2013年1月27日日曜日

神々の国ギリシャ そしてイタリア再び④ ~デルフィ~


【4日目】 2013年1月16日 =アポロン神殿 デルフィへ=


メテオラの麓の街カランバカを朝7時過ぎにバスで出発した。
昨日このメテオラに来るときに通過したデルフィ(デルポイ)へ、遺跡の見学である。





ホテルを出る時には太陽は出ていなかった。
市街地を抜ける頃、遠くに連なる山と手前の田園に朝靄が立ち込め、
雲海を見下ろすような幻想的な光景が現れた。

暫くすると、朝日が東の山の端から上り始め、白い靄を紅色に染めた。
朝日に向かってバスは山間の道路を登り始める。
隣の高い山の頂には雪が積もっている。
谷底には一面のオリーブ畑が広がる。
誰かが、「オリーブ畑に一度迷い込むと出られない」と言っていた。

峠を越えると、遠くに港が見え始めた。
メテオラから230キロ、バスは休憩を含め4時間は走ってきた。
デルフィの古代遺跡に到着した。

現地ガイドがバスを待っていた。

朝靄
まるで雲海のような幻想的な光景

朝日が紅にそめていく

デルフィは聖山パルナッソス山(標高2457m)の南麓につくられた古代ギリシャの聖地である。
「アポロンの神託」で有名であり、ギリシャ最古の神託所でギリシャ神話にも登場する。
その始まりは紀元前2000年頃、大地の女神ガイアが神託を行っていたとされている。

この遺跡は19世紀末まで小さな村の下に埋もれていた。
フランスの考古学隊が発掘をし、村全体が移動してデルフィ遺跡が姿を現したそうだ。
遺跡が発掘され世界遺産に登録された。
アポロン神殿を中心とする聖域と周辺の都市機構で構成されている。

アポロンはギリシャ神話の神、ゼウスの息子でオリュンポス12神の1人。
デルフィは紀元前1000年頃からアポロンの神託を聞ける聖地として賑わった。
アポロンが巫女ピュティアの姿を借りて神託を授けるとされている。
紀元前8~4世紀頃に隆盛を極め、アレクサンドロス大王も神託を求めてやってきたとされる。
諸王から一般の人々まで神託を求める人は絶えず、デルフィは奉納物で溢れたという。
神殿の近くには献納のための諸都市の宝庫も置かれ、大使館的な役割も担っていたようだ。
デルフィはまさに「世界の中心」とされていた。

デルフィの終焉は東ローマ帝国皇帝テオドシウス1世(347~395年)の治世のことだ。
4世紀末頃にキリスト教を国教と定め異教を禁止しデルフィも閉鎖となったそうだ。

