2013年1月26日土曜日

神々の国ギリシャ そしてイタリア再び③ ~メテオラ~


【3日目】 2013年1月15日 =オシオス・ルカス修道院、天空の修道院メテオラへ=


今日は、天空の修道院「メテオラ」の観光である。

ギリシャ北西部、アテネの北370キロにある。
アテネを後にしバスで向かう。
途中、世界遺産オシオス・ルカス修道院に立ち寄った。




オシオス・ルカス修道院は山間にひっそり建っていた。
傾斜地にオリーブを栽培している。
修道院入口の手前には土産物屋があった。
修道院で作ったものを販売しているそうだ。
周囲には人影もなく、店の入口に男女2人が所在無げに佇んでいた。

オシオス・ルカス修道院はギリシャ正教の修道院で世界遺産である。
10世紀にテオトコス教会が、11世紀に聖ルカス大教会が建設された。
聖堂内部にはモザイク画やフレスコ画の宗教美術が施されており、
ビザンチン文化の傑作と言われている。
描かれているのはキリストの物語と聖人たち。
その聖人の一人が「聖ルカス」である。
教会には聖ルカスの墓所もあった。

修道院への山道の道路脇に見慣れぬ郵便受けのようなものが幾つも建っていた。
添乗員によると「祠や墓石」だという。
よく見ると十字架がついた教会のミニチュアのようなものが土台の上に乗っていた。
交通事故などで亡くなった人の供養や、助かった人は中にイコンを入れて祈りを捧げるそうだ。
日本のお地蔵さんのような存在なのかもしれない。

オシオス・ルカス修道院
10世紀の建物
聖堂は中世ビザンチンの傑作といわれる。
向こうが修道院入口
道路の脇には小さな祠がある

メテオラを目指してバスは北上を続けた。
メテオラの麓にあるカランバカという街に到着。
昼食に郷土料理「ムカサ」を食べた。
午後2時を過ぎていただろう。
外は雨が降っていた。
メテオラをのぞむレストラン
見えているのは聖ステファノス修道院

郷土料理のムカサ
 
街から裏側に回り込むようにメテオラへ続く道路ができている。
天空の修道院にはあっという間に到着した。
見学に出発する頃には雨も上がっていた。

「メテオラ」とは、奇石群とその各々の上に建設された修道院群の総称である。
世界遺産、それも数少ない複合遺産(文化遺産、自然遺産)に登録されている。
自然がつくりあげた大自然の奇石の上に修道僧が聖域を造った。

ガイドブックによると、メテオラの原形は9世紀に既にあったようだ。
修道士が奇岩の洞穴や裂け目に住まい単独で修行していたとある。
14世紀には共同体の形の修道院が建設された。
15~16世紀には24の修道院があったそうだ。
今は6つの修道院だけが活動している。






6つの中で最も大きく中心的な存在のメガロ・メテオロン修道院は休みで見学できなかった。
カランバカの町から見えていた聖ステファノス修道院を見学する。
この修道院は尼僧院である。




ステファノス修道院
ここから先は撮影禁止

最初は敵から身を守るためにつくられたと言うが、
相棒は、「このような場所によくまあ」と信仰心の強さ、人の執着心に感心していた。

修道院に入るには、男性は長ズボン、女性は長めのスカートでないといけない。
女性がズボンの場合は大きなストール等を巻く必要がある。
入口でチェックを受けて許可をもらった。
他の見学者が「短い」とクレームを付けていた。

修道院はやはりギリシャ正教である。
壁いっぱいにイコンがあった。
凹凸がなく、色は赤が多くて厳粛な雰囲気を感じさせていた。


修道院の1日は8時間ずつ区切られていて、信仰、生活のための労働、プライベートに
分けられているそうだ。

キリスト教正教の本流を自認するギリシャ正教にとっての最大の不満は、
総本山がトルコのイスタンブールにあることだ。
イスタンブールは東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルだ。
330年に首都が築かれ、オスマン帝国に侵略された1453年まで難攻不落の都だった。
墜落の後も正教が迫害されるということはなかったようだが、本流としては解せないのであろう。
正教の決定や通達が「トルコの意向」に傾くばかりだ、と現地ガイドは暗黙裡に語っていた。

建物の一角には小さなショップコーナーがあった。
イコンが多い。

信者ではないので買うのに躊躇いがあった。
メテオラの写真でつくられた小さな栞を1枚買った。


テラスに出て夕もやに霞む眼下の街の写真を撮った。

昼食ととったカランバカの街が広がっていた。
今夜はカランバカに泊まる。

夕方5時、修道院の入口にぶらさげた厚い木の板を叩く音がいつまでも続いていた。
閉館を告げているのだった。

修道院を出てすぐの所に写真の絶景ポイントがあった。
天空に浮かぶ修道院が見える場所だった。
映画007にも登場したのだと説明してくれた。
こんな細かな案内も気が利いているな、と思えた。

見学を終えて街まで降りてきた。
ホテルに到着。
「夕食前に街歩きをしようか」と相棒と相談したが、
これという店もなし、あっても閉まっている、ということで夕食まで部屋で過ごした。


ホテルの窓から

ホテルのレストラン

旅行の食事では他のツアー参加者と同席することが多い。
出来るだけ参加者の全員と同席し話をするということを心がけている。


昼食で同席した方は、
息子さんがイギリスに在住していて、お嫁さんがイタリア人だという。
時折ロンドンやパリに出かけてお嫁さんの両親とも会っているそうだ。
10歳のお孫さんは日本のおもちゃが大好きで、ロンドンまで送っているのだとか。
しかし母親の影響は強し。
イタリア語は上手なのに日本語が上手くないのが不満そうだった。

夕食では千葉に住んでいるご夫婦と同席した。
ご主人はドイツ資本の化学会社に勤めていて60歳で退職したという。

社内差別を感じたそうだ。

もう一人は成田に近い茨城に住んでいる方。
ご主人は口数の少ない人だった。
奥さんは町内会の集まりにも積極的に出るという。
相棒と同じように、毎日NHKラジオの基礎英語Ⅲを聞いていると言っていた。

食事の後は部屋に戻り、絵手紙にメテオラを描いた。
翌日デルフィで投函した。

:::今日の絵手紙:::







<続く>


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