2013年1月25日金曜日

神々の国ギリシャ そしてイタリア再び② ~アテネの1日~


【2日目】 2013年1月14日 =アクロポリスとアテネの街=


午前3時頃にアテネのホテルに到着した。
今日から神々の国ギリシャを旅する。

ギリシャ地図

3000もの島々から成る

アテネの最初はパルテノン神殿のある「アクロポリス」に行く。
アクロポリスとは「高い丘の上の都市」という意味だ。
標高150メートル程の丘は松林で覆われている。


       
アクロポリスへと松林の緩やかな斜面を登って行った。
松林を抜けるとパルテノン神殿の入口に出た。

現地ガイドが入場券を買う。
入口ゲートの少し手前にチケット売場がある。
入口付近はちょっとした広場になっており何匹か犬がいた。
野良犬だろうか、、、見知らぬ人たちに吠え続けていた。

ゲートからアクロポリスに入場し、急な石段を登っていく。
振り返ってはアテネの街を見下ろして写真を撮った。
昨夜の雨で石段が滑り易くなっていた。
現地ガイドが流暢な日本語で足元に注意するよう呼びかけていた。

石段を登るとパルテノン神殿の柱が突然視界に入ってきた。
柱だけの廃墟だった。




どこの旅行会社もイヤホン・ガイドをツアー客に渡して説明するようになっているようだ。

ギリシャはミノア文明(紀元前16世紀以前)、ミケーネ文明(紀元前17~前12世紀)の舞台。
紀元前6世紀にはアクロポリスの守護神アテナに捧げる神殿ができている。
アクアポリスはそんな古代ギリシャの遺跡である。

17世紀、ヴェネツィアとトルコ(オスマン帝国)との戦い。
トルコが弾薬庫として使っていた神殿をヴェネツィアが攻撃し、破壊して敗走したとの説明。

ヴェネツィアによる包囲の様子

1800年代初頭、英国エルギン伯がトルコの許しを得て、焼け残った石像の一部を持ち帰った。
その後その石像は大英博物館に売却され所蔵されている。
伯の名から「エルギン・マーブル」、または「パルテノン・マーブル」という。

ギリシャの地の歴史は古い。
しかし有史以降は実に2000年に及ぶ占領状態が続いていた。
紀元前1世紀にローマ帝国の支配下となり、東ローマ帝国、オスマン帝国と統治が続く。
1821年、オスマン帝国との独立戦争が起こる。
ギリシャ王国が成立したのは1832年だ。
イギリス、フランス、ロシアの列強が介入しギリシャの独立が成された。

先史以前に素晴らしい文明を築いていたギリシャの民。
彼らは占領状態の中でどうやってギリシャのアイデンティティを持ってきたのだろうか。
文明の民たる子孫の誇りを持ちながらも2千年とはやはり長い。

今回ギリシャを訪れただけではその答えを得られるものではないが、
現代ギリシャ人の意識を垣間見た気はする。
それはトルコに対する感情だ。
「トルコは西洋文明の破壊者だ」、
「トルコはコンスタンティノープル(イスタンブール:正教本山地)を奪った」、という
トルコへの反感意識が強くあるように思えた。

2020年開催のオリンピック誘致合戦では、
エキゾチシズムから「イスタンブール」が有利かなと感じていた。
しかし歴史の中の確執を垣間見た後には、
「東京が勝つかもしれな」という勝手な思いが湧いてきた。

ガイドの説明が終わって1時間ほど自由時間があった。
アクロポリスの丘の上から市街地を見下ろす写真を撮りながら入口に戻った。

入口付近の一角には売店がありジュースを買った。
隣のショップを覗いてみると切手を売っていた。
最近は切手を販売しているところが少ない。
絵手紙用に多めに10枚買っておいた。

来た道を少しそれて松林を抜けた。
道路を隔てた地域は高級住宅街だという。
パルテノンが見える部屋やテラスを持つ住宅はステータスシンボルだそう。
金持ちと政治家が多く住んでいるらしい。
ギリシャ国民の気持ちを代弁するかのようなガイドさんの口ぶりだった。


アテネの高級住宅街

住宅街を左に折れると宝石店や土産屋のショップ街だった。
今回の旅行では「買い物はしない」と言って出てきた。
しかし店に入ると、「ギリシャ経済を救うためだ」と訳の分からない言い訳をしながら、
大理石のアフロディーテ像を買った。
日本円で7200円程だった。
相棒はオリーブ入りの石鹸やスキンクリームを買っていた。


ギリシャ経済を救えるか、、、
買い物タイムが終わると昼食である。
繁華街のレストランでギリシャ料理の「スブラキ」を食べた。



串から外された「スブラキ」

午後は自由行動だった。
ツアーではオプションの観光案内を用意していたが参加しなかった。
次々に遺跡を巡っても忙し過ぎて消化不良を起こしてしまいそうだ。
それよりも自分たちで街を歩き、「国立考古学博物館」にだけ行こうに決めていた。
アテネの街を気ままに楽しみたかった。

ツアーには同じ考えの夫婦がいた。
横浜から来ており、盛岡出身だと言っていた。
60歳で仕事を引退して、普段は散歩が日課だそう。
ときおり海外旅行をしているという。
平均的年金生活者かもしれない。