デルフィ遺跡

デルフィ遺跡
パルナッソス山の麓、アポロン神域は標高600m付近

アポロン神域

アポロン神域 こんな感じだったようだ

アポロン神域の配置図
1)コルフ島人の牡牛 2)アルカディア人の奉納物 3)アカイア人の奉納物(フィロポイメン) 4)スパルタ人の記念館
5)ラケダエモン人の奉納物 6)アテナイ人の奉納物 7)アルゴス人の木馬 8)アルゴス人の奉納物
9)アルゴス人の記念館(神話の王たち) 10)奉納像の壁龕 11)タラス人の奉納群像 12)シキオン人の宝庫
13)シフノス人の宝庫 14)メガラ人の宝庫 15)テーベ人の宝庫 16)ボイオティア人の宝庫 17)ポティダイア人の宝庫
18)オイコス(家) 19)アスクレピオスの聖域 20)泉(アスクレピオスの小聖域) 21)アテナイ人の宝庫
22)アテナイ人の奉納物 23)ブーレウテリオン(議会の会議場) 24)シラクサ人の宝庫 25)クニドス人の宝庫
26)オイコス(家) 27)ガイアの聖域 28)シビュラ(巫女)の岩 29)レトの聖域 30)ボイオティア人の奉納物
31)ナクソス人のスフィンクス 32)アテナイ人のストア(柱廊) 33)ハロース(円形広場、聖物庫) 34)ドロネイア(階段)
35)コリント人の宝庫 36)キレネ人の宝庫 37)アカントス人とブラシダス(スパルタ将軍)の宝庫
38)シキュオン人のトロス(円形建造物) 39)ガイアの祭壇 40)不明 41)プラタイア人の奉納物(蛇の柱像)
42)クロトン人の奉納物 43)ロドス人の奉納物(太陽の戦車) 44)シチリア・ジューラ僭主の奉納物
45)ベルガモン王アッタロス1世とエウメネス2世の彫像 46)アッタロス1世のストア(柱廊) 47)アポロン像(高さ15.5m)
48)アテナイ人の奉納物 49)プルシアス2世騎馬像のための角柱 50)アポロン神殿 51)キオス人奉納アポロンの祭壇
52)アイトリア人の奉納エウメネス2世の台座 53)クラテロスの壁龕(クラテロス息子奉納)
54)シチリア・ジューラ君主ポリザロスの奉納(御者) 55)ポセイドンの聖域 56)カソッティスの泉
57)テッサリア・ファルサロス領主ダオコス2世奉納物 58)3人の踊り子の円柱台座(この頂点にオンファロス)
59)ネオプトレモスの小聖域(アキレスの息子の墓) 60)クニドス人のレスケ(格技の練習場)
62、63)デュオニソスの神殿、小聖域


さて、デルフィ遺跡の見学である。

先ず向かったのは「デルフィ考古学博物館」。
復元図を見せて遺跡の規模や展示品の説明があった。
デルフィで発掘された彫像や建造物の一部などが数多く展示されている。

世界の中心を示すシンボルの「オンファロス(ヘソ石)」があった。
アポロン神殿の地下から発掘されたという。
他にも奉納物の「青銅の御者像」、ソクラテスの像もある。

ソクラテスの「無知の知」はアポロンの神託から生まれたとされる。
話はこうだ。
ソクラテスは友人カイレポンから「ソクラテスより賢い人間はいない」という神託があったと聞いた。
信用できないソクラテスは方々に賢者を訪ね、賢者は皆自身の「知」を誇っていることを知る。
ここから「汝自身を知れ」「無知の知」の哲学的探求がなされたということだ。

アポロン神殿の壁には来訪者への3つの格言が刻まれていたそうだ。
「汝自身を知れ」
「過剰の中の無」
「誓約と破壊は紙一重」

世界最古の楽譜(デルフィのアポロン賛歌)もあった。
そういえばアポロンは音楽と文芸の神だったか。


デルフィ考古学博物館

現地ガイドが詳しく説明

世界の中心を示す「へそ石」
古代には何度も複製が作られたそう
羊毛の房の編目模様がついている

ソクラテス像

説明の後は遺跡へと向かった。
入口のゲートを入るといきなり階段が続いた。
アポロン神殿へと続く参道の両脇には奉納物や宝庫(の跡)が残っている。
アテナイ人の宝庫は復元されたらしく、建物の全容があった。
手前の参道には「ヘソ石」が置かれていた。
アポロン神殿への参道はくねっていた。

アポロン神殿は幅21.6m、奥行き58.2mの建造物だが今は数本の柱と土台だけ残っている。
神殿の前には高さ15.5mもの巨大なアポロン像があったそうだ。
神殿の傾斜路を上がると、前室、内陣、奥の院(アディトン)、後陣という構造だ。
「奥の院」は巫女が籠って神託を授けた場所である。
神殿の床から2~4m程下った地下室になっていたという。
2.7×3.7mの小さな部屋だった。

この地下室にはエタノールガスやメタンガスが湧出しているのだと説明された。
立ち入り禁止だ。
巫女はガスを吸い意識朦朧の陶酔状態の中で神託を語った。
神官がその神託を解釈・翻訳して伝えたと言う。
当初の巫女は未婚の女性に限られていたが強姦されることもあったそうだ。
そんなこともあり、後には50代の女性になったのだと話していた。

