレア城」だ。
CASTELLO DI IVREA とある。
イヴレアといえばオレンジをぶつけあう祭り「オレンジ合戦」で有名な街。
タイプライターのオリベッティ社の本拠地でもある。
800リラ切手はこちらも肖像画の図案。
原画はラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」(ボルゲーゼ美術館所蔵)である。
この絵は20代前半のラファエロがダ・ヴィンチの「モナリザ」を参考にして描いたとか。
650リラ切手と全く同時期に発行されている。
1998年7月に発行され、1999年1月にはユーロ併記版が出た。
800リラ切手の原画 ラファエロ 「一角獣を抱く貴婦人」 |
1998年発行 ユーロ併記のない方 原画よりも瞳が艶やかに描かれているようだ |
そう、2001年のこの時のイタリア通貨は「リラ」だった。
美術館などへの入場料が8000~15000リラ。
相棒の買い物のために800000とか1000000リラという大きな桁数に戸惑った記憶がある。
買い物では何かと「札束を数え」なくてはならず嫌な気がした。
1000リラが66円位だったと思う。
簡便に約65円で計算していた。
1000リラから紙幣だった。
日本だったら硬貨の額がお札、、、何となく違和感があった。
2001年当時の1000リラ紙幣 これで65円! 肖像はマリア・モンテッソーリ 医学博士・教育者 |
1000リラ=65円
2000リラ=130円
5000リラ=325円
10000リラ=650円
50000リラ=3250円
100000リラ=6500円
500000リラ=32500円
グリエルモ・マルコーニ 無線研究家・発明家 |
ヴィンチェンツォ・ベッリーニ 作曲家 |
アレッサンドロ・ヴォルタ 物理学者 ボルタ電池を発明 |
ジャン・ロレンツィ・ベルニーニ バロック期の芸術家 ローマ・ナヴォーナ広場の「四大河の泉」作者 |
ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ バロック期の画家 |
ラファエロ・サンティ ルネサンス期の画家 |
ガリレオ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ボッティチェリ、ティツィアーノ、ヴェルディ、、、
マルコ・ポーロ、コロンブス、、、。
それが今ではユーロ紙幣に統一されている。
ユーロ紙幣のデザインは欧州の歴史を感じさせる「架空」の遺産建築物だ。
お金に味などはないが、何となく「味気ない」ような気がする。
他にもいろいろとあった。
当時の欧州では狂牛病が大きな話題となっていた。1996年に英国政府の発表があって以来、対岸の火事を決め込んでいた欧州諸国にも
2000年にはBSE問題が飛び火していた。
我々も旅行社から名物の「ミラノ・カツレツ」を食べることを禁止された。
またその時のイタリア2週間の旅は、ツアーといっても食事も現地の観光案内もほとんどない
フリーツアーだった。
フリー過ぎてレストランを選ぶのにも苦労したと記憶する。
遺跡などを巡るにしても地図の地名もよくわからない。
場所がわからずに時間ばかりがかかってしまった。
フリーツアーの利点を活かしてローマ滞在中にポンペイまで行こうと思っていたが、
冒頭に書いたようにデモで足止めを余儀なくされた。
ポンペイに行けなかったことは大きな心残りとなった。
自分の絵手紙を見ていたら、知人のイラストレーターの絵を思い出した。
随分と参考にさせてもらい少しは上手くなってきたかとも思うが、
やはりプロは違う、、、とつくづく感じる。
イタリア旅行の写真をもとに 知人のイラストレーターが描いた 月刊誌の表紙 |
こちらもイラストレーターの作品 |
ザルツブルグのクリスマスマーケット 知人のイラストレーター作 |
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