一緒に博物館まで行くことにした。
彼が地図を持って先に立ち、私が確認しながら歩いた。

(後で大変なことになるので予め路線図と場所を載せておく。)
地下鉄路線図

繁華街のシンタグマ広場からは20分程だった。
途中にアテネ大学があり、記念にお互いに写真を撮り合った。



アテネ大学
「アテネの学堂」ではないが西地中海域では最古の大学
写真は上が切れているが、
アクロポリス守護神、知恵と正義の女神アテナ像が立っている

アテネ大学正面
柱廊内側の壁には学問を象徴する人物が描かれている
プラトン、ペリクレス、アレキサンダー大王もいる
現在は儀式や講演等に使っているそう

アテネ国立考古学博物館に着いた。
入場料7ユーロだった。
ご夫婦とは入口で別れた。

入ってすぐに「アガメムノンの黄金のマスク」が展示されていた。
このマスクは紀元前16世紀頃のものらしい。
ミケーネの王アガメムノンのマスクとされている。

「馬に乗る少年」像は迫力のあるものだった。
アルテミシオン沖の海底から発見されたらしい。
紀元前2世紀頃のものというが、その頃にこんなに技術があったとは驚きだ。


上段中央「アガメムノンのマスク」
アガメムノンはトロイア戦争のギリシャ軍総大将だった

「馬に乗る少年」

高校生くらいのグループが説明を受けながら鑑賞していた。
神々の像、瓶、、、よく理解できないが一々感心し写真に撮ってきた。
館内を一巡した。
預けておいたコートを取ってから地下のトイレを拝借した。

博物館を出た広場で地図を広げて帰り方を考えていた。
その時、正面の門の方から同じツアーのご夫婦がやってきた。
地下鉄で来たのだろう。

ご夫婦は静岡に住み、いつもはバラの栽培に力を注いでいるという。
自動車メーカーの部品部門に勤めていて、一時はバルセロナに単身赴任していたとか。
身体を壊したこともあって53歳で早期退職をしたそうだ。
「1年に4回海外旅行をすることを奥さんと約束した」と話していた。

ご夫婦が来た方に地下鉄駅があると思い込んで歩き出した。
が、早合点だった。
これが今回の旅行で唯一後味の悪い思い出になってしまった。

歩きだしたものの地下鉄駅が見つからない。
博物館まで引き返すことにして戻る。
途中で止まっていたタクシーに乗った。

年配の運転手だった。
初めは英語を分かる振りをしていたが、暫くすると英語が分からない素振りをしだした。
「中央市場に行って欲しい」と言ったのに様子がおかしい。
昼前に立ち寄った高級住宅街のショップに横付けした。

店の日本人の女性オーナーに通訳をしてもらおうと思ったのだろうか。
オーナーが出てきたので、「中央市場に行くように伝えて欲しい」と話した。
すると彼女は「市場は午後はやっていない」と言う。
ホテルに行くようにと運転手に話してもらった。

来た道を行ったり来たりして渋滞にも巻き込まれてしまい相棒が不安がる。
オモニア広場まで来たところで降りることにした。

車を止めさせて料金を聞くと、メーターを操作してから「57ユーロだ」と言う。
「20ユーロで十分だろう」と言うと、
「ガソリンが高騰している。生活が苦しい。」みたいなことを言い始めた。
一切無視してタクシーを降りた。

地下鉄のオモニア駅からホテルに戻ろうとした。
地図を見ると路線が「赤と青」で色分けされている。
ギリシャ語の地図では降りる駅がよくわからない。
駅の切符の自動販売機の近くには、ホームレスがいて小銭をくれと寄ってくる。
こんなことになるのなら朝の添乗員の説明をよく聞いておくんだった、、と後悔した。

駅員に尋ねると、「赤」の「アントニオス」行きに乗りなさいと教えてくれた。
言われた方向から来た電車に乗ったが、どうも逆の感じだった。
一旦降りて駅から出て紳士物の洋装店で尋ねた。

やはり逆だった。

また引き返して目的の駅「シンタグマ」に着いた。
駅で降りてもホテルへの道がわからなかった。
2度ほどギリシャ人に聞いた。
皆親切に英語でホテルへの道を教えてくれた。

地下鉄「シンタグマ」駅
ホームはさらに下
メトロ建設中に発見された遺跡のミュージアムにもなっているそうだ

地下鉄の改札口
刻印機に切符を入れて打刻するだけ
刻印していない、有効時間切れ、は60倍の罰金だそう

ホテルについてほっとした。
かなり気苦労をしたが貴重な体験だった。

部屋で一休みした後、水を買いに「カルフール」に出かけた。
カルフールの場所を添乗員が教えてくれていた。
歩いて10分程の所にある。
水のボトル3本とクッキーを買った。
日本円で300円もしなかった。

「ギリシャは生活必需品は安いが、車などの輸入品は一般の人には手が出せない」。
現地ガイドの話しを実感した。

今度の旅行中はFacebookやブログをやろうと出発前にiPad miniを手に入れ持参した。
手に入れたのは出発の1週間前。
出かける前に1日だけ息子に手ほどきを受けた。
十分に体得できなかったので上手くできなかった。



:::アテネの絵手紙:::



<続く>



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