柱しか残っていないアポロン神殿の上段には円形劇場がある。
観客席は35列、大理石でできた座席には5000人を収容できたそうだ。
さらに上ると競技場「スタディオン」が残っていた。
スタディオンは神域から少し離れている。
かなり急な坂を15分程上って見学した。
30人のツアー客のうち上ったのは6~7人だった。

上から見たアポロン神殿跡

アテナイ人の宝庫
手前の石は「ヘソ石」

円形劇場

「スタディオン」 178mのトラック
古代の人々もここで競技を観戦したのだ、、、

スタディオンは全長178m、幅23m程の直線トラックがある。

観客席もあり、こちらは7000人程を収容できたそうだ。
ここではオリンピアと同じオリンピック競技が4年に1度行われていた。
「ピュティア祭」という。
アポロンが大蛇ピュトンの母ガイアをなだめるためにピュトンの葬礼を執り行ったことに始まる。
競技の他にも円形劇場で詩の朗読や演劇など様々な競技が行われたそうだ。

古代ギリシャを偲ぶデルフィ遺跡であるが復元はなかなか難しいようだ。
遺跡が発見される前に近隣の住人たちが神殿の石材や石像を掘り出して、
住宅の材料に使ってしまったという。
山麓の村の素朴な人々にとっては貴重な建材だったのだろう。

集合場所の博物館の広場に息を切らしながら戻った。
上まで行かなかった人たちはミュージアムショップで買い物をしていたようだ。
バスに乗る前に郵便ポストにメテオラを描いた絵手紙を投函した。


遺跡見学の後はデルフィの街に下りた。
街で昼食をとる。 昼食のメインは「ケフテデス(肉団子のフライ)」という料理だった。
「ムサカ」もついている。
崖の上にあって見晴らしがよく、気持ちのいいレストランだった。

デルフィの街は、冬の間は近くにスキー場があって賑わうという。
しかし街の入口にある大きなホテルには人の気配がなかった。
倒産したのだと添乗員が話していた。

デルフィのレストラン

「ケフテデス」と「ムサカ」

これでギリシャの旅は終わった。

ギリシャに興味を持った最初は若い頃に読んだ小川国夫の「アポロンの島」だった。


ギリシャ神話や神々は、
国や都市、島、山、海それに戦争・争いなどあらゆるもの由来・起源を説明している。
どこにいっても神話が付いてくる。
ギリシャを旅行したことで神話への興味が増した。
エーゲ海に浮かぶ神話の島々を機会があったら訪れてみたい。

今回のツアーでは添乗員がバスの移動の間にギリシャ神話をよく話してくれた。
その知識の豊富さに感心した。
分かりやすい語り口で、ツアーが終わるまで丁寧に話し続けた。
相棒は、スポーツの勝利者にオリーブの冠を授与する訳が分かったと喜んでいた。


アポロン遺跡で見つけた
日本と同じ菜の花

ギリシャ・コーヒー
トルコ・コーヒーと同じ

バスは次の旅行先のイタリア・バーリに向かうフェリーに乗船するため、
120キロ先のペロポネソス半島の港町パトラへ向かった。




「アドリア海を大型フェリ-でクルーズ」というのがツアーの売りだった。


ツアーには女性だけで参加している人たちが12人いた。
4人グループ、3人グループ、1人の参加、親娘の2人。
それに中国生まれで日本姓の2人組。
中国生まれの女性は上海生まれ。
最初、食事の席取りにも遠慮がちだった。
同席をして日本語の上達方法を聞くと、「生活がかかっているから」との一言だった。

中国人のマナーの悪さが話題になったことがあった。
ツアー参加者には皆同じような体験があったらしい。
話し声が自然と大きくなり、少々過熱気味だと感じた。
そういう時は何となく居心地が悪いような気分になる。



:::デルフィの絵手紙:::





<続く>



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